趣味日記。

まりりんまんそん。

アンパンマン 〜願い星の奇跡〜

【プロローグ】
【むかーしむかし、大きな宇宙のなかに隣り合って栄えた二つの星がありました。ひとつはコーボ星、ひとつはバイキン星とよばれたその星たちは、尊重しあってとても仲の良い関係を結んでいました。しかしその関係は、両方の星のたべもの不足によって崩れてしまったのです。お互いの残り少ないたべものを巡って争ったコーボ星とバイキン星は、やがて疲れ果てて粉々に砕け散ってしまいました。今もこの宇宙には、二つの星のカケラが手を取り合いながらふわふわと漂っています。ほら、あなたが見つめる空にも……。】
「はい、今日はここまで。」
 ジャムは開いていた絵本をそっと閉じると、つぶらな瞳でこちらを見つめる少女の頭を撫でた。
「ほら。読み聞かせも終わったんだから、そろそろ寝なさい。」
「ねぇ、ジャムおじさん。どうして二つの星はケンカしちゃったの? 仲が良かったんだよね?」
 ジャムの息子夫婦の忘れ形見——バタコは、幼いながらにとても賢い子であった。ジャムはふぅとため息をつくと、本をそばの机に置いた。
「バタコ。生き物はみんな、なにかを食べて生きているんだ。バタコだって今朝、私が作ったアンパンを食べただろう?」
「うん。」
「私たちにとって、食べるということは生きるためにかかせない手段だ。でもね、それだけじゃない。」
「どういうこと?」
「食べ物を食べるとね、みんな笑顔になれるんだ。美味しい。また食べたい。たいせつなひとと一緒に食べれて楽しい。そういういろんな感情が一気に私たちの心を満たしてくれる。でもこの絵本の二つの星たちには、それが分からなかった。だからケンカをしちゃったんだ。」
「そうなんだ……それってすごく、悲しいね。」
 バタコは両目を涙で潤ませながらそう言った。昔から、彼女は優しい子であった。
「だろう? だから、私はそれを伝えたい。飢餓で苦しむ人たちを、私が作るパンで笑顔にしたい。バタコも大きくなったら、私のこと手伝ってくれるね?」
「うん!」
 それからしばらくして、バタコはすやすやと穏やかな寝息を立て始めた。食糧不足による飢餓で息子夫婦が死んでから、もう一年が経とうとしている。ジャムは自分の土地を必死に耕し、なんとか一世帯分の穀物畑を墾いて守り抜いていた。なぜか畑は、ジャムの家の周りでしか育たなかった。彼はこれを、自分の運命と捉えた。食糧不足で苦しむこの小さな星のみんなに、自分が作ったパンを届ける。それが息子たちよりも長く生きてしまっている自分が、ただ一つできることなのだと。
 しかしジャムは、大きな使命感と同時に不安を抱えていた。今年で五十歳になる彼にとって、パンの入った荷車を引いて星中を回るのは相当の重労働だったのだ。これから先、自分が老いて限界を迎えた時どうすればよいのか。バタコだけにその重労働を背負わせていいものか。そもそも背負ってくれるのか。ジャムは未だに、その不安を拭い去れずにいた。
【一】
〜二十年後〜
 時は、一向に問題を解決してくれなかった。ジャムが住むこの惑星の食糧不足は益々酷くなり、先日の豪雨によって永年守ってきた畑も壊滅的な被害を受けた。それでも、ジャムは決して諦めてはいなかった。
ジャムおじさん、どうしよう? もうパン一個分の小麦粉しかないよ。」
 ジャムの孫、バタコ。彼女もしっかりと成長し、今年で二十五歳になろうとしていた。今は、ジャムの助手として共にパン作りに励んでくれている。
「……仕方ない。一個でも良い、パンを作ろう。」
「え?」
「私たちが諦めずに作ったたった一個のパンが、誰かを笑顔にできるかもしれない。それって、とても素晴らしいことじゃないか。だから私たちは、今できることを。一個のパンを作ることをやめちゃいけないんだ。」
 ジャムはそう言うと、パン作りのための準備を始めた。バタコも大きく頷くと、それに続いて準備を始めてくれた。
「なぁバタコ。作るパンは何にしよう?」
「うーん、そうだなぁ……。じゃあ、アンパンにしよう! 絵本を読んでくれたあの日、おじさんが焼いてくれたアンパンの味。今でも忘れられないなぁ。」
「絵本? 全く、昔のことまでよく覚えてるなぁ。」
 二人で笑い合いながら、パン生地をこねていく。それは至極シンプルな作業だったが、そのひとこねひとこねにジャムとバタコの想いがのせられていた。
