趣味日記。

まりりんまんそん。

仮面ライダー龍騎 〜そこには一縷の正義もなく〜

【プロローグ】
〜某日・某時刻 "反転した世界" にて〜
 街灯だけが寂しく光るその世界で、火花を散らす三人の戦士の姿があった。それぞれ黒のアンダースーツに紫色のヘビを象った鎧に身を包んだ戦士『王蛇』と、同じく黒のアンダースーツに白虎のような白銀の鎧で身を固めた戦士『タイガ』、そしてやはり黒いアンダースーツの上に茶色い生物的な鎧を身に纏ったガゼルのような戦士『インペラー』である。
「……匂うぞ。つまらん託生の匂いだ。お前ら二人は、あまり面白くないな。」
「うるせぇ! 俺たちには母ちゃんを助けるっていう大事な願いがあるんだ! いけるか!? インペラー!!」
「おぅよ! タイガ兄ぃ!!」
「あぁ……つまらん。」
 王蛇が振るった湾曲した大振りの剣『ベノサーベル』を、タイガが両腕に装着した巨大な爪付き手甲『デストクロー』で受け止める。
 そしてその後ろから、インペラーが契約しているレイヨウのような群体人型モンスター『ゼール』達が王蛇目掛けて飛びかかった。
「うおぉ……」
 王蛇はその攻撃を全てかわしきると、コブラの頭部を模した装飾が施された杖型召喚機『ベノバイザー』にカードをセットした。
<ADVENT>
 その無機質な機械音に呼応し、彼が契約した巨大なコブラ型モンスターの『ベノスネーカー』が姿を現す。
 ベノスネーカーは素早く首をもたげると、インペラーとゼール達に向けて強力な"酸液"を吐き出した。
「うぎゃあぁぁ!!」
 酸液をまともに食らい、その場でのたうち回るインペラー。契約モンスターのゼール達も皆酸液を食らい、苦しみながら溶け始める。
「インペラー! くそっ、よくも弟を……!?」
 一瞬弟に気を取られたタイガの隙を、王蛇は逃さなかった。獲物の腹にベノサーベルを深々と突き立て、一気に腑を抉り出す。
 タイガは力無くその場に崩れ落ちると、二度と動かなくなった。そしてそんな様子を見ていたインペラーもまた、絶望を抱きながら死んでいったのだった。
「はぁ……最後までイライラさせてくれたな。だが、いい。やはり戦いは、面白い。」
 目の前に転がる二つの死体を見ながら、男は嘲笑った。真っ暗な闇の都会で、その愉悦に満ちた笑い声だけが猛々しく響き渡っていた。
【一】
〜翌日・朝"OREジャーナル"オフィス〜
 朝日が差し込み明るくなったオフィス内で、鳴り響くアラーム音。編集長の大久保大介はその音の主である目覚まし時計を止めると、傍らで気持ちよさそうにいびきをかく男の耳元に顔を寄せた。
「おーい! 真司! 起きろォー!!」
「どわぁぁあ!? おはようございますっ!!」
 大久保の大声に驚いて飛び起きる青年。彼の名は城戸真司。ネットニュース配信会社であるここ『OREジャーナル』の新人ジャーナリストである。ちなみに家賃の度重なる滞納でアパートを追い出されてからは、この職場に"居候"している。
「お前さぁ……夜通しで取材相手の飼い猫捜し手伝ったりするから寝坊すんだよ。そもそもなんで取材に行ったはずが、飼い猫探すことになってんだよ。もうちょい仕事に責任を持ってだな……」
「すみません! でも、あの奥さん凄く悲しそうに話すもんだからつい……」
「ん〜……まぁ、いいや。とにかくほどほどにしとけよ。」
 大久保の話にうんうんと相槌を打ちながら、真司は朝の身支度を終えて彼に向き直った。
「はい! 気をつけます!! 大久保先輩!!」
「バカ。ここでは編集長って言えよ。」
「あ、そうでした。すみません、編集長。」
「はぁ、全くお前ってやつは……あぁそうだ。朝イチで悪いが、お前に仕事だ。取材に行ってきてくれ。」
「取材……ですか。一体何の?」
「例の連続行方不明事件だ。新たな被害者の名前は榊原耕一、二十八歳。ここが住んでたアパートだ。大家さんに話はつけてあっから、色々聞いてこい。今度は余計なことに首突っ込むなよ。いいな?」
 連続行方不明事件。最近頻発している、密室など通常では"ありえない"場所で人が忽然と姿を消すというなんとも不可解な事件であった。
「はい! 編集長!! 行ってきます!!」
 真司は大久保から榊原宅の住所が書かれた紙と地図を受け取ると、勢いよくオフィスを飛び出していった。
「おはようございます編集長。彼、今日も元気ですね。」
 そう言いながら入れ違いで入ってきた彼女は桃井令子。真司の先輩ジャーナリストであり、OREジャーナルの頼れるエースだ。
「全く、あいつも大学の頃からちっとも変わらんわ……俺も後輩だからって甘くしすぎかなぁ。」
 大久保の、虚しいため息が漏れた。
〜同日・都内"某アパート"〜
 住所を頼りに真司が辿り着いたのは、寂れた古いアパートだった。
「あ、大家さん。今日は取材許可してくれてありがとうございます。」
「いやー、ウチも最近景気悪くてさ。ここらで面白く取り上げてもらって、入居者もばんばん増やしちゃおうってわけ。良い記事書いてよ?」
「は、はい……」
 大家の案内でアパートの階段を登っていく。榊原の部屋の玄関に着くと、大家がその扉を開いた。
「じゃあ、とりあえず部屋の様子から見てってよ。結構面白いからさ。」
(面白い? どういうことだろう。)
 真司が部屋に入ると、そこにはとても不気味な空間が広がっていた。戸棚のガラス、窓からテレビに至るまで"映り込む"もの全てが新聞で覆われていたのだ。まるで何かに怯えていたような、そんな印象を受けた。
「どう? 面白いでしょ?」
「面白いっていうか……怖いっていうか……」
 コツッ
 歩を進めると、足先に何か硬いものが当たった。ふと拾い上げたそれは、真っ黒く塗られた謎のカードデッキであった。
「大家さん、これなんですか?」
「んん……? いや、わかんないな。初めて見たわ。」
「そうですか……!?」
 突如襲う激しい耳鳴り。まるで何かが反響し合うようにけたたましく鳴り響くその音に、真司はうずくまった。
「おい、にいちゃん。大丈夫か?」
「い、いえ……少し耳鳴りが……」
 そのときうっすらと開けた眼が、一瞬だけ巨大な赤い龍を捉えたような気がした。それは、向かいのビルのガラス窓の"なか"にいたように見えた。
「おいおい大丈夫かよ……いま救急車呼んでやるから、ちょっとそのまま待っ」
 次の瞬間、剥がれ落ちた新聞の奥から伸びた蜘蛛糸が大家を包んでいた。その糸は大家の悲鳴などまるで意に介さず、新聞の奥のガラスへと彼を引き摺り込んでいった。
「……え? は? ちょっと、どうなってんだこれ?!」
 真司は急いでその新聞を剥がした。一枚、また一枚。部屋中の新聞を夢中で剥がしていると、突如謎の光が彼の視界を白く染めた。
「うわぁぁあ!?」
 そうして次に視界が開けたとき、彼がいたのは謎の世界であった。そこは一見すると先ほどと何も変わらない風景であったが、新聞の文字や部屋の家具……そもそもそこに存在する自分を含めた全てのものが"反転"していた。今いる場所が鏡の"向こう側"であるということを、真司は肌で感じ取った。そしてその身体は、何故か灰色のアンダースーツと銀の鎧に包まれていたのだ。
「これ……え……?」
 呆然とする真司であったが、アパートの外で響く謎の"咀嚼音"に気づくと我に返り、その音を辿って外に出た。が、すぐにその行動を後悔した。
 喰っていた。さっきまで生きていた大家を、その巨大蜘蛛『ディスパイダー』は喰っていたのだ。
「なんだよあれ……大家さん? え、どうなってんの?」
 戸惑うその声に気づいたディスパイダーが、こちらに向きを変える。咄嗟に逃げようとしたが、そこで初めて足が恐怖で動かなくなっていることに気づいた。
 ジリジリと近づくディスパイダー。真司はそこで、己に近づく確実な"死"を感じた。
「くそ……死ぬのか俺、こんなとこで……。いやだ、死にたくない。」
 なおも近づくディスパイダー。その巨大蜘蛛はついに真司を射程圏内に収めると、あのおぞましい蜘蛛糸を吐き出した。
「しにたくねえぇぇぇえええ!!!」
<ADVENT>
 その叫びに応えるかのように、無機質な電子音が鳴り響いた。そして次の瞬間、素早く飛翔する巨大な蝙蝠が、蜘蛛糸を切断して彼を救ったのだった。
「今度は、蝙蝠かよ……」
「驚いたな、まだモンスターと契約していないのか?」
 真司の後ろから発されたその声の主は、紺色のアンダースーツと銀の蝙蝠を象った鎧でその身体を覆っていた。彼の名は秋山蓮。
 またの名を、『仮面ライダーナイト』。
【二】
 ナイトはレイピア型の召喚機『ダークバイザー』を構えると、そこにカードをセットした。
<SWORD VENT>
 電子音とともに召喚された巨大な槍『ウイングランサー』が空中より飛来し、まるで吸い寄せられるように男の手元に収まる。そして彼はウイングランサーを構えながら少しずつディスパイダーと距離を詰めると、放たれた次の蜘蛛糸をそれで払い除けて素早く怪物の足元に入り込んだ。
 標的を見失い、慌てるような素振りで辺りを見回すディスパイダー。
 ナイトは標的の腹部にウィングランサーを深々と突き刺すと、持ち上げるようにしてその巨躯を横転させた。
(すげぇ。なんだ、アイツ……)
 呆然とする真司を尻目に、ナイトはついにトドメの一撃を仕掛けた。
<FINAL VENT>
 ダークバイザーにカードがセットされた瞬間、空中から彼の契約モンスターである『ダークウイング』が飛来。ナイトもそれに合わせて駆け出すと、空高く跳び上がった。
 その身体を、ダークウイングの羽が素早く包んでいく。空中で見事な槍状となった彼らは、まるでドリルの如く回転しながらディスパイダーに突撃し、巨大な身体に穴を開けた。
 爆散するディスパイダー。何もできず、ただその光景を見つめるしかない真司を一瞬見ると、ナイトは歩き出した。
「あっ! ちょっと待って!!」
 慌てて後を追う真司。聞きたいことが山ほどあったからだ。
「なぁ、あんた一体何者なんだ!? ここは何処だよ! てかあのモンスターは!? 大家さん、死んじゃったの?! この鎧はなんなんだよ!!」
 一気に捲し立てる真司に、その歩みを止めるナイト。
「はしゃぐな!」
 それだけ言うと、彼はまた歩き出した。
「は、はしゃぐなってアンタなぁ……俺だって混乱してるんだからね!? もうちょっと愛想よくっつーか……なんかこう、ちょっとくらい答えてくれたっていいじゃんか例えばそう、お名前とか……」
「……ん? マズイ、避けろ!!」
 突如二人に降り注ぐ火球。ナイトは真司を押し倒しながらその場から飛び退き、真司もよろよろとバランスを崩して後方に倒れ込んだ。
 そして次の瞬間、二人がいた場所は火球の高熱に焼かれ、丸いクレーターのような跡ができていたのだった。
「おいおい……もう勘弁してくれって……。」
 二人を襲ったのは、真司がアパートの部屋で一瞬見た赤い龍『ドラグレッダー』であった。空中で大きく旋回する赤龍の姿に、真司はある種畏怖とも言える感情を抱いていた。
「フッ……来たな、大物だ。来い! ダークウイング!!」
 飛来したダークウイングがナイトの背中に収まり、マント状になって彼を空中に羽ばたかせる。
「おーい! 待ってくれよ!! 俺はどうすればいいんだよー!!」
「来た道を戻れ!!」
 ダークバイザーを振るいドラグレッダーと応戦しながら、そう告げるナイト。
「来た道って……? あっ! もしかして!!」
 真司はすぐさま駆け出すと、アパートの前まで戻った。
「来た道って、ここか?」
 そんな彼に向かって、ドラグレッダーが火球を吐き出した。それは少し狙いを外しはしたが、真司にとっては運悪く、アパートに直撃してそれを粉々に吹き飛ばしてしまったのだった。
「あぁー!! テメェ、ふざけんなよ!!」
「うるさい! 戦いの邪魔だ!! 失せろ!!」
「あっ! 蝙蝠の人!! 危ない!!」
「なっ……!?」
 次の瞬間、ナイトは龍の強靭な尾によって薙ぎ払われ地上に叩き落とされていた。真司に声をかけた隙をつかれた、あまりに一瞬の不覚であった。
「ぐっ……今回はここまでか……。おい、そこのバカ!!」
「なんだよ! てかバカじゃねぇし!!」
「この世界に居られる時間は限られてる。早く戻らないとお前、死ぬぞ。」
「はっ!?」
 ナイトはそれだけ言い残すと、近くにあったバイクのミラーに入っていった。どうやらあれで元の世界に戻れるらしいと、真司は直感した。
「でも……俺はどうやって戻れば……」
 空中には自分を狙うドラグレッダー。"来た道"であろうアパートは粉々に粉砕されてしまい、真司は絶望感に包まれてその場にへたり込んだ。
「もう、ダメか……ん?」
 自らのその足元。そこに、キラリと光る何かがあった。それは、アパートの窓ガラスの破片であった。
「……よし、もうこれにかけるしかない!!」
 三度吐き出された火球が直撃する刹那。真司はそのガラスの破片に飛び込んだ。
〜同日・都内"某アパート"〜
 気づくと、彼は榊原の部屋で仰向けに倒れ込んでいた。つい先ほど体験した怒涛の展開を、何度も頭で整理しようとし、そして頭を痛くした。
「とりあえず……帰るか……。」
 真司はのっそりと起き上がると、その場を立ち去った。
 部屋で拾った、黒いカードデッキを持って。
【三】
〜某日"喫茶・花鶏"店内〜
 自分以外客が一人もいない店内で、真司は考えを巡らせていた。結局昨日は一睡もできなかった。何度目を閉じても、あのひどく現実離れした光景がフラッシュバックしたからだ。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
 愛想よく注文を聞いてくれる女性店員。彼女と会うことこそが、真司の今回の目的であった。
「あ、いや俺は客ってわけじゃなくて……神崎結衣さん、ですよね?」
「え? はい……」
「俺、城戸真司。ジャーナリストやってます。それで聞きたいんです。あなたの、お兄さんについて。」
「……!」
 彼女の名は神崎結衣。十九歳で、年相応の初々しさがある。
「あなたのお兄さんは、最近起こってる連続行方不明事件の最初の被害者の方ですよね。なにか、この事件について知っていることはありませんか。」
「……お話しできることは、何もありません。」
 結衣はとても悲しそうな表情を浮かべると、スタスタとその場を立ち去ろうとする。よほど触れられたくない事情があるのだろう。だが。
「待って! 俺はあなたが知らないかもしれないことを知ってるんだ!! 話を聞いてくれ!!」
「え?」
 真司も退くわけにはいかない。自分の知らないところで何が起こっているのか、知らなければならない。己の中の使命感が、そう告げていた。
「鏡の中の世界のこと、何か知りませんか?」
 真司は、昨日あったこと全てを話した。鏡の中の世界のこと、そこにいた巨大蜘蛛に赤い龍、そして蝙蝠騎士のことまで、全てを。
「そう……あなたが、そうだったのね。」
「え?」
 結衣が何か深く考え込んでいると、店の奥の洗い場にいた無愛想な男がこちらにやってきた。
「そうか、お前があのときのバカか。」
「バカってアンタ初対面の人に向かって……って、その声! アンタもしかしてあの時の!!」
「あぁそうだ。お前、デッキは持ってるか?」
「デッキ? あぁ、あの時拾ったやつか。持ってるけど。」
 真司は上着のポケットをゴソゴソとまさぐると、そこから昨日拾った黒いカードデッキを取り出してみせた。
「これ拾ってから、なんか変なんだよ。ずっと視線を感じるというか……凄く嫌な気配っつーかさ。」
「ならそのデッキは俺が預かろう。そしてお前は大人しく帰れ。さぁ、出口はこっちだ。」
 男はそう言って真司からデッキを奪い取ると、上着の襟を乱暴に掴んだ。その力はとても強く、必死に暴れる真司の抵抗をものともしなかった。
「お、おい! 何なんだよお前!! 離せよ!!」
「やめて! 蓮!! その人、モンスターに狙われてるんだよ。蓮だって分かってるはずでしょ!?」
 結衣の呼び止めに応えてか、その男——蓮は、真司から手を離した。
「分かってるさ、結衣。だが心配はいらない。あの龍は、俺が倒すからな。」
 蓮は優しい笑顔を浮かべながらそう言うと、デッキをそばの机の上に置いて、真司を睨みつけながら店から出ていってしまった。もちろん、真司も睨み返してやった。
「ごめんね、蓮も悪い人じゃないんだけど。ちょっと素直になれないっていうか。」
「あー、いいよいいよ。それよりさ、モンスターに狙われてるって……やっぱり何か知ってるんだよね?」
「あ、うん……もう話すしかない、か。」
 結衣は店の外看板を「OPEN」から「CLOSE」に反転させると、真司の向かいの席についた。
「あなたが迷い込んだ世界は、ミラーワールド。鏡の向こう側の世界よ。あそこにはミラーモンスターっていう恐ろしい怪物たちが住み着いてて、腹を空かして時折現実世界の人間を捕食しているの。もちろんそんな現実離れしたことなんて誰も気づけないから、世間では"謎の"行方不明事件として処理されてる。これが事件の真相よ。」
「そうか……そういうことか。じゃあ、行方不明になった人みんな……もう、この世には」
「えぇ、いない。みんな、人知れずモンスターの犠牲になっている。」
 戦慄した。OREジャーナルで見た行方不明者リストに載った名前は、決して少ない数ではなかった。
「じゃあアイツ……あの、蓮が変身してた蝙蝠の騎士は?」
「あれは、仮面ライダーナイト。モンスターに対抗するための、唯一の手段。あの騎士の姿になればミラーワールドとこっちの世界を自由に行き来できるし、モンスターと戦う力も得られるの。」
「なるほど、な……そんなことが。さっき言ってたけど、俺もモンスターに狙われてるのか?」
「赤い龍、二人を襲ったヤツね。アイツはあなたを捕食しようと狙ってる。でも、大丈夫。このカードデッキに入っている封印のカードが、あなたを守ってくれる。それに、きっとあの龍も蓮が倒してくれるから……安心して。」
 結衣はそう言いながら蓮が置いていった黒いカードデッキを手に取ると、真司に渡した。
「ありがとう。なんか、すごい話だな……。」
 結衣から聞かされた全ての話が、今まで真司が積み上げてきた常識から乖離していた。
 真司は戸惑い、そして——
「でも、許せないな。何の罪もない人たちが、誰にも知られないまま命を落とすなんて。」
 怒りに震えた。真司は、人生で初めて怒りで拳を震わせていた。
「真司くん……。」
 そんな店内の重苦しい雰囲気を破るように、真司の携帯からコール音が鳴り響いた。編集長の大久保からであった。
「はい、編集長?」
『おーい真司。お前何処ほっつき歩いてんだよ……また、なんか余計なことに首突っ込んでんじゃないだろうな?』
「あ、いえ別にそんなことは……すんません。それで、どうしたんすか?」
『あぁ、また行方不明事件だ。今度はショッピングモール。子連れの母親が、衣料品店の試着室に入ったまま姿をくらましたらしい。またあり得ない話だが……とにかく現場の様子、取材してこい。』
 大久保からの指示を受け、電話を切る真司。
「真司くん……もしかして、また。」
「うん。結衣ちゃん、俺ちょっと行ってくる!」
「え、行くって!? 真司くん、ちょっと待って!!」
 結衣の呼び止める声も、彼の耳にはまるで入ってこない。原因不明の行方不明事件。その全てが、鏡の中から襲いくる理不尽によってもたらされたものだった。
(クソ……ふざけんなよ。)
 真司は現場に向けてバイクを走らせた。
【四】
〜同日・都内"ショッピングモール・某衣料品店"〜
 現場は警官とマスコミを含めた多数の人間でごった返しており、まさに"混乱"状態であった。
「すみません、ちょっと通してください。すみません。」
 現場の様子を見ようと、人混みをかき分け進んでいく。そうして前へ出た真司が見たのは、一人うずくまり泣き暮れる少女の姿であった。
「ママ……どこいったの? 怖いよ……置いていかないで。」
 再び、拳を握り締める。怒りと決意に満ちたその思いを受け入れるかのように、戦いの幕開けを告げるあの耳鳴りが響き渡った。
「モンスターは……屋上か。」
 真司は、デッキを掴んだ。
〜都内"ショッピングモール・屋上"〜
 真司が屋上のガラス窓の前に立つと、以前ナイトが倒したはずの蜘蛛のモンスターが満足げに"そこ"に立っていた。
「お前は……俺が倒す!」
「お前では無理だ!!」
 その声の主——蓮は、ゆっくりとこちらにやってきた。その表情は、以前花鶏で会った時よりも明らかに険しいものであった。
「あんた……でも俺は! 許せないんだ!!」
「そんなあやふやな想いでデッキを握る貴様に、この戦いは勝ち残れない。一度自分の意思で戦いに足を踏み入れれば、二度と戻ることはできない。永遠に戦い続ける。お前にその覚悟があるのか?」
「俺……俺は……」
「黙って見ていろ。」
 蓮はそう言って真司を押し退けると、力強くデッキを前に構えた。
「変身!!」
 次の瞬間、鏡から現れた鎧が蓮の身体を包んだ。鏡に吸い込まれるように、ナイトがその姿を消していく。その様子を、真司は黙って見ていることしかできなかった。
「……ちくしょう!!」
〜ミラーワールド"ショッピングモール屋上"〜
 ナイトはウイングランサーを構えながら、ゆっくりと目の前の蜘蛛のモンスター『ディスパイダー・リボーン』と向かい合った。
「まさかモンスターの中に再生能力があるヤツがいるとはな。今度こそ、完全に仕留めさせてもらう。」
 深く踏み込み、間合いを詰めて一気に斬りかかる。しかしそんなナイトの渾身の一振りを、D・リボーンは一跳びで避けてそのままガラス窓に張り付いてみせた。
「以前より、機動力が増している……?」
 警戒するナイト目掛けて、怪物が攻撃を仕掛ける。しかし今度吐き出したのは蜘蛛糸ではなく、鋭くとがった高硬度のトゲであった。
「……くっ!」
 次々と襲いくるトゲを一本一本ウイングランサーで叩き落としていく。しかし絶え間なく続く猛攻に、ナイトは少しずつ、しかし確実に追い詰められていた。
〜都内"ショッピングモール・屋上"〜
 蓮の戦いをじっと見つめる真司は、自分の中で抑えきれない"何か"が確実に大きくなっているのを感じた。
「真司くん、大丈夫?」
「……結衣ちゃん。」
 結衣がこちらにやってくる。きっと慌ただしく店を飛び出した真司を追って来たのだろう。
「……俺も、アイツみたいに戦えるのかな?」
「それは、無理。蓮みたいに戦うってことは、つまりモンスターと契約するってこと。そうなったら、契約したモンスターに餌を与えるために一生他のミラーモンスターを狩らなきゃいけなくなる。そうしないと、自分が食べられちゃうから。」
「一生戦い続ける……アイツが言ってたのは、そういうことか。」
「ねぇ、私は真司くんに戦ってほしくない。あなたは良い人だから。傷ついてほしくないの。」
「……」
 真司は、デッキから封印のカードを取り出した。これがあれば、一生モンスターに襲われることはない。いつも通り仕事をして、何事もなかったように日常に戻れる。