「よし、できた!」
 甘いあんを内包したその丸いパン生地を前にして、ジャムはふと昔自分が抱いた夢を思い出した。
「なぁバタコ。私の夢、聞いてくれるか?」
「どうしたの突然? 別に良いけど。」
 バタコは少々驚いた様子を見せたが、すぐに近くの椅子に座ってこちらの話に耳を傾けてくれた。思えばこの二十年間、バタコに自分の話をしたことは一度もなかったと、ジャムはその時気づいた。
「私はなぁ。意思を持ったパンを作りたかったんだ。困っている人々に手を差し伸べて、空腹に苦しむ誰かのために無償の優しさで自分の一部を分けてあげられる。そういう、愛と勇気に溢れたパンを作りたかった。」
「なにそれ? おじさんにしては、随分と素っ頓狂な夢だね。」
「ははっ、素っ頓狂か……たしかにそうだな。」
 生地をオーブンに入れ、火をかける。
「だがどんなに素っ頓狂でも……私は叶えば良いなと思った。そんなパンがあれば、空腹で苦しむ多くの人たちに手が届く。助けてあげられるんだ。」
「まぁ……たしかに、そうだね。」
 少し、その場をしんみりとした空気が包んだ。その時一瞬だけ、東の空が眩く輝いて見えた気がした。
「ん……? バタコ、今なんか光らなかったか?」
「え? いや、別に何も……」
「いや、たしかに光った! 窓だ! 窓の外だ!!」
 急いで窓を開けて空を見る二人。ジャムとバタコの視線の先には、こちらに真っ直ぐ迫ってくる輝く群体があった。
「あれは……流れ星!?」
ジャムおじさん、あの星こっちに突っ込んでくるよ!」
「まずい、逃げろバタコ!!」
「ダメっ! もう、間に合わない!!」
「「うわぁぁぁぁぁぁあ!!!!」」
 流れ星がジャム達の家に衝突したその時、辺りを白い光が包んだ。何も見えない状態が少しだけ続いたあと、何事もなかったかのようにその場は元の平穏な状態へと戻っていた。
「なんともない……おじさん、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ……バタコは大丈夫か?」
「私もなんとも……あんなに勢いよく流れ星が衝突したのになにもないなんて、なんか不思議だね。」
 たしかに不思議であった。ジャムが辺りを見回しても、流れ星が衝突した形跡は一切見られなかった。あの流れ星はたしかにここに落ちてきた。しかし何も残ってはいない。一体、何がどうなっているのか。
「ねぇ、おじさん。なんかあのオーブン、揺れてない……?」
「ん?」
 バタコが指差したのは、先程アンパンの生地を入れたオーブンの扉であった。それはガタガタと大きく揺れ、今にもはちきれんばかりに大きく膨張していた。
「まずいな。生地が破裂しそうになっているのか? 製法は間違っていなかったはずだが……今すぐ火を止めよう。」
「え、えぇ。そうね。」
 恐る恐るオーブンに近づく二人。しかしそんな二人を、謎の声が静止した。
「止めないで!」
「「え?」」
 二人がその声に驚いて動きを止めた次の瞬間、オーブンの扉が勢いよく開け放たれた。そして——
「僕、アンパンマン!」
 巨大なアンパンの顔を持った新たな生命が、二人の前に立っていた。
【二】
「本当に……できちゃったね。意思を持った、パン。」
 バタコが、唖然としながらそう言った。
「あぁ……できたな。意思を持った、パン。」
 当然、ジャムも同じであった。驚きを通り越してもはや戸惑いまで感じさせる目の前の光景を、まだ一切頭のなかで整理できていなかった。
「はじめまして! ジャムおじさん、バタコさん!! 改めまして、僕アンパンマン! 僕を作ってくれてありがとう!!」
 アンパンマンと名乗るそれは快活に笑いながらそう言うと、丸く大きな手をジャムへと差し出してきた。それが握手を求める合図だと察したジャムは、恐る恐るその手をとってみた。それはとても柔らかく、しかし確かに生命の温もりを宿していた。
「えーっと……アンパンマン、だったか? とりあえず、何か食べるか? パンが食べるもの……って、なんじゃ?」
「私の方見ないでよ! 分かるわけないでしょ!! パン"が"食べる物なんて!!」
「そりゃ、そうか……。」
 アンパンマンは、無垢な笑顔を浮かべたままその場に立ち尽くしていた。
ジャムおじさん、バタコさん。僕に食べ物は必要ありません。それよりも、僕はまだ生まれたばかりで自分がどうやって生きていけばいいのか分かりません。どうすればいいか、教えてください!」
 どうやって生きていくか。その問いを聞いたとき、不思議とある答えがスッとジャムの頭に浮かんだ。
「……助けるんだ。」
「え?」
「この星のみんなを助けてくれ。みんな空腹で苦しんでいる。パンから生まれた君なら、きっとみんなを助けられる。私と一緒に、パンを運ぼう。」
「パンを運ぶ……みんなを、助ける……」
「嫌、か……?」
 少し考え込む様子を見せたアンパンマンだったが、表情を伺うジャムと目があったその時再び無垢で快活な笑顔を浮かべた。
「いえ! 嫌じゃないです! やりましょう!! みんなを助ける!!」
 アンパンマンはそのまま勢いよく外へ飛び出すと、背中のマントをはためかせながら大きく空へと飛んだ。
「お前、飛べるのか!?」
「すごい、凄いよアンパンマン!!」
 アンパンマンのマントから、キラキラとした光が降り注いだ。それはジャムの穀物畑を優しく包むと、瞬く間に元の元気な姿へと戻したのだった。
「おぉ……アンパンマン、ありがとう!」
「お構いなく! みんなを助ける!!」
 その日から、ジャムとアンパンマンは二人三脚でパンの配給を続けた。ジャムが作り、アンパンマンが届ける。空中飛行による配達は瞬く間にその範囲を広げ、"ジャムおじさんアンパンマン"の話は星中を駆け巡った。そしてそれを聞いたものの中に、黒い影がひとり——
アンパンマン……俺様が、倒すべき存在。」
【三】
〜流れ星が降った夜・辺境の森〜
 その卵が孵ったのは、暗く寂れた森の奥であった。それは瞬く間に成長し、二本の触角と黒いボディを持ったばいきんの戦士『ばいきんまん』へとその姿を変えた。
「暗い。ここは……俺様一人か。星のみんなは、どこに?」
 ばいきんまんが辺りを見回すと、近くに焼け焦げたシャトルがあった。記憶を辿る限り、それが母星からばいきんまんを運んできたシャトルであることは間違いなかった。
「なんで俺様がこんなとこにいるのか。あれを調べれば、何かわかるかもな。」
 シャトルの残骸を漁る。そうして漁り尽くした結果ばいきんまんが見つけたのは、立体投影装置とそれに録音されたボイスメッセージのみであった。そしてその装置が映し出したのは、ばいきんまんの父の姿だった。
ばいきんまんよ。わたしたちはもうダメだ。我々の未来は、我が星最高の発明家であったお前の頭脳に託す。いつか我々の星を再興するため、どうか力を尽くしてほしい。もう、おまえしかいない。頼んだぞ。』
 映像はそれで終わっていた。ばいきんまんは憤慨し、そして涙した。星を旅立つ前、父はたしかに言っていたのだ。『また会える』と。『しばしの別れだ』と。それがどうしたことだろうか。一族は皆消え、残されたのは自分と自分にのしかかった大きな責任のみ。湧き上がる怒りと悲しみを抑えるように、ギリギリと歯を噛み締めた。
「まぁ、いい。まずは拠点を作らないとな。」
 ばいきんまんはそう呟くと、シャトルの残骸を分解して瞬く間にドーム型の拠点を建造した。見た目は自分の頭部を模したオシャレなものにした。それが、ばいきんまん流の"こだわり"であった。
 そうして自身の拠点を建造し終えた彼の脳裏に、過ぎ去りしときのわずかな記憶が蘇った。
〜〜もはや私たちが生き延びる術はない。両星ともに今は滅び、後に託すしかないだろう。だが覚えておけ。私たちの意志を継ぐ流れ星の戦士が、お前達を完膚なきまでに滅ぼす。きっとな。〜〜
 流れ星の戦士。あのとき、向こうの指導者だった男はそう言った。その戦士の居所を掴み、排除する。それが自分に課せられた最初の使命だと、ばいきんまんは信じて止まなかった。
【四】
「みなさん、つい昨日このクラスの仲間だったトラ吉くんがお亡くなりになりました。栄養失調だそうです。みなさん、大切な友達のことを想って、手を合わせてください。黙祷。」
 担任のみみ先生が、声を震わせながら弱々しくそう言った。きっと、これが初めてではないのだろう。カバオは言われるがまま、しっかりと目を閉じて手を合わせた。別に珍しいことではない。今年でついに六年生になったカバオにとって、何度も経験してきた出来事であった。
 カバオが暮らすこの町は、辺境の中の辺境。この土地で生まれた者でもない限りは、決して足を踏み入れることのない場所であり、その存在を知るものもそう多くはない。そんな場所であった。