 すぐそばに迫る脅威から、目を逸らしながら。

「結衣ちゃん……ごめん。」
「え?」
 真司は、封印のカードを破り捨てた。真二つに分かれたカードはポトリと地面に落ちると、光の粒子となって消えていった。
「何してるの……真司くんだって気づいてるでしょ!? あの龍が、もうすぐそこまで迫ってるんだよ! そのカードがないと、食べられちゃうんだよ!?」
「結衣ちゃん。俺、嫌なんだ。すぐそばで悲しんでる人がいて。俺にはできることがあって。でも何もしないなんて、俺には……」
「俺には、できない。」
 結衣の目を、じっと見据える。真司にはこれしかなかった。すでに、覚悟は決まっていた。
「……もう、あなたが助かる道はこれしかない。」
 結衣は、デッキから事前に抜き取っていたであろうカードを一枚真司に手渡した。
「それは、契約のカードよ。真司くん」
「あの龍と、契約して。」
 ゆっくりと頷き、鏡の前で契約のカードをかざす。
 すると真司は再び光に包まれ、そして——
〜ミラーワールド"ショッピングモール屋上"〜
<GUARD VENT>
 ダークバイザーにカードをセットしたナイトに、攻撃を防ぐ"防壁"となるマント『ウイングウォール』が装備された。しかし、間髪入れずに発射される無数のトゲがその表面に食い込んでいく。防戦一方となったナイトが敗北するのは、もはや時間の問題であった。
(くっ……なら!)
 意を決してマントを脱ぎ捨て横に飛び退いたナイトを、D・リボーンの蜘蛛糸が捕らえた。完全に意表をつかれた形で、その場に倒れ込むナイト。
(やられる……!!)
 再び怪物の口腔から、複数のトゲが一気に発射される。もはやナイトに、それを防ぐ手立ては残されていなかった。
(終われない……こんなところで……!!)
「俺が助ける!!」
 次の瞬間、割って入った一人の戦士が、拳と蹴りだけでそれらを全て叩き落とした。
 それは赤いアンダースーツと銀の鎧を身に纏った龍の戦士、『仮面ライダー龍騎』であった。
「お前まさか……あのバカか?」
「悪いな、アンタの忠告無視して。でも俺、決めたから。誰かを守るために……そのために、俺は戦い続ける。」
「……お前。」
「っしゃあ! ケリをつけるぜ!!」
 左腕の龍の頭部を象った手甲型召喚機『ドラグバイザー』に、カードをセットする。
<SWORD VENT>
 そうすることで、龍騎はドラグレッダーの尾を模した剣『ドラグセイバー』を装備した。そしてそのまま一気に跳びあがり、D・リボーンの胴体を斬りつける。
 その動きには一切の迷いがなく、また初めてとは思えないほど機敏で的確であった。それは彼の誰かを守りたいという強い想いが成した業であり、ナイトはそこに確かな"センス"を感じた。
(城戸真司……仮面ライダー龍騎。ヤツは)
「これで終わりだ!」
 龍騎は、ドラグバイザーに再びカードをセットした。
<FINAL VENT>
 大きく構える龍騎の周りを、契約モンスターであるドラグレッダーが炎を纏いながら旋回する。それは巨大な渦となり、龍騎はその渦とともに空中に大きく跳んだ。
「はあぁあ……!」
 空中で、渦に巻かれながら蹴りの姿勢を確立する。そして次の瞬間、その渦によって力強く前に押し出された龍騎の飛び蹴りが敵の巨体に直撃した。
「グオォォォォオオ……」
 致死の衝撃により吹き飛ばされ、炎に呑まれながら砕け散っていく蜘蛛の怪物。
 こうしてディスパイダーは今度こそ完全に倒れ、後には二人のライダーが残るのみとなったのだった。
「ふぃ〜……というわけだからさ。これからよろしくな、蓮。」
「城戸真司……仮面ライダー龍騎。お前は」
「ん?」
「お前は、危険だ。」
 龍騎の鎧を、ナイトのダークバイザーが削いだ。その力強い剣撃により、思わず片膝をつく龍騎
「ぐあぁ……ぉ、おい! 何すんだよいきなり!!」
「お前は何もわかっていない。ライダーが背負う、真の戦いの宿命を!!」
「ちょ、待てって!!」
 振るわれた二撃目の一太刀を、龍騎はドラグセイバーの刀身で防いだ。しかし、ナイトは止まらない。
「甘い!」
 ドラグセイバーをダークバイザーの刀身で巻き取るようにして空中に弾き飛ばすと、そのまま無防備になった龍騎に刃を振り下ろす。二撃、三撃。次々と繰り出されるナイトの容赦ない猛攻に、龍騎は満身創痍で遂にその場にへたり込んだ。
「なんでだよ……アンタ。ちょっと、信じてたのによ……」
「……俺は、ライダーだ。お前も。だから、俺はお前を倒さなければならない。」
「なんだよ……それ……。」
「ウォォォォ!!」
 龍騎の首めがけて、振り下ろされる刃。だがそれは、彼の首筋を断ち切る直前で止められた。
 ナイトのダークバイザーを、"同じ"ダークバイザーが受け止めていたのだ。
「……! 何故、お前が?」
「結衣ちゃんに呼ばれてな。もうここまでだ、蓮。」
 その戦士は、紅いエイを象った鎧を身に纏っていた。その名も『仮面ライダーライア』。
 その日真司は、二人の戦友と出逢った。
【五】
〜某日"喫茶・花鶏"店内〜
「お前、ふざけんなよ! 何考えてんだよいきなり襲ってくるなんて!!」
 怒り心頭で蓮の胸ぐらを掴む真司であったが、蓮は相変わらず冷静な、しかしどこか面倒そうな表情を崩していなかった。
「まぁ、アンタの気持ちは分かるけどな。こいつはその程度で動じたりする男じゃない。一旦落ち着いてその手を離せ。」
「……なんか本人以外に止められるのもちょっとシャクだけど、分かった。」
 鼻息を荒くしながら、真司は自分を宥めた男の向かい側に座った。そいつは真司と同じか一つ上程度の歳に見え、蓮に劣らずとても"クール"であった。
「あの、さっきは助けてくれてありがとう。えっと……」
「すまない、自己紹介が遅れたな。俺は手塚海之。アンタや蓮と同じ仮面ライダー、ライアだ。宜しく。」
 そう言うと手塚は、力強く右手を前に差し出した。
「おぉ……こちらこそ、よろしく。」
 真司と手塚が固く握手を交わす横で、蓮は聞こえるようにわざと大きくため息を漏らすと、ぶっきらぼうに店から出ていってしまった。
「なんだよ、アイツ。人のことあんなに痛めつけといてごめんの一言もナシかよ……。ていうか俺、なんでボコられたんだ? なんか気に障るようなことしたかな……」
 一人でぶつぶつ言いながら考え込む真司を見て、手塚はクスりと笑ってから口を開いた。
「いや、お前は悪くない。結衣ちゃんから聞いてはいたが、本当に何も知らずにライダーになったんだな。」
「な、何も知らず……? そんなことないぞ! ちゃんとモンスターの脅威も知ってるし、ずっと戦う覚悟だってある!」
「なら、お前は何のために戦うんだ?」
「なんでって、そんなのモンスターから人々を守るためだろ? 当たり前じゃないか。」
 そう言いきる真司を見て、手塚はさっきの蓮と同じように大きなため息をついた。
 真司は、少し機嫌を損ねた。
「な、なんだよ……?」
「それを何も知らないと言ってるんだ。まぁ説明を聞く間も無く飛び出したらしいから仕方ないが……アンタ、よく関係ない他人の問題に首を突っ込んで苦労してるんじゃないか?」
 まるで全てを見透かしたような手塚のその言葉に、真司はたまらずそっぽを向いた。
「べ、別に俺のことはいいだろ……。それで? 俺の知らないライダーの戦いってやつについて、教えてくれよ。」
「あぁ、単刀直入に言おう。ライダーは複数いる。その数は俺やお前、そして蓮を含めて計十三人。」
「そんなにいるのかよ!? じゃあそいつらと全員で協力すればモンスターなんか……」
「話は最後まで聞け。ライダーになるものは皆、どうしても叶えたい願いを背負っている。そして、その願いを叶えるためにライダーたちは……」