 カバオが産まれたときには、既に食糧不足は始まっていた。いつから始まったのか、そしていつこの苦しい日々は終わるのか。遠くのほうにはパンを作って食べ物に困る人々に分け与えてくれる優しい人もいるらしいが、到底ここまで手は届いてこないだろう。カバオはいつしかこの現実を受け入れ、そして諦めていた。



「カバオくん。どうしたの立ち止まって空なんか見上げて。ほら、そろそろ休み時間終わりだから教室に戻りなさい。」
 校庭で立ち尽くすカバオに、みみ先生が声をかけてくれた。いつもみみ先生は、生徒のことを一番に考えてくれる。そんな優しいみみ先生のことが、カバオは大好きだった。
「先生。僕たちカバ族は他のみんなよりも大きな口を持ってます。僕はそんな自分の顔がすごく嫌で、お母さんに聞いたことがあるんです。『どうして僕の口はこんなに大きいの?』って。そしたら、お母さん言ったんです。」
「なんて……言ったの?」
 カバオの母との記憶は、身体を弱らせて床に臥せっている母と会話をしている場面しかなかった。泣き虫だったカバオは、よく母に泣きついて困らせていた。そのことを、今でもカバオは後悔している。
〜〜カバオ、私たちの口が大きいのはね。美味しいものをたくさん食べるためなのよ。今はちょっと大変だけど、いつかきっとそんな日が来る。食べるってことはね、とても幸せなことなの。だからね、カバオ。いつかこの大きな口が美味しい食べ物をいっぱいに頬張れるときがきたら、あなたはきっと自分の顔が大好きになるわ。絶対よ。〜〜
「それから半年も経たずに、母は死にました。栄養失調だって。僕には分からない。満足に食べられないまま死んじゃうんだったら、僕はなんのためにこの大きな口を持って生まれてきたのか。そんなことを、たまに考えるんです。」
「カバオくん……。」
 カバオはよく、空を見上げた。空を見上げていればいつか、流れ星が降る。そのときに願うのだ。美味しいものをお腹いっぱい食べたいと。そんな瞬間を想い描いて、カバオは空を見上げ続けていた。
「……すみません、先生。教室に戻ります。」
 カバオが俯いて歩き出そうとしたその時、空から声がした。
「みなさん! 大丈夫ですか!?」
「え?」
 今一度空を見上げると、そこにはアンパンの顔を持った謎のヒトがふわふわと浮いていた。カバオはびっくりして、その場に釘付けになった。
 謎のヒトの来訪に興味を示した他のみんなも校庭へと飛び出し、校庭はたちまち生徒たちで溢れかえっていた。
「僕、アンパンマン! 皆さんの悲しみを感じて、ここまで来ました!! 皆さん、これを食べてください!!」
 アンパンマンがヒラリとマントを翻すと、そこから大量のアンパンが出現した。それはゆっくりと降下し、みんなの手に収まった。不思議と皆、無意識に両手を差し出していた。
「これ……パン?」
 みんなの手にあったのは、一個のアンパン。それは片手に収まる小さなものだったが、カバオにはとても大きく見えた。
「……ごくり。」
 パンを口に放り込む。それは一回噛んだだけで中に入った餡が口いっぱいに広がり、香ばしさと甘さで空腹を満たしてくれた。これほどまでに幸福な食事は、カバオは初めてであった。
「美味しい……美味しい!」
 みんなが口々にそう言った。誰かと喜びを共有するもの。一人でその美味しさを噛み締めるもの。久しぶりの食事に涙を浮かべるもの。反応はみんなそれぞれ違っていたが、ただ一つだけ同じところがあった。みんな、笑顔であった。みみ先生も、クラスメイトも、全く顔を知らなかったものも、そしてカバオ自身も、皆幸せに包まれて笑っていた。
アンパンマン……ありがとう!!!」
 そんなみんなの笑顔を見て何を想ったのか、アンパンマンもまた大きな笑顔を浮かべ、そして手を振ってくれた。
「みんな……喜んでくれてありがとう! また来ます! 僕は、みんなを助ける!!」
 そう言い残して、アンパンマンは去っていった。そしてそれ以降、カバオたちの日々は一変した。辛く苦しいものではなく、明るく幸せなものになったのだ。カバオはそのアンパンの味を、以降決して忘れなかった。
【五】
「ねぇ、ジャムおじさん。ありがとう、僕にこんな幸せなことを教えてくれて。」
「どうした? 急に。」
 星中にパンを届け終え戻ってきたアンパンマンは、明日届ける分のパン生地をこねるジャムの仕事姿を見ながらそう告げた。
「今日は、空腹で苦しむ学校のみんなにパンを届けたんだ。」
「ふむ……私には気づけなかった場所だ。流石だな、アンパンマン。」
「えへへ……ありがとう。それでね」
「ん?」
 アンパンマンは、今日のみんなの笑顔を思い返していた。みんな、自分に感謝してくれていた。そして何より、喜んでくれていたのだ。
「パンを届けたら、みんな喜んでくれる。ありがとうって、言ってくれる。その言葉を聞いて、そんなみんなの笑顔を見たら、なんだか凄く心があったかくなった。こんなに幸せなことはないよ。」
「そうか……それは、よかった。」
 その日は、とても穏やかな夜だった。コオロギの鳴き声が心地よく響き、アンパンマンもジャムもとても優しい気持ちになれる夜だった。そんな夜に、ヤツは現れた。
「出てこい! アンパンマン!!」
「なんだ!?」
 家の中からでも分かるほどの、大きな風圧。そしてなにより、今まで聞いたことのない敵意のこもった声。二階で眠っていたバタコも、慌てて一階へと降りてきた。
「なに、どうしたの!?」
「バタコ、よく分からんが危険だ! すぐ逃げられるように準備をしておけ!!」
「う、うん!」
ジャムおじさん、僕ちょっと出てみます!!」
「あ、待てアンパンマン!」
 ジャムの静止を振り切り、アンパンマンは外に出た。するとそこには、巨大な鋼鉄の巨人が立っていた。
「な、なんだコイツ!?」
「ガハハ! 驚いたか、アンパンマン!!」
 巨人の頭部がハッチのように開き、なかから黒い怪人がその姿を現した。
「君は誰だ! それにこれは!?」
「俺様は、ばいきんまん! 貴様を倒し、永きにわたる争いに決着をつけるもの!! そして、一族を救うものだ!!」
 そう言ったばいきんまんは再び巨人の頭部内へと戻っていくと、その鋼鉄の巨人もその巨躯を動かし始めた。
「グハハ! これこそ俺様の偉大なる発明、巨大ロボ『ダダンダン』!! さぁ、大人しく死ねぃ!!」
「そうはいかない! 僕にはまだ、やらなきゃいけないことがあるんだ!!」
 ダダンダンのペンチ型の腕による強烈なパンチが、狙い定めた標的を襲う。それを間一髪でかわすと、アンパンマンは拳にありったけの力を込めた。
「アーン……パアァァァァンチ!!!!!」
 その強烈な拳は、ダダンダンの腹部を抉った。凄まじい衝撃を浴びたそれは、たまらずバランスを崩してその場に尻もちをついた。
「うへぇ〜! こりゃ、まずい!!」
 ダダンダンの頭部から、ばいきんまんが再び姿を現す。
「ふぅ……今のは効いたぜ、アンパンマン。」
ばいきんまんって、言ったよね? 君は誰? どうして僕を襲うの? それに、争いって?」
 アンパンマンには、訳がわからなかった。あまりに突然の襲撃。そして、謎の怪人。全てが未知の領域であった。
「……まさか本当になにも知らないのか、貴様。」
「え……?」
 ばいきんまんはギリギリと歯を噛み締めると、鋭い視線をこちらに向けた。それはとても憎しみ深く、またひどく悲しみに満ちた瞳であった。
「……貴様が知らないのなら、それでいい。そのままでいろ、ずっとな。」
「ちょっと待ってよ! 一体、どういうこと? 僕は最近生まれたばかりだ! なのに、君はどうして僕のことを知っているの?」
「最近生まれた……そうか、そういうことか。」
 ばいきんまんはふーっと息を吐き出すと、アンパンマンに諭すようにこう告げた。
「貴様は、俺様たちを葬るために生まれた。貴様の望む望まざるに関わらず、そういう運命を背負わされてな。」
「どういう……こと?」
「おーい! アンパンマン、大丈夫か!?」
 家の中から、不安な様子のジャムとバタコが走ってくる。そんな二人の方を一瞬だけ見ると、ばいきんまんは何かリモコンのようなものを取り出してそれを押した。
「いいな……貴様は。生まれたばかりなのに、もう家族がいるのか。羨ましいぜ、全く。」
「え?」
 その言葉が終わるのとほぼ同時、上空にUFOのような巨大な飛行物体が滞空した。さっきのリモコン操作で、ばいきんまんが呼んでいたのだ。
「俺様は決めたぜ、アンパンマン。何も知らずのほほんと生きてる貴様を倒し、貴様を取り囲む奴らもみんな滅ぼしてやる。それが俺様流の、"復讐"だ。」
 飛行物体のハッチが開き、ばいきんまんはそれに乗り込んだ。飛行物体から伸びた複数のマジックハンドがダダンダンをがっしりと掴むと、そのまま高速で何処かへと飛び去っていったのだった。