「殺し合う。」

〜翌日・深夜"OREジャーナル近辺"〜
 真司は"黄金のザリガニ"を見つけたという老人の取材を終え、気晴らしも兼ねて夜食を買いに外に出ていた。当日のうちに記事を仕上げろという大久保の命に従って徹夜業務を敢行してはみたものの、とても記事を書き上げられる気がしなかったのだ。それは昨日手塚から聞かされた話が、ずっと頭から離れなかったからであった。
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「こ、殺し合うって!? 何でライダーが殺し合うんだよ!? てか、人殺しって! 普通にダメだろ!!」
「落ち着け、城戸。そもそも"モンスターを倒すという行為自体" が、俺たちライダーの戦いの副産物みたいなものなんだ。」
「副産物……?」
「結衣ちゃん、俺から話しても大丈夫か?」
「……うん、お願い。」
 そう手塚に告げる結衣の表情は、やはりどこか哀しげであった。
「俺たちは皆、ある人物からカードデッキを渡されてライダーになっている。勝って自分の願いを叶える、ただそれだけのためにな。」
「その、ある人物って……?」
「結衣ちゃんのお兄さん、神崎士郎だ。」
「えっ……!?」
 神崎士郎。行方不明事件最初の被害者であり、結衣の兄。真司がこの花鶏にやってきたきっかけでもあった。
「結衣ちゃんのお兄さんが、みんなにライダーの力を……? でも、俺は会ってないぞ。」
「それは、お前が本来ライダーになるべき人間ではなかったからだろう。神崎がデッキを渡した相手はおそらく、榊原耕一。まぁ、ライダーになる前にモンスターに喰われてしまったようだがな。」
「そうか……でもなんで? その願いのために戦うことと、ライダーが殺し合うことがどう関係してくるんだよ?」
 手塚は小さなため息をつくと、話を続けた。その所作から、真司は手塚がこの戦いに消極的であることを悟った。
「ライダーは皆、最後の一人になるまで殺し合う。そして、最後の一人になったライダーのみが神崎士郎に再び会うことを許され、自分の望みを叶えることができる。それが、ライダー全員が神崎士郎から吹き込まれている話なんだ。」
「そんな、バカな……」
「そういうバカなことにしか賭けられないやつらが本来ライダーになるべき人間なのさ。でもお前はそうじゃない。ただのいい奴だ。それが分かっていたから、蓮も結衣ちゃんもお前がライダーになるのを止めたんだろう。」
 真司はこのとき、まだ自分が何も知らないことを恥じた。ライダーが背負う宿命の本当の意味を知った今、真司はほんの少しだけ戸惑っていた。が、
「……やっぱ俺、理解できない。」
 真司は、拳を握りしめた。真司の中の"何か"が、再び大きくなっていた。
「自分の願いのために、他人を傷つけるなんて……どんな理由があっても許されることじゃない! 俺は認めない……そんな、戦いは。」
「なら、アンタはどうする? 戦わずに死ぬのか?」
「俺が止めるよ、戦いなんて。みんなと話し合って、戦いをやめさせる。もちろん神崎とも。」
 真司のその言葉を聞いた手塚は、先ほどよりも少しだけ大きく笑った。その表情は、どこか満足げであった。
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「とは言ったものの、どうすりゃいいんだこれから? 俺、まだ蓮と手塚としか他のライダーと会ったことないもんな……」
 真司が暗い夜道で考えを巡らせていると、突如あの"耳鳴り"が響き渡った。しかしそれは、何かいつもと少し様子が違っていた。
「くそ、なんなんだよこんな時間に……」
「お前が、城戸真司か?」
「えっ?」
 声がした方を見てみると、その声の主は鏡に映り込んだ状態でこちらを見ていた。正確には、鏡の"中に立っていた"。
「うわっ……!?」
「そう驚くな。俺は、お前の敵ではない。寧ろ味方と言っていいだろう。」
 その男は少し痩けた、どこか薄暗い印象を与える表情をたたえており、真司は彼になんとも言い難い不気味さを感じた。
「味方って、どういうことだよ? いきなり鏡の中から話しかけてこられてそんなこと言われても信用できないだろ。まず、アンタは誰なんだよ?」
「フッ……そうだな。まず名乗ろう。俺は、神崎士郎。お前たちライダーに、願いを叶える力を与えるものだ。」
「お前が、神崎士郎……?」
 結衣の兄、神崎士郎。その名を聞いて、真司は身構えた。次に鏡の向こうのその男が何を言うか、少しではあるが想像がついたからだ。
「単刀直入に聞こう。お前の願いはなんだ? 戦いに勝ち残り、最後の一人になった時に叶えたい願いは?」
「……やっぱそうくるか。」
 真司の脳裏に、結衣の哀しそうな表情がよぎった。そして、今までモンスターの犠牲になってきた人々のことも。
「お前……結衣ちゃんのお兄さんなんだろ? ずっと心配させて、一人にして苦しい思いさせて。お前はなにがしたいんだよ? お兄さんなら、結衣ちゃんのそばにいてやれよ!」
「お前の、願いはなんだ?」
 神崎は、真司のその言葉に一切の反応を示さないまま同じことを繰り返した。まるで、死人のように冷たい一言であった。
「無いよ……他人を犠牲にしてまで、叶えたい願いなんて。アンタはそうやっていろんなやつを口車に乗せてライダーにしてきたんだろうけど、俺はそうはならない。俺は、誰かを助けるために戦う。それだけだ。」
「ならばお前はいつか死ぬだろう。なんの願いも持たない人間が勝ち残れるほど、この戦いは甘くない。」
 神崎はそれだけ言うと、瞬きする間もなく忽然とその場から姿を消した。
「おい待てよ! 俺はまだお前に聞きたいことが……」
 その時、その場に大きな悲鳴が轟いた。そして、真司の真横にスーツを着た男の死体がどさりと鈍い音を立てて落ちたのだ。
「なっ……?!」
 真司が頭上を見上げると、煌々と輝く満月を覆うように巨大なコウモリが飛んでいた。ナイトの契約モンスターである、ダークウイングであった。
「なんでダークウイングが……!? まさか!!」
 急いで周囲を見回すと木の影に一人、バイクに跨る見知った男の姿があった。
「おい……蓮! お前、なんでこんなとこにいんだよ?」
 蓮は面倒そうにため息をつくと、真司のほうを睨みつけた。
「別に……お前の方こそ、こんな夜中にふらついてどうした? まさか、その歳で家を追い出されたとかじゃないだろうな?」
「なっ……!? ば、バカ言え! そんなわけないだろ!」
「フン、まぁいい。お前と話していても疲れるだけだからな。俺は退散させてもらおう。お前も、油断して野生のモンスターに殺られないようにな。」
 蓮は小馬鹿にするように鼻で笑うと、わざと真司にエンジンの煙を浴びせながらその場を立ち去った。
 気づけば、空中にいたダークウイングもその姿を消していた。
「ゲホッゲホッ……!? あのヤロウ!! 相変わらずムカつくぜ。って、いけね。警察と救急車、呼ばなきゃ。」
 数十分後、警察と救急車がやってきた。しかし、真司の通報は勘違いによるものとして迷惑がられながら一蹴されることとなった。何故なら、つい先ほど空から落ちてきた遺体が、"忽然と"消えていたからだ。
「だから! 何度も言ってるでしょ!! そこにあったんですって!!! 遺体が! 男の人の遺体が!!」
「あー、もういいから。きっと遅くまで仕事してたから疲れちゃったんだよ。家、わかるかな?」
「クソー! もういいよ!! こう見えても俺、二十三歳だぜ!? 家くらい、わかるわ!! もう帰る!!」
 真司はそうやって声を荒げると、イライラしながらオフィスに戻ったのだった。

「……家に帰るんじゃないのか?」

 警官が、ぼそりと呟いた。
【六】
〜翌日・朝"喫茶花鶏・店内"〜
 結局なんとか徹夜で原稿を仕上げ切った真司は、そのまま寝ずに花鶏にやってきていた。真司のなかで、一つの大きな疑念が渦巻いていた。
「真司くん、おはよう。どうしたの? こんな朝早くに。」
 モップがけを終えた結衣が、カウンターに腰掛ける真司に話しかけた。
「あぁ、結衣ちゃんあのさ……蓮とは、どれくらいの付き合いなの?」
「え?」
 昨夜のあの出来事。真司は間違いなく男の死体を見た。そして空にはダークウイング。傍には、蓮。真司はどうしても、彼を疑うことをやめられなかった。
「いや、この前もいきなり襲われて殺されかけたし……昨夜、男の人の遺体を見たんだ。それで側には蓮と、ダークウイングがいて……あいつが自分のモンスターにやらせたのかも。だから、結衣ちゃんもあんまり蓮のこと信用しない方がいいんじゃ……ってさ。」
 そこまで言って、真司は結衣のこちらに向ける目線がとても冷たくなっていることに気づいた。
「どうして、真司くんにそんなことが言えるの?」
「え?」
「真司くんはまだ蓮のこと何も知らないじゃない。私は、知ってる。蓮がどうして戦ってるのか。彼が何を背負ってるのか。私から見れば、真司くんのほうがちょっと信用できないよ。まだ弱いし。言ってることも綺麗事ばっかりだし。」
「お、俺は……」
「一年。私は、蓮と一年行動を共にしてきた。死にかけるくらい危険な戦いを、私は何度も見てきた。でも、蓮は決して諦めなかった。何度倒れても、その度に立ち上がった。真司くん」

「あなたに、それができるの?」

 真司は、何も言い返すことができなかった。正直分からなかったからだ。変身したのもまだ一度だけ。傷ついて倒れたことはない。もしそうなったとき、それでも逃げ出さずに戦い続けられるのか。真司には、分からなかった。
「……でも」
 それでもひとつだけ、分かっていることがあった。それは、自分がこの戦いにかける想い。それだけはハッキリと、その胸中に刻み込まれていた。
「俺は、自分ができることをする。今はこのライダーの力で、モンスターから誰かを護りたい。」
「……真司くん。」
「ごめん結衣ちゃん。俺がバカだった。今の話は、忘れてくれ。」
「……うん。」
 真司は、店を出た。自分で確かめたいと思った。秋山蓮という男が、どんな男なのか。そしてこの戦いで、何を背負っているのか。
〜同日・昼"喫茶花鶏・近辺"〜
 真司はトボトボと、肩を落としながら側道を歩いていた。そんな彼に、声をかけるものがいた。
「よぉ、城戸。ずいぶんと"堪えた"顔をしているな。何かあったのか?」
「あぁ、手塚か……ちょっと話、聞いてくれよ。」
〜都内・"某ファミリーレストラン・店内"〜
「なるほど、それは結衣ちゃんも怒るだろうな。俺だって怒る。」
「はぁ……でもさ。俺が話してることだって全部本当のことなんだよ。あの龍と契約した今なら分かる。アイツらは契約しても、根は変わらない。人を喰いたがってるんだ。だからもしかしたら蓮だって……」
 手塚は、人差し指を自分の口に当ててその先の発言を制した。その目つきはとても鋭く、真司も自分の言葉をぐっと飲み込むしかなかった。
「城戸……とりあえず一度、蓮から話を聞いてみろ。全力でぶつかって、アイツの本気を確かめるんだ。」
「ぶつかるったって……アイツがどこにいるかすら分かんないんだぜ?」
 手塚はフッと微笑むと、心配ないといった面持ちで真司に告げた。
「アイツの契約モンスター、ダークウイングの気配を追うんだ。」
【七】
〜同日・都内裏路地"スラム街"〜
 秋山蓮は、自分に絡みつく"息苦しさ"を拭うように拳を奮っていた。そこは都内の一角に位置した、誰の助けも届かない場所であった。
「グハァッ……!!」
 蓮に顔面を殴られ倒されたその男は、こめかみを抑え恨みがましい眼でこちらを見ながらそそくさと立ち去っていった。もう、何人と喧嘩したか分からない。蓮は昔から"うっぷん"が溜まったときは、よくこのスラム街で喧嘩してそれを発散していた。

彼女と出会うまでは。




「うはぁ……蓮のやつ、こんなとこにいんのかよ? 危ないなぁ。」
 真司がダークウイングの気配を追って辿り着いたのは、薄暗いスラム街であった。道端には喧嘩の後であろう、全身傷だらけの若者から大人までがうずくまったり横たわったりしている。通常であれば、到底真司が足を踏み入れることのない場所であった。
(蓮、ほんとにここにいるのか……?)
「お前、こんなとこで何をしている?」
「げっ!? すみません怪しいものじゃ……って、蓮?」
 彼に声をかけたのは、蓮であった。蓮の顔は誰かに殴られたのか、青あざと傷で酷い有様であった。
「ここはお前みたいなバカが来るところじゃない。大人しく帰れ。」
「帰れってお前なぁ……そんな傷だらけのやつ、放っておけるかってんだよ! ほら、お前も一緒に帰るぞ! 手当てしてやっから!!」
〜〜蓮! またそんな怪我して……どこに来ようが私の勝手でしょ! ほら、蓮も帰ろう。手当てしてあげるから!!〜〜
「……」
「ん、蓮どうかしたか?」
「……いや、なんでもない。」
 その時、真司は蓮の顔が少し哀しさで歪んだような気がした。
「あぁ、そうだ。お前に聞きたいことがあんだよ。花鶏じゃちょっと聞きづらくてさ……。」
「なんだ? まぁなんにせよ、俺がお前の質問に答えてやる義理はないがな。」
「ぐぁっ、てめぇ……!!」
 真司がどう切り出したものかと悩んでいたそのとき。スラム街の奥から、男の悲鳴が聞こえてきた。
「うわぁぁぁぁあ!」
「「!?」」
「蓮、今のって!?」
「あぁ、モンスターだ。だがもう気配がない……逃げたな。昨日と同じやつだ。」
「昨日って、もしかして昨夜の!?」
「あぁ。奴ら、常に複数で動いているのか気配を散らせるのが上手い。しかも猛スピードで近づいて標的を捕食すると、また一気に移動してこちらの気配探知範囲から抜けていく。全く厄介なモンスターたちだ。」
 真司は、理解した。蓮はあのとき男を助けようとしていたのだ。だが届かなかった。その喪失感だけは、自分にも分かる気がした。
「蓮……ごめん。」
「突然どうした? まぁいい、奴らまた来るぞ。デッキを構えろ。」
「……あぁ。」
「その戦い、俺も混ぜてくれ。」
 その声の主は、手塚であった。思わぬ人物の合流に蓮は面倒そうな表情で、しかし少し嬉しそうに声をかけた。
「手塚……お前、どうしてここに?」
「まぁそんなことはいいじゃないか……それより城戸。」
「ん?」
「疑惑は晴れたようだな。」
「はぁ……やっぱアンタは、なんでもお見通しか。」
 どんどんとモンスターの気配が近づいてくる。一体、二体……全部で、三体。三人は顔を見合わせると、立ち並んでデッキを構えた。
「「「変身!!」」」
 今三人の戦士たちが、鏡の世界に並び立った。
〜スラム街・ミラーワールド〜
 龍騎・ナイト・ライアが対峙したのは、人型のレイヨウのようなモンスター『オメガゼール』とその眷属であった。ゼールたちはそれぞれ咆哮を挙げると、怒りに満ちた眼でこちらを見据えた。
「右のやつは俺にやらせろ。あのとき、男を助けられなかった……そのリベンジだ。」
「なら俺は左だ。真ん中はお前に譲るぞ、城戸。」
「おぅ。それと、二人とも……死ぬなよ。」
「「あぁ。」」
 三人それぞれが、散り散りとなって戦いに赴いた。
〜『ライアVSギガゼール』〜
 ギガゼールは今一度大きく咆哮を挙げると、ライア目掛けて飛びかかった。それを、横に転がることで避けるライア。そうしてすぐさま体勢を立て直すと、左腕にあるエイを模した小楯型の召喚機『エビルバイザー』にカードをセットした。
<SWING VENT>
 その手に、伸縮自在のムチ『エビルウィップ』が収まる。彼はそれを素早くギガゼールに巻き付けると、ムチから高圧電流を流して攻撃した。たまらず膝をつくギガゼール。尚もライアの猛攻は続き、後頭部の弁髪状のパーツ『ライアエンド』を巻き付けて捕縛し直すと、エビルウィップによる連打を叩き込んだ。
「グアァ……」
「来い! エビルダイバー!!」
<FINAL VENT>
 発動されたファイナルベントに呼応し、空から紅いエイ型のモンスター『エビルダイバー』が飛来する。
 ライアは地面スレスレで滑空を開始したそれに飛び乗ると、そのまま怯んで動けなくなったギガゼールに特攻を仕掛けた。エビルダイバーの電磁力を帯びた"ヒレ"がその腹を切り裂き、たまらず爆散するギガゼール。こうして、戦いはライアの勝利で終わったのだった。
〜『龍騎VSメガゼール』〜
「この野郎、ちょこまかすんな!」
 龍騎は、苦戦を強いられていた。ドラグセイバーで斬りかかろうとする彼の頭上を、まるで挑発するかの如くメガゼールは跳躍し翻弄していたのだ。距離を詰めようとするたびに車輪の如く縦に回転しながら、敵が自身を跳び越していく。その繰り返しに業を煮やした龍騎は、なんとも突飛な戦法に転じた。
「こんのやろっ!」
 なんとメガゼールの次の着地地点を予測し、そこ目掛けてドラグセイバーを投げつけたのだ。
「グアァ!?」
 そんな苦し紛れな一撃は運良く相手の意表をつき、偶然にもその脳天に直撃した。
「グオォ……」
 たまらずよろけるメガゼール。ようやく訪れた攻撃のチャンスに、龍騎は嬉々としてカードをセットした。
「えっと……これだ!」
<STRIKE VENT>
 その右腕に、空中から飛来した"ドラグレッダーの頭部を模した手甲型の打撃武器『ドラグクロー』が装備される。
「えっと……これは、どうやって使うんだ?」
 あまりにも奇天烈な見た目の武器に、思わず戸惑う龍騎。しかしそうやって戸惑っている間にも、メガゼールは体勢を立て直そうとしていた。
「やべっ。えっとえっと……よしっ、こうだ!」
 彼はドラグクローで、とりあえずメガゼールの顔面を殴りつけた。どうやらその使い方は正しかったらしく、メガゼールはそのまま殴られた顔面を基点として大きく後方に吹き飛ばされたのだった。
「おおぉ……ど、どうだ! モンスター!!」
 そんな龍騎の背中を、謎の一撃が襲った。重々しく振り下ろされたその槍の一撃は、彼の背面の鎧を深く削いだ。
「ぐぁっ……くそ、もう一匹いやがったのか!?」
 それは、群れの危機に駆けつけた四匹目のメガゼールであった。
「クソが……今の、結構キツかったな。動けねぇ……」
 そんな敵の様子を見て、勝利を確信したかの如く雄叫びをあげる二匹。しかし、龍騎にはまだここで終われない理由がある。
「俺はまだ、誰も助けられてねぇ……! こんなとこで死んだら、ライダーになった意味がないんだよ!!」
 歯を食いしばり、痛みを堪えながら立ち上がる。今の龍騎には、それが精一杯であった。
「ハァ……やっぱ蓮って、凄いやつだったんだな……」
「城戸! 大丈夫か!?」
「……!?」
 龍騎に駆け寄ったのは、戦いを終えてこちらにやってきたライアであった。
「手塚……もろに食らっちまった。あんまし、動けねぇ。」
「なら、俺のいう通りにしろ。大丈夫だ。少し動いてくれれば、それでいい。」
「あぁ……分かった。」
 龍騎の返答を聞いたライアはこくりと頷くと、エビルバイザーに素早くカードをセットした。
<COPY VENT>
 その機械音に反応し、龍騎の右腕に装わったドラグクローがまるで鏡像のようにその数を増やした。そしてそのまま、それがライアの右腕に装備される。
「そんなカードもあるのか……。」
「感心している場合じゃないぞ。さぁ、お前も後に続いて構えろ。俺の真似をするんだ。」
「おぉ……!」
 ライアの動きを真似て、ドラグクローを肩の高さで水平に構える。そうして一度頭の後ろまで引くと、それを一気に前方に突き出した。突き出された二対のドラグクローが、まるで生きているかのように咆哮をあげながら大きく口を開く。そして、そこから灼熱の大火球がモンスター達に向けて発射され、二匹を業火で包みそのまま跡形もなく滅却した。二人の共闘が引き出した、その技の最大火力を遥かに凌駕した一撃であった。
「おぉ……すげぇ。手塚、ありがとな。」
「礼は早いぞ城戸。まだ戦ってるやつが一人いるんだからな。」
「そっか。蓮、まだ……あいつが。」
「あぁ。」
 それぞれの戦士達の戦いが決着し、残るは仮面ライダーナイト——秋山蓮の戦いを残すのみとなっていた。
〜『ナイトVSオメガゼール』〜
「……見たところ、お前が親玉のようだな。」
 ナイトが対峙していたオメガゼールは、他のゼールより一回り大きい体躯と角をもち、巨大な刺股状の槍を装備していた。
「グオォォォォォ!!」
 オメガゼールは怒り狂って雄叫びをあげると、ナイト目掛けて槍を振り下ろした。しかし、彼はそれを軽く避けてみせる。
「どうやら、手塚と城戸は生き残ったようだな。もうあとはお前と俺だけ、ということか。」
 ナイトはダークバイザーの刀身を鋭く前に突き出し、オメガゼールの喉元に突き立てた。悶えるモンスターを前にして、バイザーに必殺の一撃を放つべくカードをセットする。
<FINAL VENT>
 彼は空高く跳び上がると、巨大なドリルを形作った。高速で回転したそれは勢いよく降下すると、そのままオメガゼールの腹部を貫き、爆散させたのだった。
「悪いがお前に時間を割いてやれるほど、俺は甘くない。」
〜同日・夕方"スラム街"〜
「いや〜、みんな無事でよかったよかった!!」
 戦いを終えた三人の戦士たちが、ミラーワールドから帰還した。再会を喜びはしゃぐ真司に、蓮は思わず顔をしかめた。
「……手塚、こいつを黙らせてくれ。鬱陶しい。」
「まぁ、いいじゃないか。」
「そうそう! せっかく出会えた仲間だしさ。仲良くしようぜ!」
「……仲良く?」
 蓮はハッとした様子で、しかしすぐにいつもの険しい表情に戻ると何も言わぬまま背を向けてしまった。
「おい……どうしたんだよ、蓮。」
「城戸……俺たちは、仲間ではない。敵だ。」
 辺りに冷たく重い空気が流れる。そのまま無言で歩き去る蓮を、真司は引き止めることができなかった。その背中は、どこか寂しく危うささえ背負っているように見えた。
「なぁ……手塚。」
「なんだ?」
「あいつがこの戦いで叶えたい願いって……なんなんだよ?」
「……いいだろう。お前には話しておく。あれは、今から一年前に起きた。」

「その悲惨な事件が、俺たちの運命を狂わせたんだ。」

【八】
〜一年前"或る日の追憶"〜
 蓮はその日も、夕日で紅く染まった河道で愛車のShadow Slasherを走らせていた。すぐ横では、高校からの腐れ縁である手塚が並走している。
「お前まで付いてくる必要はないぞ、手塚。」
「だろうな。だが蓮……俺は少し胸騒ぎがする。この後、何か大きな災いが降りかかるんじゃないかと……そういう不安がずっと消えないんだ。
「またお得意の"占い"か? しかし……不安とはな。」
 蓮は、恋人である小川恵里との会話を思い出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『最近大学の実験ちょっと遅く終わりがちだから、これからしばらく迎えにきてよ! 夜道怖いし!』
『お前はガキか。大学から家まで十分もかからないんだから、一人で帰れ。』
『えぇー。でもなんか最近、実験室の雰囲気ちょっと怖いんだよね……だからなんとなく不安っていうか……』
『怖い?』
『教授も神崎先輩もなんか必死っていうか……ずっと、何かに追われてるって感じでさ。』
『はぁ……仕方ない。迎えに行ってやるよ。』
『本当!? 蓮、ありがとう!』
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(全く……手のかかる女だ。)
 蓮はため息を漏らしながら少しバイクのスピードを上げた。手塚も同じくスピードを上げる。
 運命のときは、もうそこまで迫っていた。
〜同日・夜"城南大学・研究棟"〜
「……静かだな。」
 夜の大学はひと気がなく、薄暗い廊下はどこか不気味ささえ感じさせる。その日はいつもの時間から十分、三十分、一時間経っても彼女が出てこなかった。恋人を迎えに行くところをついてこられるのは何やら気恥ずかしかったので、手塚には大学の門前で待ってもらっていた。
 蓮の脳裏に、彼女の"怖い"という一言が否応なく響く。
(なんだ……この不安は。)
 蓮が、彼女が所属する研究室の扉の前に着いたのは、それからわずか十分後のことだった。扉をノックし、中の反応を確認する。
「すみません! ……おかしい。誰もいないのか?」
 いくら夜とはいえ、研究のために人が複数残っているなら何かしら気配があるものだが、その研究室はまるで誰もいないかのように静けさを保っていた。蓮の不安は、ますます大きくなった。
「……おい! 開けるぞ!!」
 勢いよく、その扉を開く。そんな彼の眼前に広がっていたのは、まるで"現実離れ"した光景であった。
「うっ……!?」
 床に転がる、死体。死体。死体。死体。そうして血塗れで倒れた彼らの遺体の上を、まるで勝ち誇るかのように悠々と翼を広げた巨大な蝙蝠が滞空していた。
「れ……ん……」
「……!? 恵里、恵里なのか!?」
 その声がしたのは、蓮の足元から。そこで、耳と腹から血を流した彼女——恵里は仰向けに倒れていた。
「恵里……! おい、しっかりしろ!」
「蓮……ごめんね、ずっと一緒に居てあげられなくて」
「そんなことはいい! 今救急車を!!」
「もういい……もういいの……」
 恵里の吐息は、とてもか細いものであった。その生命の灯火が消えるまでもうあと僅かだということを、蓮は悟るしかなかった。
「あなたは、すぐに自分を傷つけるから……もっと自分を、大切にして……」
「あぁ……あぁ。わかった。」
 次の瞬間、強張っていた小川恵里の身体はまるで糸の切れた人形のように力が抜け、そして二度と動かなくなった。声は出なかった。ただひたすら、蓮は涙を流し続けていた。