「なんだったんだ、一体……」
〜〜貴様は、俺様たちを葬るために生まれた。貴様の望む望まざるに関わらず、そういう運命を背負わされてな〜〜
 ばいきんまんのその一言が、アンパンマンの頭の中で繰り返されていた。
〜辺境の森・ばいきんまんラボ〜
 ばいきんまんは、湧き上がる寂しさを抑えながらダダンダンの修理を続けていた。そしてもうすぐ終わるというときに、被っていた鉄面を外してぷはぁと息を吐いた。
「アイツ……一人じゃなかったんだな。」
 ずっと頭から離れないのは、アンパンマンの存在だけではなかった。彼を心配し、駆けつけてくれる家族……生まれたばかりの宿敵には、既にそういう存在がいたのだ。
「なんで……」
 とぼとぼとラボの開発スペースへと歩を進める。そこには、ばいきんまんとっておきの細菌兵器が置かれていた。名を『バイバイ菌』とつけたそれは、アンパンマン以外の全てに効力を持った恐ろしい兵器であった。それを吸ったものは激しい呼吸障害を引き起こし、二十四時間後に死亡する。ダダンダンと同時に完成させていたそれを、ばいきんまんは先ほどまで封印するつもりでいた。が、しかし——
「なんで俺様だけ、一人なんだよ……!」
 ばいきんまんの孤独が、彼自身を押し潰そうとしていた。
【六】
 その日から、アンパンマンの脳裏に何度も"声"がこだまするようになった。
ーやつらを葬れ……一人残らず……! それが……お前が生まれた……ただ一つの理由だ……!ー
「うわぁぁあ!!」
「おぉ!? どうした、急に大声を出して。」
 その日は、アンパンマンを休ませたいという強い要望でバタコがパンの配達に出ていた。彼女が戻るまでは、ジャムと二人で留守番をすることになっていた。
「……最近、気づいてきたんです。」
「気づく? 何に?」
「僕が、生まれた理由です。」
「……」
 ずっと考えていた。なぜ、自分が生まれたのか。自分はどうやって生きていけばいいのか。
「それで……この前ばいきんまんが襲ってきたときから、だんだんと自分の中で声が響くようになってて。それが僕に言うんです。やつらを葬れ……って。」
「そのやつらというのが……あのばいきんまんのことか。」
「えぇ。なんとなく、気づいちゃったんです。僕は争うために生まれた。ばいきんまんを倒すために生まれたんだって。」
 それは、彼の望むことではなかった。ずっとパンを、喜びをみんなに届け続けたいと、アンパンマンは切に想っていた。
「まぁ、お前がいきなりオーブンから飛び出してきた時は面食らったけどな。」
「え?」
 アンパンマンにそう語るジャムの横顔は、とても優しかった。
「たとえお前がどんな理由で生まれてきたとしても、お前を作ったのは私だ。そして私は、お前にやるべきことを与えてやれた。」
「……」
「今お前がやるべきことは、あいつと戦うことか? いや違う。お前がやるべきは、みんなを助けることだ。愛をもってみんなを笑顔にして、勇気を胸に自分と向き合う。お前にはそれができる。私は、そう信じている。」
ジャムおじさん……」
 あの時の学校のみんなの笑顔を、アンパンマンは思い出していた。あれこそ、自分が想い描く夢。護りたいものなのだと、その時気付けた気がした。
「ありがとうございます、ジャムおじさん。」
「うん。」
「僕は、アンパンマン! みんなを助ける!!」
「そうだ! それでこそ私が作った最高のパンじゃ!」
 二人で固い握手を交わす。それは初めて会った時のあのぎこちない握手とは違う、深い絆で結ばれた握手だった。
「……にしても、バタコさん遅いですね。」
「そうだな。そろそろ帰ってきてもいい頃だが……」
 二人で玄関扉を見る。するとその扉が、重くゆっくりと開いた。
「ジャム……おじさん……」
「バタコッ!?」
 中に入ると同時に、力無くその場に倒れ込むバタコ。ジャムは急いで彼女の元へ駆けつけると、その身体を抱きかかえた。
「なんて熱だ……呼吸も荒い。なんとか、なんとかせねば……!!」
「星中のみんなが……私と同じように……」
「なにっ!?」
 ジャムが外に出ると、星中が謎の"カビ"のようなもので覆われていた。
「こ、これは……一体……ウグッ?!」
 突然身体を襲う、息苦しさや眩暈。ジャムは耐えきれず、その場に膝をついた。
ジャムおじさん!!」
「くるなっっ!!!」