「……なぜだ。なぜ、こんなことに?」
 蓮はしばらく立ち上がることができなかった。抱きかかえた恵里の身体が今すぐにでも動き出さないかと、無惨な希望を捨てきれなかったのだ。
「お前、その女を生き返らせたくはないか?」
「……!? 誰だ!!」
 その場には蓮以外もう誰もおらず、しかしその声は、まるでそこにいるかのように生々しく響き渡った。
「俺は神崎士郎。お前にチャンスをやろう。その女を救う、チャンスをな。」
「救うだと……? ふざけるな。こいつは、恵里はもう死んでるんだぞ!!」
「だから生き返らせるチャンスを、お前にくれてやろうと言っている。」
 次の瞬間、蓮の傍に謎の男が立っていた。その男は少し痩けた不気味な顔をさらに不気味な笑顔で歪ませながら、懐から無機質なカードデッキを取り出してみせた。
「それは……なんだ?」
「これは、そうだな……お前が戦い、勝ち残って願いを叶えるただひとつの手段。これを受け取った時、お前の戦いは始まるのだ。」
 戦いが始まる。その言葉を聞いたとき、蓮は自分の運命が歪に変わり始めていることに気づいた。彼女との、小川恵里との思い出が少しずつ色褪せていく。
 その男が何を企んでいるのか、蓮には想像もつかなかった。しかし蓮は、もうそれに縋るしかなかった。叶えたい願い。それは、今蓮の腕の中でその息を引きとった最愛の彼女を、恵里を生き返らせること。
「このデッキを受け取り、俺は……何をすればいい?」
「これからお前と同じように、デッキを手にして戦士となった奴らが現れる。そいつらを倒せ。そうして最後の一人になったとき、お前は願いを叶えることができる。どんな願いでもな。」
 男が差し出したカードデッキに手を伸ばす。不思議と迷いも疑念もなかった。ただ、荒んだ心を紛らわすために路地裏で喧嘩に明け暮れたあの日々に。恵里が救い出してくれる前のあの日々に、戻るだけだと思った。
「やめておけ、蓮。」
「……手塚。」
 手塚はその頬を涙で濡らしながら、力強くこちらを見据えていた。
「そのデッキを受け取れば、お前に待っているのは破滅だけだ。俺はお前にまで、死んでほしくはない。」
「また"占い"か。」
「……あぁ、根拠はない。だが俺は一度も、自分のソレを外したことがない。」
 手塚はいつも全てを見透かしているような男であった。蓮はそんな彼の"占い"を信じ、考慮してきた。しかし今回ばかりは、そうできそうになかった。
「すまない、手塚。俺はもう……自分を止められない。」
「……おい、そこのお前。神崎とか言ったか?」
「なんだ?」
 手塚は少しだけ長いため息をつくと、今度はその男のほうを見据えて言った。
「俺にもそれをくれ。ただし俺の願いは、誰かを傷つけることじゃない。そいつを、蓮を守ることだ。」
「手塚……」
「……いいだろう。」
 男は再びニヤリと不気味な笑顔を浮かべると、パチンと指を鳴らした。そんな彼の呼び出しに応じたのか、紅いエイの怪物がヒビの入った窓越しにその姿を現す。
 こうしてその日、二人のライダーが誕生した。ナイトと、ライア。彼らと彼女の運命はその時を境に、大きくうねり出したのだった。
【九】
〜某日"都内・ファミリーレストラン店内"〜
「はぁ……。俺、一体どうしたらいいんだ……。」
 真司が、手塚から聞いた蓮の真実について目の前のオムライスをつつきながら考えを巡らせていると、店の外でけたたましいサイレンの音が鳴り響きはじめた。
「ママー、外うるさいよ。」
「はいはい……そうねぇ、外で何かあったのかしらね。」
 レジで会計を進める母娘を見ながら、真司はドラグレッダーと契約した日に見たあの女の子を思い出していた。
(……蓮もこういう風に、ライダーになった日のことを思い出したりするのかな。)
 次の瞬間、入り口の扉が荒々しく開いた。そうして入ってきた男は持っていた拳銃を一発天井に放って見せると、真司が見ていたレジ前の女の子を母親から引き剥がしてそのこめかみに銃口を突きつけた。
 あまりに、一瞬の出来事であった。真司はほんの少したじろいだものの、男の目に入らないうちに近くの物陰に身を隠した。
(え、ちょっと待てよ……!? なんだよこの状況!!)
「お前ら、今すぐ店の奥に集まれ! 早くしろ。」
「あまり俺を、イラつかせるな。」
〜数十分前・都内某所〜
 浅倉威はイライラしていた。つい先ほど葬った二人のライダー——ベルデとファムが、あまりにも歯応えのない相手だったからだ。
「あぁ……イライラするんだよ。」
 浅倉は通りすがった男の胸ぐらを掴むと、隠し持っていたナイフでその腹を切り裂いた。
 辺りに鮮血がほとばしり、悲鳴とパニックがその場を支配していく。通行人が呼んだ警官たちがやってくるのに、そう時間はかからなかった。
「浅倉威! そこまでだ!! 凶器を捨てて、おとなしく投降しろ!!」
 そう言って拳銃を突きつけるその刑事の顔に、浅倉は見覚えがあった。
「お前……須藤か? ハハッ、まさかお前ともう一度こうして会えるなんてな。嬉しいぜ、なぁ?」
「ふざけるな! もう一度、刑務所にぶち込んでやるぞ!!」
 須藤が気を荒立てて隙をつくったその一瞬。浅倉はナイフを勢いよく投げつけると、それを避けた須藤に一気に近づき、拳銃を奪い取って彼の眉間に突きつけた。
「……殺せ。ここで私を殺しても、仲間たちが必ずお前を捕まえるぞ。」
「なら、そいつらも全員殺すだけだ。」
 他の警官たちが須藤を人質に取られて動けないなか、引き金に指をかける浅倉。そんな浅倉の目に、人々で賑わうファミリーレストランが写った。
「……ハハッ。いいこと思いついたぜ、須藤。お前を殺すのは、お預けだ。」
「何?」
 浅倉は須藤の上着の襟を掴むと、他の警官の集団に勢いよく放ってみせた。たまらず倒れ込む須藤と、それを受け止める警官たち。浅倉はその間にガードレールを乗り越え、悠々と車道を横切って反対側の道に出ると、先ほど目に入ったファミレスの扉を開いた。
「お前ら、今すぐ店の奥に集まれ! 早くしろ!!」
 幼い少女を人質に取ることも、店の客たちを脅すことも浅倉にとっては自分を満たすための手段でしかない。
 浅倉威とは、そういう男だった。
〜同日・某時刻"OREジャーナル・オフィス"〜
「ったく……真司のやつ、どこほっつき歩いてんだ?」
 大久保は自分の席でルービックキューブをいじりながら、長らく無断欠勤を続けている後輩に悪態をついた。
「いいじゃないですか。城戸くんがいない分このオフィスの費用も浮きますし。何より落ち着いて仕事できますから。」
 令子は淡々とそう言いながら、取材に行くための身支度を整えていた。彼女には入社したての真司の教育係をお願いしていた頃があったが、その頃の彼女の眉間にずっと皺が寄っていたことを、大久保はよく覚えている。
「まぁそう言うなって。あいつにはあいつなりの信念ってやつがあるはずだからよ……にしても令子、やけに慌ただしいな。急な取材か?」
「さっき記者クラブの知り合いから聞いたんですけど、脱獄犯の浅倉威が都内のファミレス店に立て篭もったそうなんです。どうせすぐに情報も出回るだろうから、早めに現場行って良い取材場所確保しておきたくて。」
 浅倉威。令子がここ最近追っていた、無差別殺人を引き起こして収監後、脱獄して今も逃亡を続けている凶悪犯であった。
「……そうか、浅倉が。令子、張り切るのはいいが無茶だけはするなよ。」
「ありがとうございます。行ってきます。」
 凛とした姿勢で、令子がオフィスから出て行く。そんな彼女を見送りながら、大久保は件の浅倉威という男のことを考えていた。
(浅倉威、二十五歳。渋谷駅前で通行人を無差別にナイフで刺していった凶悪な男……か。にしてもやっぱ、動機が一番意味わかんないんだよな。イライラしたからって……そんな馬鹿な。しかし一度は逮捕されて拘置所にまで入れられてたってのに、どうやってまた娑婆に出てきやがったんだ? ほんと、怖ぇやつ……。)
 そのとき、大久保の携帯が鳴り響きメールの受信を知らせた。見てみると、それは問題児の後輩にして新人ジャーナリスト、城戸真司からのものであった。
「あの野郎、欠勤の謝罪ならメールじゃなくて直接来いってんだよ。」
 悪態をつきながらそのメールを開く。するとそこには謝罪などではない、大久保に大事を知らせる一文が綴られていた。
『今、変なやつが拳銃振り翳しながら俺が飯食ってたファミレスに立て篭りやがりました。俺も店内にいるんですけど、なんか事情知りませんか?』
(おうおうこりゃ一大事だな、真司のやつ……て、ん? ファミレス? 立て篭もり?)

「それ、浅倉のことじゃねぇか?!」

〜同日"都内・某ファミリーレストラン店内"〜
 真司は、大久保からことの些細を教えてもらい落胆していた。
(ただでさえライダーのことで悩んでるってときに……なんでこう色々と重なるんだよ……。)
 物陰から恐る恐る顔を出す。脱獄犯の浅倉が店内を占拠したそのとき、真司は慌てて近くの植木の影に隠れてひとまずは難を逃れたのだった。
(窓の外にあるあれは、パトカーか。ってことは、もうそろそろ警察がなんとかしてくれるってことかな?)
 浅倉が楽しげに笑いながら客から取り上げたであろう携帯の一つをいじりだした。もちろん、奴が持つ拳銃の銃口は変わらず少女のこめかみに突きつけられていたが。逃走手段を用意しろと警察に伝える。誰もが浅倉の発言をそう予想したが、その男が実際に発した言葉はまるで違っていた。
「おぉ、須藤か? 弁護士の北岡秀一をここに連れてこい。そいつとここにいる人質を交換だ。猶予はあと一時間。奴の事務所からここまでだったら間に合うはずだ……急げよ。」
 浅倉はそれだけ告げると電話を切り、再び人質の方を力強く睨みつけた。その様は、さながら獲物を威嚇する蛇のようであった。
(北岡秀一……誰だ? なんで浅倉のやつ、そいつと人質を交換なんて……)
 真司が慣れない考え事を続けていると、浅倉に銃を突きつけられていた少女が急に苦しみだした。その様子を見た彼女の母親が、慌てて声を荒げる。
「その子は、喘息持ちなんです! すぐに薬を飲ませないと死んでしまいます!!」
「知るか。大人しくしていろ。」
 母親の必死の嘆願を一蹴するその男を見て、真司は再び大きな怒りに突き動かされた。そして、考えるより先に動いてしまっていた。
「おい、お前!」
「あぁ?」
 真司と浅倉が、お互いに睨み合った。その男が放つ凄まじい気迫に真司は気圧されそうになったが、なんとか気勢を保ってみせた。
「その子を、離してやれ。苦しんでるだろ。お、お前だって人質が死ぬのは不都合じゃないのか?」
「……だめだ。ここにいる全員を掌握するのに、こいつは必要なんだよ。いわば人質代表ってやつだ。」
「……だったら。」
 拳を握りしめる。そこに恐怖はなかった。ただ彼の胸の内には、その女の子を助けたいという強い想いだけが宿っていた。
「俺が代わりに人質になる。あ、安心しろ。俺は……か、か弱い!!」
 不自然に威張る真司を見て、浅倉は何かを嗅ぐように鼻を動かした。
「……フフッ。フハハハハッ!!」
 浅倉は大きく笑った。満足そうに、とても可笑しそうに笑っていた。
「お前、バカだろ?」
「ば、バカじゃねぇよ!!」
「まぁ、いい。よし、お前が今からこいつの代わりだ。両手を挙げてゆっくりとこっちに来い。」
 息を呑み冷や汗をかきながら、ゆっくりと歩を進める。浅倉はそんな真司と少女を素早く入れ替えると、真司のこめかみに銃口をあてた。
「お母さん!」
「あぁ……よかった! さぁ、薬を飲みましょう。」
 母親の補助で薬を飲む少女を見ながら、真司は確かな満足感に包まれていた。今度は助けられたのだ。
「お〜い、浅倉。」
 ふと、入り口の扉が大きな鈴の音を響かせながら開いた。そこに立っていたのは、ぴっしりとスーツでキメた、なんともエリート臭を漂わせた飄々とした男であった。
「おぉ、来たか……北岡。」
(この人が、北岡秀一?)
 真司がじっと見ていると、その視線に気付いたのか北岡はこちらに向けてウインクをかましてみせた。その北岡という男は、常に余裕を漂わせていた。