 精一杯の声を振り絞って、外に出ようとするアンパンマンを静止するジャム。そんな彼を嘲笑うかのように、その声は響き渡った。
「ハーッハッハッハ!! どうだアンパンマン、俺様のカビ菌の威力は! これを一度でも吸い込んだが最後、そいつは苦しみ抜いてそして……死ぬのだ!!」
「……ばいきんまん!!」
 たまらず外に出るアンパンマン。そんな彼を待ち構えていたのか、上空からあの飛行物体が降りてきた。そして着陸したそれから、"鉄面をつけた"ばいきんまんが三度その姿を現したのだった。



「ねぇ、みみ先生! 雪かな、これ!?」
 カバオがはしゃぐ姿を見て、みみは微笑んだ。皆元気で笑顔を見せてくれるようになった。全ては、あのとき。アンパンマンがきたときから変わった。
「ふふ……そうねぇ。とてもキレイね。でも、雪にしてはちょっと早いような……?」
 急に、視界がぐにゃりと歪んだ。見ると、カバオや他の外で遊んでいた生徒たちが次々と、力無く倒れていた。そして襲いくる、凄まじい息苦しさ。
「なに……これ……?」
 そして最後に残ったみみもまた、その場で倒れ込んだ。
【七】
「クックックッ……心配するなよアンパンマン、この菌は貴様には効かないからなぁ。」
 怒りで拳を振るわせるアンパンマンを挑発するように、ばいきんまんはにじりよってきた。
「なぜ……なぜこんなことを!? お前の狙いは僕だけのはずだろ!?」
「あぁ……確かにそうだ。いや、"そうだった"。」
「……どういうことだ!?」
 ばいきんまんはそこで立ち止まると、両手を広げて大空を仰いだ。
「もうどうでもいいのだ! 俺様を置いて消えた一族の再興など!! 俺様は俺様の生きたいように生きる!! だが! 一つだけ、どうしても前に進むことを邪魔する事実がある……」
「ま、まさか……」
 アンパンマンは仮面越しでも、ばいきんまんがたぎらせている憎悪、そして哀しみを感じて仕方なかった。そして今、彼は全てを振り切ろうとしているのだとも感じた。
「そう、貴様だ! 俺様と同じように使命を持ってこの地に降り立った貴様は一人じゃなくて! 俺様は一人だ! そんなの……不公平じゃないか!!」
ばいきんまん……」
 泣いていた。その鉄面の向こう側で、確かにばいきんまんは泣いていたのだ。
「だから俺様は、貴様もひとりにする。そして二人だけになったその時、俺様と貴様は雌雄を決するのだ!!」
「ふざけるな!!!」
 どれほどばいきんまんの悲しみが深くとも。アンパンマンには、すでに譲れないものがあった。それは自身の内に流れる使命でもなく、ましてやばいきんまんに対する報復心でもなかった。
 それは護りたいもの。居場所をくれた、ジャムとバタコ。そして笑顔と感謝をくれた、カバオたち小学校のみんな。そんなみんなの幸せと夢であった。
「僕は、お前を止める! そして護りたいものを護る!! 行くぞ! ばいきんまんっっ!!」
「こい! アンパンマンッッ!!」
「「うおぉぉぉぉぉぉお!!」」
「アンパンチィィィッッッッ!!!!」
「バイキィィィッッック!!!!」
 二人の想いが、拳と蹴りがぶつかり合い、そして——
 アンパンマンのアンパンチが、ばいきんまんの鉄面を吹き飛ばした。
【八】
 地面に倒れ伏したばいきんまんを、アンパンマンはそっと抱きかかえた。
ばいきんまん……君は……」
「何も言うな……アンパンマン。俺様は、負けたのだ……貴様にも、そして自分にもな。」
 呼吸が荒く、身体に帯びる高熱。ばいきんまんは死ぬつもりだったのだと、アンパンマンはそのとき気づいた。
「俺様は……一族の想いを背負って、この星で目覚めた。だが俺様には、耐えられなかったのだ……自分だけが孤独の中で生きていかねばならないという、現実に……。」
「だから……僕も一人にしようとしたのか?」
 ばいきんまんは、コクリと頷いた。その顔はとても満足そうで、同時にとても居心地が悪そうであった。
「これで俺様は死に……貴様も一人だ。俺様を一人にした一族にも、貴様たちにも……復讐ができる。こんなに嬉しいことはない。」
「嘘だ。そんなのは。」
「なんだと?」
「だって今君は……泣いているじゃないか。」
「クククッ……これは、嬉し涙ってヤツだろうよ……。」
 ばいきんまんがどうして泣いているのか。本当のところはアンパンマンには分からない。しかしそれでも、彼はこうするよりほかにないと思ったのだ。
「……」
 そっとばいきんまんの身体を地面に倒したアンパンマンは、おもむろに自分の顔の一部をむしり取ってみせた。
「お前、何を……?」
「僕は、みんなを助ける。」
 弱々しく息をするばいきんまんの口元に、むしり取った顔の一部を運ぶ。それはアンパンそのものであり、また彼の決意でもあった。
「……クソ。」
「不味い……?」
「……うめぇなぁ……!」
 ばいきんまんの頬を、大粒の涙がつたった。そしてその身体が、なんとみるみる内に回復を果たしたのだ。
「なっ……!? おい貴様、これは一体どういうことだ!?」
「わ、わかんないよそんなの! でもばいきんまん
「なに?」
「君は一人じゃない。僕は今日から君の、ともだちだ。」
「と、ともだち……? 貴様と、俺様が?」
「あぁそうさ。ちょっとカタチは特殊だけど、僕と君は一緒に食事をした。だから僕と君は、ともだちになれるんだ。」
「わ、訳のわからん理屈を言うな! ……だが」
 ばいきんまんは少し照れ臭そうにして、言った。
「ともだちか……それも悪くない。」
「……あぁ!」
 その時、アンパンマンばいきんまんの頭上で無数の流れ星が瞬いた。それはまるで、二人を歓迎しているようであった。
「行こうばいきんまん。僕たち二人なら、奇跡を起こせる!!」
「あぁ! 俺様と、貴様で!!」
 二人は、決して離れないように手を握り合った。そんな二人を待っていたのか、流れ星が二人を乗せて空へと駆け上がった。
 下には、食糧不足で苦しみ今この時死にかけている星のみんながいる。
 ばいきんまんは贖罪の、そしてアンパンマンは愛と勇気の願いを流れ星に込めた。
 その願い星は瞬く間に星中に降り注ぐと、まずばいきんまんのカビ菌を取り払った。そしてその日、願い星の光を浴びた大地は、次々に穀物の芽を生やしたのだ。
 その日、願い星が降った夜を最後にその星の食糧不足は解決した。
【九】
「おのれ〜! 今日も世界征服の邪魔をするのか、このおじゃま虫め!!」
ばいきんまん! 君と僕は友達のはずだろ!? どうして争わなきゃいけないんだよ!!」
「うるさ〜い! あの後冷静になって振り返ってみたら、だんだん悔しくなってきたのだ! だから俺様は、貴様をコテンパンにする!! 勝つまでは終われーん!」
「くそー! それでも、負けてあげるわけにはいかないんだ!! いくぞ、ばいきんまん!!」
「アーンパーンチ!!」
「ばいばいきーん!」
 あの日から、アンパンマンには新しいともだちができた。
 毎日のように悪事を働き、自分を困らせる。
 そんな、厄介なともだちが。
【十】
 午前の授業が全て終わり、給食の時間がやってきた。
 みんな急いで教材を仕舞い込むと、配膳される給食を今か今かと待った。そして、担任のみみ先生が号令をかける。
「それじゃーみんな行儀を守って! せーの!!」
「「「いただきまーす!!!」」」
 みんな美味しそうに給食を食べる。そしてそのなかでも、一際盛大に飯をかき込む生徒の姿が。
「カバオのやつまた一番乗りで食い終わってやがる……おかわりも全部あいつにとられちまうの。チェッ」
「ほらカバオくん、みんなのことも考えながら食べるのよー!!」
「はーい!」
 カバオは、今は亡き母親の言葉を思い出していた。
〜〜いつかこの大きな口が美味しい食べ物をいっぱいに頬張れるときがきたら、あなたはきっと自分の顔が大好きになるわ。〜〜
(母さん。僕今、ようやく母さんの言ってたことを理解できた気がするよ。僕の口は人より大きい。でも僕はそんな自分の顔が、大好きだ!!)
【エピローグ】
「ねぇおじさん! この前の絵本の続き、読み聞かせて!」
「んん〜? 全くしょうがないなぁバタコは……今日は最後まで読むから、早く寝るんだよ。」
「はーい!」
 ジャムは、そばに置いてあった絵本を手に取った。その本——『願い星の奇跡』を、そっと開く。
【手を取り合った二つの星のカケラは、近くにあった小さくてまだ名前もない星に降り注ぎました。そこでもたべもの不足は起こっていましたが、悲劇は起こりませんでした。二つの星の想いが結びつき、今度は協力して問題と向き合ったのです。こうして救われた名も無き星のみんなは、降り注いだ星のカケラに『願い星』という名前をつけて敬いましたとさ。めでたしめでたし。】


「おしまい。」


〜完〜