 浅倉は約束通り、人質を全員解放した。人質代表の真司を除いては。
「あの……浅倉さん? 俺、まだ解放してもらえない感じっすかね?」
「あぁ、お前は警察が突入をかけないように確保しておく。言ったろ? 代表だって。」
「……はぁ。」
「なぁ浅倉。」
 真司と浅倉の目の前に立っていた、北岡が声をかけた。その声色から、北岡はまるで真司のことなど気にかけていないことがわかった。
「お前、俺のこと呼んだんだって? 要件はなによ? 本当は面倒だから来たくなかったんだけどさ……まぁとっとと終わらせたいから、要件を言ってくれる?」
 ため息をつきながらそう吐き捨てる北岡を、真司はいけすかないと思った。しかし浅倉は得意げに笑みを浮かべると、真司を放り出して懐からデッキを取り出した。
「なっ……!? お前まさか。」
 驚いた様子の北岡を前に、浅倉は続けた。
「神崎から聞いたぜ。お前もライダーなんだってな。好都合だ。俺を無罪にできなかった無能な貴様を……この楽しいライダーバトルで葬ってやる。」
「はぁ……そういうことね。神崎士郎も人が悪いよ。お前みたいなクズをライダーに仕立てるなんてさ。」
 北岡もそう言いながらスーツの内ポケットからデッキを取り出した。あまりに唐突な展開に、真司はまるでついていけていなかった。
(え。二人とも、ライダー? 弁護士と脱獄囚って……立場が違いすぎるだろ。てか、ライダーってこんなポンポン正体明かしていいわけ? えーっとこの場合、俺もライダーだって言ったほうがいいのか? いやでも……)
 必死で思考を巡らせる真司を他所に、浅倉と北岡は鏡の前へと移動する。そしてデッキを力強く前へと突き出し——
「「変身!!」」
 二人は、仮面ライダーに変身してミラーワールドへと入った。
【十】
〜ミラーワールド"都内・某ファミリーレストラン"〜
「さっさと終わらせよう。」
 北岡が変身した緑のアンダースーツと牛のような鎧が特徴的な仮面ライダーゾルダ』が、手に持った中型銃型召喚機『マグナバイザー』にカードをセットした。
<SHOOT VENT>
 ゾルダに超長距離攻撃用の大型武器『ギガランチャー』が装備される。それはとても巨大なロケットランチャーのような見た目で、その砲身から王蛇めがけて、人の顔ほどの大きさの鉛玉が勢いよく発射された。
 しかし、王蛇は揺るがない。その弾道を瞬時に判別すると、体を回転させながらヒラリとかわしてみせた。それを見たゾルダはギガランチャーをその場に置き捨てると、マグナバイザーによる連射撃で王蛇を追い立て始める。しかし王蛇はまたもそれに対応し、楽しげに笑いながら走り込むことでそれもかわし続けてみせた。
 まさに、殺意の応酬。二人の戦いは苛烈さを増していた。
「はぁ……結構やるなぁ、北岡。」
「お前も、クズのくせに結構やるじゃん……ホント、面倒くさいよ。」
 息を整えるように、お互い睨み合う二人。そしてその膠着状態を破るが如く、王蛇のほうが何かを悟ったように得意げに笑い始めた。
「なんだ、何がおかしい?」
「北岡お前、未練の匂いがするぜ。くだらん。お前との戦いは面白いのにな。」
「ふぅん……あながち間違いでもないけど。それじゃ俺の未練を断ち切るために、死んでくれよ!!」
 マグナバイザーが再び火を噴く。しかし王蛇はそんなゾルダの行動を予期していたのか、ベノサーベルで素早く銃弾を防いだ。一手早くカードを装填していたのだ。
<SWORD VENT>
「ハハァ……やっぱり面白いな、ライダーバトルってのは。」
「ほんとにさ……なんでこんなやつがライダーなのかねぇ。」
 この戦いは長引く。そう二人が察して、じりじりと間合いを図り始めたその時。
「やめろお前らぁーー!!」
 二人の間に割って入った一人の男がいた。その男は城戸真司。彼もまた仮面ライダー龍騎であった。
「……なに、お前?」
「ハァ……面倒そうなのが来たな。」
 その場がしらけるのを肌で感じとりながらも、龍騎は構わず声を上げた。
「叶えたい願いがあるのはわかった……でもやっぱり、俺は人間同士が傷つけ合うのを黙って見てられない!! ライダーはライダー同士、助け合うべきなんだ!!」
 少しの沈黙。そして、龍騎は二人の剣撃と銃撃によって吹き飛ばされた。
〜同日・同時刻"喫茶花鶏・店内"〜
「あの女の子を助けたいんだったらさ。俺についてきなよ。」
 薄暗い店内で、結衣がいつも身につけていたエプロンを得意げに見せびらかす青年。そしてそんな彼の前には、蓮と手塚の姿があった。
「お前、結衣になにをした?」
 ライダー達が、一箇所に集まろうとしていた。
【十一】
〜数時間前・某時刻"喫茶花鶏・店内"〜
 名林大学経済学部に通う二年生、芝浦淳。彼が神崎士郎からデッキを渡されライダーになったのは、今からちょうど一週間前のことだった。芝浦はすぐに神崎士郎と彼の親族について調べ、その妹が経営する喫茶花鶏のことを突き止めた。
「芝浦さん……だったよね? 私に兄のこと聞きたいってことだったけど。」
「はい。俺最近ライダーになったばっかで。いろいろ聞いておきたいんすよ。このゲームの主催者について。」
「ゲーム?」
 芝浦淳は、名林大学のネットゲームサークル『マトリックス』に所属し、趣味の一環でゲームを作るいわゆる"オタク"であった。
「はい。俺趣味でネットゲーム作ってるんですけど、ライダーバトルもその参考にならないかなって。それで、ライダーになろうって決めたんです。」
「そう……なの……」
 あからさまに、結衣の態度が変わった。きっと今語った想いをバカにしているのだろうと、芝浦は思った。
〜〜またゲームなんかやって……そんなくだらないものやるんじゃない!〜〜
〜〜淳。あなたは立派な大人になるんだから、ゲームなんて子供の遊びはいい加減卒業するのよ。〜〜
〜〜淳、お前ゲームほんと下手くそだよな。下手くそはゲームすんなよ、邪魔だから。〜〜
 みんな、自分を否定する。しかしこのライダーバトルに勝ち残れば、そんなふうに自分やゲームを見下した周りの奴らを見返してやることができる。彼はそう信じていた。
「それで、結衣さん。」
「ん?」
「あんたにはエサになってもらうよ。」
 指をパチりと鳴らす。するとその合図に反応し、芝浦が契約したサイ型モンスター『メタルゲラス』が鏡から姿を現し、結衣を声を上げる間もなくミラーワールドへと引きずり込んだ。
「ふぅ……あとは、待つだけだな。」
 それから花鶏にやってきた蓮と手塚に事情を説明するまで、十分もかからなかった。全ては、芝浦の思い通りに進んでいた。
「貴様、目的はなんだ? 結衣をどこへやった!?」
 恐ろしい剣幕で、芝浦を問い詰めているこの男。コイツは秋山蓮といって、ライダー名はナイトというらしい。
「いやぁ、実は今さ。ちょっと面白い戦いが始まっててね。あんたらもどうかなーって、誘ってみることにしたんだよね。」
「それと結衣ちゃんを攫うことに、なんの関係がある?」
 冷静に疑問を投げかけるこの男は手塚海之。ライダー名はライアで、神崎士郎曰くなかなか戦おうとしない問題児らしい。
「いやー、そこの怒ってる人……蓮さんはともかくさ。手塚さん、あんたはこれくらいしないと戦いに参加してくれないんじゃないかって思ってね。」
「侮られたものだな……そんな卑劣な手を使われなくとも、俺は進んで戦いに行くさ。」
「そう? じゃあとりあえず、ついてきてよ。だいじょうぶ。結衣さんもそこにいるからさ。」
 余裕を持った足取りで二人についてくるよう促しながら、芝浦は店の外に出た。そして三人のライダーが今、王蛇・ゾルダ・龍騎のいる戦いの場へと赴こうとしていた。
〜都内"某ファミリーレストラン・ミラーワールド"〜
「いってぇな! 何するんだよ!!」
 先ほどまで戦いあっていたとは思えないほど息のあった同時攻撃を受け、龍騎は痛む身体を抑えながら二人に抗議した。
「だって……なんかお前、ウザいし。なぁ? 浅倉。」
「あぁ……コイツは俺を、どうしようもなくイライラさせる。」
「そ、そんな理由で……お前らなぁ……!!」
「「黙れ、バカ。」」
「んなっ……!?」
 憤る龍騎を他所に、お互いの武器を構え直す王蛇とゾルダ。二人はダメ押しと言わんばかりに龍騎の顔面を同時に殴りつけると、そのまま戦闘を再開した。
「ちょ、やめろ……!!」
「おー、派手にやってるなぁ。」
「……!?」
声のした方に振り向く龍騎。そこにいたのはナイトとライア、そして銀色のサイを模したひと回り大きな鎧で武装したライダー、『ガイ』であった。
「二人とも……なんでここに!? ていうか、アンタ誰?」
 ガイはつかつかと龍騎に歩いて近づくと、その顔面を思いきり殴りつけた。
「ごはぁ……!? いってぇ、なんで今日はこんなに殴られるんだよ!?」
「知らないよ、バーカ。」
 ガイは痛がる龍騎の様子を鼻で笑うと、左肩に装備された肩アーマー型召喚機『メタルバイザー』にカードをセットした。
<STRIKE VENT>
 カードに呼び出されたメタルゲラスの頭部を模した武器『メタルホーン』が、その右腕に装着される。ガイはメタルホーンの先端に備わったドリル状の角を勢いよく振るうと、龍騎の身体を袈裟がけに削いだ。
「ぐあぁ……」
 たまらず膝をつく龍騎。そんな彼を、更なる猛攻が襲った。
「……お前まで!?」
 それは、ナイトのダークバイザーによる一太刀であった。
<SWORD VENT>
 龍騎も咄嗟にドラグセイバーを呼び出し、応戦する。二人の刃が火花を散らしながら交わり、龍騎とナイトは鍔迫り合いを始めた。それは事態がどうなっているのかを探るべく、ナイトに小さく声をかけようと仕掛けた龍騎の策であった。
「おい! なんでいきなり襲ってくんだよ!? まぁお前はともかく……あの手塚が静観してるだけなんておかしいだろ!? なにがどうなってんだよ!!」
「結衣が人質にとられた。あいつの無事が確認できるまでは、俺たちはあのガイってやつに従うしかない。今は耐えろ。手塚がきっと結衣を助け出す。」
「クソッ。そういうことかよ……!!」
 その場から飛びのき、龍騎は再度カードを装填した。
<GUARD VENT>
 両肩にドラグレッダーの腹部を模した大盾『ドラグシールド』を装備し、ナイトの剣撃を受け止める。その太刀筋から、ナイトが敢えてシールドに弾かれるような攻撃を仕掛けていると龍騎は悟った。
「いいぞーやれやれー。って、あれ? 手塚さんどこ行ったんだ?……ま、いっか。そろそろ俺も参加しよーっと。」
 ガイがメタルホーンを振り下ろした。しかしその矛先は龍騎ではなく、ナイト。その背中を、ガイのメタルホーンが抉る。
「ぐあぁっ……!!」
「蓮! ……てめぇっ!!」
 怒りに駆られ、ドラグセイバーをガイに振り下ろす龍騎。しかしそれは、メタルホーンの大角によって受け止められてしまった。
「はぁ……だってぬるい戦いしてっからさ。せっかく面白いゲームの舞台を用意してやったってのに!!」
「ふざけんな! この戦いはゲームなんかじゃねぇ!! ……ただの殺し合いだろうがっ!!」
 ドラグセイバーを持つ腕により一層の力を込める。それはメタルホーンを遠くに弾き飛ばし、ガイの胴体を無防備に曝け出してみせた。
「おりゃああぁっ!!」
 そこに渾身の一太刀を浴びせる。それはガイの装甲を強く削り取り、彼に膝をつかせる……はずだった。
<CONFINE VENT>
 ガイがバイザーに装填したそのカードによって、龍騎のドラグセイバーは瞬く間に"消失"した。
「な……えっ!?」
「知ってた? カードには妨害用のもあるんだよ。」
<STRIKE VENT>
再びガイの右腕に装備されたメタルホーンが、龍騎の腹部を薙いだ。
「ぐはぁ……!」
「で、カードは一枚だけじゃない。覚えときなよ。」
 ガイが、マスクの下で得意げに笑っていた。
〜都内"某ファミリーレストラン・倉庫内"〜
「結衣ちゃん! 無事か!?」
「手塚くん!!」
 手足を縛られた結衣の拘束を、手塚は丁寧に解いた。結衣の頬には涙の跡があった。
「結衣ちゃん……もう大丈夫だ、安心してくれ。」
「……ありがとう。」
 結衣は確かに安心していたが、同時にとてつもなく大きな罪悪感を抱えているようだった。
「結衣ちゃん……君が責任を感じることじゃない。この戦いを仕組んだのは君じゃなくて、君のお兄さんだ。」
 はっとしたように、結衣が顔をあげた。そして、とても悲しそうな表情で言った。
「ありがとう、手塚くん。でもね、私には分かる……なんとなくだけど。お兄ちゃんは、私のためにこのライダーバトルを起こした。火事で両親を失った私にとって、ただ一人の家族……優しかったお兄ちゃん。あの優しかったお兄ちゃんが、こんな酷いことをするのにはきっと理由がある。私が関わる……なにか。だから、私には責任がある。お兄ちゃんに会う。会って、あの人を止める責任が。だから私に真相を教えてくれた、蓮と手塚くんと一緒にいるんだって。……ごめんね、手塚くん。急にこんな話して。」
「……いや、いいんだ。君の辛さを受け止めてあげたいと、俺はいつも思っている。」
 手塚は思い出していた。蓮と一緒に初めて結衣と出会ったあの日。彼女に、その兄が引き起こしたことを教えた、あの日のことを。
「結衣ちゃん、俺は戦いに戻る。でもそれは君のせいじゃない。確かにきっかけは君のお兄さんかもしれない。でも、最後に戦うことを決めたのは紛れもない……俺たちなんだ。」
「手塚くん。」
 そう。全ては蓮を孤独にさせまいと、デッキを受け取ったあの日から始まった。手塚は友人として、また同じライダーとして彼を支え続ける。それは、これからもずっと変わらない。決意を新たにし、手塚は友の待つ戦場へと向かった。
【十二】
「それじゃ、そろそろトドメといきますかぁ!!」
 ガイが、自分のバイザーに必殺のカードを装填した。
<FINAL VENT>
 コンクリートの壁を突き破ってやってきたメタルゲラスが、額の大角を突き出しながら突進を始める。ガイもその動きに合わせて跳ぶと、メタルホーンに備わった大角を前方に突き出しながら突進を続ける契約モンスターの頭上に飛び乗った。2つの大角が勢いを増し、怯んで動けない龍騎に突撃する。
「終わりだよ!」
「く……クソったれ……!!」
<SWING VENT>
 龍騎の身体を紅いムチが巻き取り、そのまま彼を致死の直線上から逃した。対象を失い、そのまま前方の壁に激突するガイ。
「今のは……手塚か!」
「手塚、助かったぜ!!」
「待たせたな、二人とも。」
 二人に駆け寄ったライアは、龍騎とナイトそれぞれに手を貸しその身体を起こしてみせた。
「結衣は?」
「そうだよ……結衣ちゃんは大丈夫なのか!?」
「大丈夫だ、無事だよ。安心してくれ二人とも。……それにしても」
 ライアは前方の戦場に目をやった。そこには自分たち以外に戦い続ける王蛇とゾルダ、さらに体勢を立て直したガイがいた。
「まさに勢揃い、という感じだな。」
「あぁ……厄介なことになった。」
「くそ。なんとかして止めないと……」
 そんな三人に対して、再びガイが向き直り悪態をつく。
「全く無粋なことしてくれちゃってさ……いいよ。三対一、燃えるじゃん。」
 彼はそう言いながら、メタルホーンを構えた。三人も各々の武器を構えながら、臨戦態勢をとる。
「なぁお前……ゲームとか言うのやめて、俺たちと一緒にモンスターと戦おうぜ。まだ若いんだし……」
龍騎さんさぁ……ほんとバカだね。そんな話聞くわけないじゃん。」
 再びガイが、マスクの下でニヤついた。
「それじゃあ、続きをやろうか」
<FINAL VENT>
 それはガイが発動したのでも、ましてや龍騎、ナイト、ライアが発動したものでもない。彼らから少し離れた戦場……王蛇と対峙し続けていたゾルダが発動したものだった。
 牛のような巨人型モンスター『マグナギガ』が、地面を割いて守護するように契約主の前方に立つ。
「いい加減面倒くさいんだよね。」
 その背部にゾルダがマグナバイザーをセットするとマグナギガの身体中に備わった装甲が"開き"、無数の砲門が顔を覗かせた。
「……まずい」
 危険を察知した王蛇がこちらへと走り出す。しかし、
「無駄だ。」
 ゾルダが引き鉄を引いた次の瞬間、マグナギガからおびただしい数の弾頭が発射された。激しい弾幕とそれが引き起こした強大な爆風により、吹き飛ばされる面々。ゾルダはその様子を、悠々と眺めていた。
「こういうごちゃごちゃした戦いは、好きじゃない。」
 土煙に塗れた戦場を背に、ゾルダは一人ミラーワールドを後にしたのだった。



「……いてて。蓮、手塚……無事か?」
「あぁ、俺はなんとか……手塚は?」
「俺も……大丈夫だ。」
 お互いの無事を確認し、安堵する三人。そんな三人を、見下ろす影があった。
「てめぇ……ガイ……!!」
 咄嗟に身構える龍騎。しかしガイの身体は力無く放られ、なんとその影から王蛇が姿を現したのだった。
「え……?」
「よぉ、龍騎。」
 王蛇はボロボロの三人を嘲笑うと、自身の召喚機にカードをセットした。
<FINAL VENT>
「くそっ、お前……」
「……はあぁぁぁ!!」
 呼び出された契約モンスターのベノスネーカーが勢いよく這いながらこちらに向かってくるのと合わせ、王蛇が力を貯めて渾身の跳躍を見せる。そして彼は龍騎達……ではなく、ガイに狙いを定めた。
「てめぇ……俺を盾にしやがって……なんでだよ……」
「知るか。近くにいたお前が悪い。」
 ベノスネーカーの吐き出した酸液をスライダーのように利用し、勢いをつけながら跳び蹴りを連続で叩き込む王蛇。
「うわぁぁぁぁぁ……!!」
 ガイはそのまま断末魔の叫びをあげ、そして……爆散した。
「あぁ……これで"スッキリ"だ。」
 勝ち誇る王蛇を前に、龍騎はついに力を振り絞って立ち上がった。
「てめぇ、なんでそんな躊躇いなく……今、人が一人死んだんだぞ! なんとも思わねぇのかよ!!」
「こういうもんだろ、違うのか?」
「お前、何言って……」
 その王蛇の発言から、龍騎は妙な純粋さを感じ取った。この浅倉という男、王蛇という男は、純粋に人を殺すことを"是と"している。それは、龍騎には到底理解し得ないものであった。
「ふざけんなよ……俺は、お前を絶対に許さない……!!」
「ハッハハハ……! ますます面白いなぁお前。あぁそうだ……横のお前、コウモリのやつ。」
 王蛇は未だ立つことのできないナイトを指差すと、こう告げてみせた。
「お前からは虚勢の匂いがする……強がるなよ、まだ一人もライダー倒したこと無いんだろ?」
「……!!」
「え。そうなのか、蓮?」
「……蓮、耳を貸すな。」
 龍騎とライアの声は、今のナイトには届かなかった。看破されてしまった。自分の矛盾を。自分の弱さを。
「……お前は。お前はどれだけ倒したんだ。」
 ナイトの絞り出したような問いかけに、王蛇は噛み締めるように答えた。
「俺はもう五人殺した。残りも全員殺してみせるぜ。」
「……お前は、悩まないのか? 戦うということを……」
「なぜ悩む必要がある? 俺たちは殺し合って最後の一人になる。そのためだけにライダーになったんだろうが。」
「そうか……そうだな……」
「おい、蓮……?」
 龍騎の呼びかけに、ナイトは応えなかった。そしてその日、秋山蓮は姿を消した。
〜数日後・夜"都内・高架下"〜
「浅倉! 止まれ!!」
 警官たちが自分を包囲する姿を、浅倉はとても面倒に思いながら眺めていた。
「ったく……警官ってのはつくづく俺をイラつかせるな……」
 ベノスネーカーに彼らを喰わせようと、デッキに手を伸ばす。しかしそれより先に、警官たちは謎の襲撃者の格闘によって地に伏した。
「ぐはぁ……! くそ、仲間がいたのか……須藤さんに……連絡を………」
 最後まで意識を残していた警官も気絶し、互いに睨み合う浅倉とフルフェイスメットの襲撃者。
「お前……誰だ?」
仮面ライダーナイト。この前の、虚勢を張ったコウモリ野郎さ。」
 冷たい風が吹いた。
【十三】
〜某日・昼"城南大学・蔵書室"〜
 秋山蓮が姿を消してから、数日が経った。今は城戸真司が結衣とともに必死になって彼の行方を追っている。そして手塚は、今もこうしてライダーバトルを止める術を求めて神崎士郎が所属していた研究室の資料を読み耽っていた。
(これは……どこかで聞いた名だとは思っていたが……)
 そこには、手塚には聞き覚えのある名前が載っていた。
(しかしなぜこの名前がここに……一体なんの関係が?)
 手塚が考えを整理していると、携帯がメールの着信を知らせた。それは、真司からのものであった。
『ダークウイングの気配を追って、なんとか蓮の居る場所を見つけ出した。なんか郊外の廃工場にいるらしい。俺一人じゃ不安だから、アンタも来てくれ。花鶏で待ってるよ。 真司より』
「……行くか。」
 手塚は携帯をそっと閉じ、覚悟を決めて花鶏へと向かった。
〜同日・夕方"郊外・廃工場前"〜
 真司と手塚は、蓮がいるであろう廃工場の前に来ていた。
「なぁ、手塚。なんだってアイツこんなとこに……」
「さぁな……だが俺には分かる。アイツはきっと、自分のなかの僅かな迷いを断ち切りたいんだ。今まで気にしてこなかったその迷いが、最近大きくなってきたことに気づいた……お前のおかげでな。」
「……なんだよ、それ。」
 警戒しながら、廃工場へと入る二人。そこにいたのは蓮と……浅倉であった。
「蓮、なんで浅倉と一緒にいんだよ。」
 蓮は真司とは目線を合わせようとせず、その拳を握りしめながら言った。
「待っていたぞ城戸……戦え、俺と。」
「何言ってんだお前……早くかえ」
 真司のその言葉を、手塚が制した。
「やめろ城戸……やつは本気だ。浅倉も、やる気みたいだぞ。」
 傍らで退屈そうにしていた浅倉が、一転して眼光鋭くこちらを見据える。
「フン……俺はただライダーと戦えるってこいつの話に乗ってやっただけだ。一応警官から助けてもらった恩もあるしな。」
 既に蓮と浅倉はデッキを握っていた。やるしかない。真司はそう思った。
「手塚……俺、アイツとちゃんとぶつかりたい。だから浅倉のこと……頼めるか?」
「あぁ……俺に任せておけ。」
「死ぬなよ、手塚。」
「お前もな、城戸。」
 互いに向き合い、デッキを構える四人。そして
「「「「変身!!」」」」
 四人の戦士たちによる、それぞれの戦いが始まった。
龍騎VSナイト〜
「なぁ、蓮。お前は迷ってるんだよな、戦いを続けることを……」
「あぁ。だが俺はその迷いを断たなければならない。お前を倒し、断ち切ってみせる。」
<SWORD VENT>
 ウイングランサーを装備したナイトが、龍騎に斬りかかった。それをかわし、龍騎もカードを装填する。
<SWORD VENT>
 ドラグセイバーを装備し、応戦する。二人の刃が交わり、激しい火花を散らした。
「俺はやっぱり……お前が誰かを殺すのを黙って見過ごすなんてできない! 恵里さんだって、きっとそんなこと望んでない!!」
「っ……! お前に、恵里の気持ちを語る資格はない!!」
 ナイトの腕に力がこもり、龍騎のドラグセイバーが弾き飛ばされた。
「うおぉぉ……!」
「これで終わりだ! 龍騎!!」
「……まだおわらねぇ!!」
<GUARD VENT>
 ウイングランサーの剣撃を、ドラグシールドで受け止める龍騎。そのしぶとさに、ナイトはさらに声を荒げた。
「……何故だ! 何故そうも食らいつく! 何も背負っていないくせに、何の願いもないくせに……何故そうまで必死になって戦えるんだ!!」
「それは俺が……まだ迷ってるからだ!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜某日・放課後"新聞部・部室"〜
「お、なんだ真司。そんなしょぼくれた顔して。」
 誰もいない部室で項垂れる真司に、大久保大介が声をかけた。
「あぁ先輩……。なんか俺、分かんなくなっちゃって。」
「おぉ? バカのお前にしては珍しく悩んでるみたいだなぁ。」
「失礼な……俺だって悩む時くらいありますよっ!!」
 不貞腐れる真司を見て、笑う大久保。
「ははっ、わりぃわりぃ。」
「……実は俺、この間のテストで隣のやつがカンニングしてるの見つけて……その場で教授に言ってやったんす。こいつカンニングしてますって。もちろんその場でそいつは退場。教授も『教えてくれてありがとう』って言ってくれて……」
「なんだよ、なんも間違ってねぇじゃねぇか。」
「俺もその時はそう思ってました。でもさっきカンニングしてたやつに会って……そしたら、そいつそのテストで"満点"とらないと退学させるって親に言われてたらしいんす。普通無理っすよ、満点なんて。だからそいつもなんとか大学に残りたくて、勉強したくてカンニングしたんだって」
「……」
 真司は、その男の恨みに塗れた悔しそうな顔を何度も思い返していた。本当に自分がしたことは正しかったのか。何度も何度も、自分に問いかけた。
「なるほどな……それでお前は、ずっと悩んでるわけだ。」
「先輩は……どう思います? 俺、正しいことしましたかね?」
 大久保は頭をぽりぽりとかきながら少しだけ考え、そしてぶっきらぼうにこう答えた。
「さぁ、分かんね。」
「分かんないって……俺は真面目に悩んでるのに……!!」
「俺には分かんねぇよ。だってそれは俺の悩みじゃない、お前の悩みだろ。だから答えを出してやれるのは、お前しかいない。」
「……っ! でも、俺は……」
「まだ悩んでんだろ? でもな、悩んでるってことはつまり、お前が判断することを"放棄"してないってことなんだよ。もっと悩め。とことん悩め。そうやって悩み続けてればいつか、答えは出るもんだ。だから、悩むために行動し続けろ。お前が正しいと思える行動をな。」
「……!!」
 その日、城戸真司はその男についていきたいと思った。彼に憧れ、その大久保大介という男と同じ道を行きたいと思った。
 そして真司は未だ、悩み続けていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 少しずつ龍騎の剣撃に力がこもり、先ほどまで優勢だったナイトを押し返していく。心のなかに宿る"何か"が、またしても彼を突き動かしていた。
「ぐっ……クソッ! 何故俺が負けるんだ……何も背負っていない、なんの願いも持たないお前に!!」
「そうだ蓮……確かに俺はまだ何も背負ってない。なんの願いもない! でも、だから頑張れる! いつかお前に負けないくらいでっかいものを背負えるように……その時、お前の背負ってるものも一緒に背負うために……そのために頑張れるんだ!!」
「……うおぉぉぉぉ!!!」
 ウイングランサーを振り上げるナイト。その刹那、龍騎はドラグセイバーを放り投げそして——
 秋山蓮の顔面を、殴り飛ばした。



「……おい、城戸。」
「なんだよ、蓮。」
「あのパンチは、効いたぞ。」
「あぁ……別に、謝んねぇぞ。」
「それで良い……俺たちは殺し合う間柄なんだからな。仲間じゃない。」
「へっ、そうかよ。」
「だが今は……」
「え?」
「今だけは、お前に感謝しておく。」
「……じゃあ、蓮。」
「なんだ?」
「帰ろうぜ、手塚が待ってる。」
「……そうだな。」
 それは本来血を流し合うミラーワールドでの、僅かばかりの信頼。二人並んで歩きながら、彼らは友の待つ元の世界へと戻った。
〜ライアVS王蛇〜
 お互いの武器を携え、睨み合う両者。そんな膠着状態のなか、ライアが口を開いた。
「お前……浅倉とか言ったな。」
「あ? なんだ、突然。」
「お前は……何を背負って戦ってる。お前はこの戦いにどんな願いを賭けてるんだ?」
 その問いを聞き、腹をかかえて笑い出す王蛇。
「……フハハッ! ハハハハハッ!! お前、やっぱりつまらんやつだな。」
「何?」
 その男はゆっくりと首をもたげ、そしてライアに指を刺しながら言った。
「お前からは犠牲の匂いがする……。お前、今まで会ってきたライダーの中で1番つまらないぞ。」
「……余計なお世話だ。それじゃあ、さっさとケリをつけよう。」
 お互いその一撃に賭けるべく、自らのバイザーにカードをセットする。
<FINAL VENT>
<FINAL VENT>
「はあぁぁぁ……!」
「うおぉぉぉ……!」
 二人のライダーと二匹の契約モンスターが全力を出してぶつかり合い、そして凄まじい衝撃が辺りを震わせた。



「……最後に、さっきの問いに答えてくれ。」
 その場に立ち尽くしたライアが、自らに背を向けた王蛇に投げかけた。
「お前は、何を背負っている。どんな願いを賭けて戦ってるんだ。」
 王蛇は振り向くことなく、首の骨を面倒そうに鳴らした。
「……くだらん。何を背負う必要がある? 俺はただ、戦うことに満足している。何も背負う必要はない。なんの願いも持たない。だが、それでいい。いや、それがいいんだ。」
「……そうか。」
 そうして、ライアはその場に崩れ落ちた。王蛇はそんな彼を嘲笑い、勝ち誇りながらその場を後にしたのだった。
〜同日・夜"喫茶花鶏・店前"〜
 戦いを終えた真司と蓮が、花鶏の前まで戻っていた。そこに、手塚海之の姿は無い。
「まったく手塚のやつ……先に花鶏に戻ってるってさ。急に薄情っていうか……なぁ? 蓮。」
「ん? あ、あぁ……そうだな。」
「どうしたんだよ、浮かない顔してさ。」
「いや……俺の顔は、いつもこんな感じだ。」
「そうかぁ?」
 蓮は、なんとなく分かっている気がした。なぜ手塚が先に戻ったのか。なぜ自分たちとともに帰らなかったのか。
「なぁ、城戸。」
「なんだよ、蓮……て、おぉ手塚! なんだよ先に帰りやがって……」
「なに?」
 蓮との会話を遮って真司が声をかけた先には、手塚の姿があった。
「すまないな二人とも。ちょっと……急用を思い出してな。」
「なんだよ急用って……ていうかさ。蓮のやつ、無事に連れ戻せたよ。アンタの協力のおかげだ。ありがとな、手塚。」
「そうか……蓮、ふっきれたのか。」
 そう語る手塚は、どこか安心した様子であった。彼はゆっくりと、蓮の方を見た。
「蓮、おかえり。」
「……苦労をかけたな、手塚。」
「あぁ、苦労した。だから……その借りを返すために、俺の頼みを聞け。」
「なんだ?」
「神崎結衣のことを、頼む。」
 それが親友からの最後の頼みであることを、蓮は悟った。
「あぁ……分かった。」
「そして、城戸。」
「え? なんだよ急に。」
 手塚は真司の肩に手を置くと、その目をしっかりと見て言った。
「榊原耕一には、気をつけろ。」
「は?」
 そう謎の助言を残し、手塚はゆっくりと二人に背を向けて歩き出した。その足取りは、妙にしっかりとしていた。
「おい、手塚もう行くのかよ……せっかくだから花鶏で休んでこうぜ。」
「いや、遠慮しておこう。俺はちょっと疲れた。今日は……一人でゆっくりするよ。」
 だんだんと手塚が遠ざかっていく。真司も蓮も、何故か彼を引き止めることができなかった。
「おい、手塚。」
「なんだ、蓮?」
「俺は生き残るぞ。そして願いを叶える。絶対に、死んだりしない。」
「……あぁ。」
 そうして、そのまま手塚は去っていった。その後彼が二人の前に姿を見せることは、もう二度となかった。
【十四】
〜某日・夕方"警視庁本庁・取調室"〜
「それで、何故あなたはあの場に居なかったのですか?」
 目の前に座る刑事の威圧的な雰囲気に、真司は身を縮こまらせていた。
「いや、えーっと……それはですね……」
 彼は今、捜査一課の須藤雅史刑事の取り調べを受けている。



〜同日・昼"花鶏・店内"〜
「手塚のやつ……くそっ……!!」
 最後に手塚と別れてから一ヶ月以上が経ち、真司はあのとき手塚が死んだのだと悟った。
「俺のせいだ。俺があいつを一人にしたから……!」
「落ち着け、城戸。あいつもライダーになった瞬間からこうなることは覚悟していたはずだ。お前のせいじゃない。」
「落ち着けって……なんでそんな割り切ったふうにしてられるんだよ……お前だって……!!」
 蓮の胸ぐらを掴んだところで、真司は彼の目に涙が溜まっていることに気づいた。
「……ごめん。」
「……いや、そもそもアイツが死んだのは俺のせいだ。俺が浅倉について行きさえしなければ……」
「そうだよ、浅倉」
 真司はデッキを握りしめ、その場を立ち上がった。
「どこへ行く、城戸。」
「決まってんだろ、浅倉を探す。それで、手塚を殺した報いを受けさせるんだ。」
「どうする、殺すのか。」
 殺す。蓮のその言葉は、真司の心を深く貫いた。そう、今まさに真司は純粋な"殺意"を抱いていたのだ。
「……なぁ蓮。」
「どうした。」
「俺は、誰とも戦わない。ただ罪のない人たちを守るために、正しくライダーの力を使う……そう決めたんだ。」
「あぁ、そうだな。」
「でもさ、俺今……浅倉を殺したいって思ってた。手塚の仇をとりたいって……!!」
「……そうか。」
「俺って、結局口だけなのかな。」
「そうかもな。」
「……蓮」
 蓮は、その場で項垂れる真司を残して店の扉を開いた。
「お前は俺に言った。俺が背負っているものを一緒に背負うと。だがその様子では、到底無理だろうな。」
 そう言い残し、蓮は店を出た。結衣も手塚の一件を知りここしばらく寝込んでいる。こうして、真司は一人残されることになった。
「俺は……これからも戦っていけるのか……?」
 その時であった。店の扉が再び開き、背広を着た男が入ってきたのだ。
「城戸真司さん、ですね?」
「はい……あなたは?」
 男は懐から警察手帳を取り出すと、それを開いて見せた。そこにあった名前に、真司は聞き覚えがあった。
「あれ、アンタ……」
「捜査一課の須藤です。少しあなたにお話を伺いたい。この間の、ファミレス立て篭もり事件について。」
「あぁ……」
 こうして真司は、警察の取り調べを受けることになってしまったのだった。



〜同日・夕方"警視庁本庁・取調室"〜
「えーっと、俺があの場にいなかったのはですね……」
 言えるわけがない。『仮面ライダーに変身して、鏡のなかの世界で戦っていました』などとは。正気を疑われてしまう。そう、真司は思った。
「……すいません。俺も、よく覚えてなくて。気づいたら家に……戻っててぇ……」
「……あなた、バカですか?」
「なっ……!!」
 ここ最近、真司はバカと言われることが多いことを気にしていた。大学はちゃんと出たし、ジャーナリストにもなれた。そんな自分が"バカ"とは、まるで納得がいっていなかった。
「ば、バカじゃないですよ! なんでバカって言うんですか!! ねぇ刑事さん!!」
「はぁ。だって、嘘つくにしてももう少しマシな嘘があるでしょう。気づいたら家に戻ってたって、夢遊病者だってそんなことにはなりませんよ。」
「うぐっ」
「まぁ、いいでしょう。」
 須藤は呆れた様子で大きくため息をつくと、すっと立ち上がって取調室のドアを開いた。
「もう、お帰りいただいて結構ですよ。」
「え、いいんですか?」
「あなたは少女を助けるために自ら人質になることを買って出た。浅倉との接点も今のところ見つかっていませんし、今日のところは帰っていただいて結構ですよ。」
「あ、ありがとうございます……。」
 真司が軽く会釈し、そろそろとその扉を潜ろうとしたその瞬間。突然須藤が、真司の肩に手を置いてグッと力を込めた。
「しかしあなたは確実に何かを隠している……城戸真司さん。私はあなたのその隠し事を必ず暴きますよ。そして浅倉を逮捕してみせる。私はあの男を、絶対に許しません。」
「は、ははぁ……」
 背中に悪寒を残しつつ、真司はそそくさと帰路についた。須藤という刑事は浅倉に並々ならぬ執着心を抱いていると、そう感じながら。
〜数ヶ月前・夜"渋谷駅前"〜
 パトカーの開けた窓から、須藤は辺りに目を光らせていた。
「須藤さん、暇ですねぇ。」
 そう言いながら後部座席で欠伸をしているこの男は、加賀友之。今年一課に配属されてきた新人で、須藤の現在のバディである。
「そう言うなよ、加賀。こういう暇な日常を守るのも、俺たち刑事の仕事だ。」
「ははっ、そうっすね。やっぱ須藤さんは普段の心構えから違ぇや。」
 加賀は今でこそ少しフワフワとしているが、根は強い正義感で溢れている。将来は自分を超える素晴らしい刑事になると、須藤はそう確信していた。
「ん……あの男、怪しいな。」
「え、どいつっすか?」
 須藤が目をつけたその男は、蛇革のジャケットを着て妙に"飢えた"目で歩いていた。そして首を何度も気怠そうに回しており、その様子はなにか大きな不安を与えてみせた。
「加賀、行くぞ。」
「え、はいっ!」
 パトカーを降り、その男へと近づく二人。
「ちょっとそこの」
 須藤が声をかけようとしたその時、そいつが突如前方の群衆に向かって駆け出した。そしてその手にはサバイバルナイフ。男はなにかをとても不快に思っているような、そういう狂気的な表情をしていた。
「まずい!」
「須藤さん、俺が!!」
 加賀が男の行手を阻もうと前に出る。しかしそいつは、なんの躊躇いもなく彼の喉笛をナイフで切り裂いた。
「あれ……?」
 まるで、時間が止まったようであった。自分の身に何が起きたのかわからぬまま倒れていくバディを目の当たりにして、須藤は思わず声をあげた。
「加賀!!」
 辺りに鮮血が飛び散り、駅前は瞬く間に地獄絵図と化した。悲鳴をあげ逃げ惑う人々を、誰とも構わず切り裂いていくその男。しかしそのとき、須藤は男を止めようとすぐに動くことができなかった。
「加賀、しっかりしろ……死ぬな……!」
「す……ど……さ……」
「どうした、加賀。なんて言いたいんだ!?」
「つ……え……て……」
 加賀は必死で口を動かし、須藤に最後の想いを伝えた。
「あの男を……捕まえて……!!」
 そのまま、加賀は逝った。後のことはあまり覚えていない。必死で男を組み伏せ、拘束。そうしてその身柄を完全に押さえたとき、須藤の周りは通行人やバディだった血みどろの死体で溢れかえっていた。
 須藤は叫んだ。叫びでもしなければ、鼻にこびりつく血の匂いと苦悶の表情で横たわる数多の死体で心がどうにかなってしまいそうだったからであった。
 そうして叫ぶ須藤の声を聞きながら、その男は確かに嘲笑っていた。
〜某日・昼"霊園内・加賀友之墓前"〜
 バディの墓前に手を合わせ、須藤は改めて浅倉を逮捕することを心に誓った。
(しかし何故やつは脱獄など……奴が入れられていた拘置所は、日本でも有数のセキュリティを誇る場所のはず。一体どうやって……)
「お前が、須藤雅史か。」
「誰だ!?」
 突如自分を呼ぶその声に驚きながら振り返ると、そこにはやけに頬のこけた不気味な男が立っていた。
「お前は?」
「神崎士郎だ。俺は、浅倉威がどうやって脱獄したのか知っている。」
「……少し、署の方でお話を聞かなければいけませんね。」
「その必要はない。」
 そう言った男は次の瞬間、須藤の真後ろに立っていた。
「……いつの間に。」
「お前の望みを叶えてやろう。加賀友之の復讐の手伝いを、俺はすることができる。」
「何故それを? 加賀の名前を知っているのは、僅かな関係者だけのはずですが。」
 冷静さを保ちつつも戸惑う須藤に、その男——神崎はカードデッキを差し出した。
「これを持ち、戦え。そうして最後の一人になったとき、お前の復讐は果たされるだろう。」
「これは?」
 そのデッキを受け取り、次に顔を上げたときには彼の姿は無かった。
「一体、なんだって言うんだ……」
 そうして、新たなライダーは誕生した。彼は須藤雅史。そして、仮面ライダーシザース
【十五】
〜某日・朝"OREジャーナル"オフィス〜
「おはようございます! 編集長!!」
 あの立て籠もり事件から、今日で三ヶ月が経とうとしていた。色々なことがあった。ガイが死に、手塚も倒れ、警察から事情聴取を受けた。蓮とは、少しだけ距離を縮められた気がした。そしてここ最近は、彼とともに人々を襲うモンスターを倒し続けている。あの時心のうちに芽生えた殺意のことを、真司は考えないようにしていた。
「おぉ真司、今日も張り切ってるなぁ。その調子で、早く新しい居住先も見つけてくれよ。お前のせいで電気代嵩みっぱなしなんだからよ。」
「はは……すみません。」
 二人が軽いやり取りをしていると、オフィスの扉が開いた。真司の先輩、桃井令子が出勤してきたのだ。
「おぉ令子、おはよう。」
「編集長、おはようございます。それで早速なんですが……見つけたかもしれません。連続行方不明事件の被害者の、"共通点"。」
「なんだって?」
「え?」
 真司は驚いた。モンスターは、基本的に無作為に捕食対象を選んでいるものだと思っていたからだ。
「令子さん、その共通点って?」
「二人とも、これを見てください。」
 令子がバッグから取り出したのは、ここ一ヶ月で失踪した人達のリストだった。そしてその六割近くの名前に、黄色くマーカーが引かれている。
「令子、これは?」
 大久保が真剣な面持ちで聞いた。真司も、彼女の言葉にしっかりと耳を傾ける。
「このマーカーが引かれている人物は皆、過去に殺人を犯して服役したか執行猶予がついたか……心神喪失で、不起訴処分になっているんです。」
「なるほど。殺しの加害者ばかりを狙った犯行ってことか。」
「はい。まぁでも被害者がみんなそうって訳じゃないですし、推論の域を出ないんですけど……詰めてみる価値はあると思います。」
「面白いじゃねぇか。よし、やってみろ。」
「ありがとうございます。」
 編集長からのGOサインを得て、令子は足早に取材へと向かった。一部の被害者たちに浮かび上がった共通点。それが自分を新たなライダーへと結びつけることになるとは、真司はまだ知る由もなかった。
〜翌日・昼"花鶏・店内"〜
「モンスターが捕食対象を選んでる? バカな、そんなはずはないだろう。」
 洗い場で手を動かしていた蓮が、眉をしかめながらそう言った。
「まぁ、そうだよなぁ……。」
 床のモップ掛けをしながら、真司は鏡の向こうの襲撃者に想いを馳せた。奴らは皆、ただ腹を満たすために人間を襲っている。それは人が魚を捕ったり動物の肉を食らうことと同じことで、そこにそれ以外の複雑な意思は存在しない。ずっと、そう思っていた。
「なぁ、蓮。そもそもモンスターはなんで鏡の向こうから来るんだよ。元々いたのか? だとしたら、なんで行方不明事件は最近になって……」
「俺が知るか。それと、質問を矢継ぎ早にするな。お前の悪い癖だぞ。」
「わ、悪かったよ……。」
 洗い物を終えた蓮が、エプロンを片付けてカウンターの席に座った。
「だが、その桃井って記者が見つけた共通点は気になる。もしかしたらそいつは」
 蓮のその言葉を遮るように、突然玄関の扉が開いた。現れたのは須藤雅史。あの刑事であった。
「すみません、準備中でしたかね。」
 須藤はそう言いながらも、店内に入って扉を閉めた。出直す気はさらさら無いようだ。
「あ、いえいえそんなことは……」
「城戸。」
 蓮が鋭い視線を目の前の男に向けた。それに気づいた須藤が、うっすらと笑みを浮かべる。
「あなたは気づいているようですね。そこの鈍い方とは違って。」
「鈍いって、俺のこと?」
 真司は二人の様子を伺った。なぜかお互いとても殺気だって見える。
「おい、蓮……いくらこの人が刑事だからってそんな邪険にするなよ。今はただのお客さんなんだからさ。」
 因みに真司は今、結衣が寝込んでしまった穴を埋めるために花鶏でアルバイトをしている。
「だから鈍いと言われるんだ。まだ気づかないのか? 奴もライダーだ。」
「え?」
 蓮がカードデッキを取り出し、それを見た須藤がすっと手を出してそれを制してみせた。どうやら蓮の言う通り、彼もライダーで間違いないようであった。
「今日は戦いに来たのではありません。協力をお願いに来ました。」
「きょ、協力って……一緒にモンスターと戦ってくれるってこと!?」
「はい。」
「おぉ、おぉ……! やったな蓮! 仲間が増えたぜ!!」
「仲間になった覚えはない。フン……好きにしろ。」
 蓮はそう冷たくあしらうと、足早に店を出て行った。しかしその眼は、しっかりと須藤を見据えていた。
「なんだよアイツ、愛想ねぇの。あ、須藤さん……よろしくお願いします。改めまして城戸」
「真司さん、ですよね。取り調べの時にお名前は把握しています。そして、恐らくあのときあなたがミラーワールドに行っていただろうということも。」
「あぁ、はい……すみません隠し事しちゃって。」
 気まずそうに笑って誤魔化しながら、真司は彼の方を見た。その目は、どこか違う方を見ているような気がした。
「それで、協力のお話なのですが……」
「あぁ、はい。一緒にモンスターを倒すんですよね。」
「それはそれとして……また別に、真司さんにお願いしたいことがあるんです。」
 彼は、真っ直ぐに真司の眼を見て言った。
「浅倉威を、一緒に捕まえてください。」
【十六】
〜某日・都内"大通り・ミラーワールド"〜
「真司さん、行きますよ!!」
「はい!!」
<STRIKE VENT>
<SWORD VENT>
 目の前のサル型モンスター『デッドリマー』に警戒しながら、龍騎シザースは武器を取った。シザースの武器は『シザースピンチ』。契約した蟹型モンスター『ボルキャンサー』の巨大なハサミを象った、右腕に装着する近接武器である。
「はあぁ!」
 彼のシザースピンチによる豪快な一振りが、デッドリマーの腹を切り裂いた。痛みに悶絶し、その場でのたうち回るモンスター。
「今です!」
「はい!」
<FINAL VENT>
 空高く跳び上がった龍騎の必殺キックが、そのままデッドリマーを粉砕した。久しぶりの純粋な戦いに、龍騎は少しすっきりしたような気がした。



「いやー! 須藤さん、刑事なだけあってやっぱ強いですね!! ほんと助かりますよ一緒に戦ってもらえて……」
 ミラーワールドから戻った真司と須藤は、花鶏に向かって歩いていた。何が気に入らないのか最近蓮は花鶏に顔を出さなくなり、真司は代わりに須藤とよく共闘するようになっていた。
「いえ、私のほうこそ真司さんに協力してもらえて心強いですよ。ライダーには最近なったばかりなので。」
「あの……ちょっと聞きにくいんですけど。」
「はい?」
「ライダーになったのは、やっぱり叶えたい願いがあるから?」
 そう。ライダーは皆叶えたい願いを持って戦いに身を投じる。それは須藤も、決して例外ではない。
「そうですね。私にも、叶えたい願いがあります。」
「じゃあやっぱりライダー同士で殺し合おうとか……」
「今は考えていません。真司さんのことは頼れる仲間だと思ってますし」
「はは……仲間だなんて、照れますね。」
「それに」
 照れ臭くおどける真司に釘を刺すように、彼は言った。
「今は別に、やらなければならないこともありますから。」
「……?」
 その時、反対の路地にいた老婆が突然悲声を上げた。
「!?」
 声が上がった方を見ると、そこにはナイフを突き立てられた腹を抱えて倒れ込む老婆がいた。そして彼女のバッグを奪ってその場から駆け去る青年の姿を、二人はとらえた。
「真司さん! あなたは救急車を!」
「あ、はい! 須藤さんは!?」
「私は、犯人を追いかけます!!」
 その場を真司に任せて、須藤は駆け出した。そう、須藤には戦いとは別にやらなければならないことがあった。
〜同日"都内・路地裏"〜
 現場にいた男のしつこい追走に追い詰められ、石橋は路地裏の行き止まりで物陰に隠れていた。
「うへぇ……なんだよあいつしつこいなぁ。もうダメ、疲れた……」
 息を切らしながらうずくまり、老婆から奪ったバッグの中身を改める。
「はぁ? なんだよこれ、なんでバッグの中にコショウが入ってんだよ……ほんと、ついてねぇ。」
「見つけましたよ、引ったくりの青年さん。」
 その声に、慌てて振り返る石橋。そこには、自分をしつこく追い回した男の姿があった。
「あ、アンタ……なんだってそんな必死に捕まえようとしてくるんだよ。あの婆さん、アンタとは他人だろ?」
「えぇ、確かに他人です。しかし私には、あなたを見過ごせない理由がある。」
 そう言うと、男はコートの内ポケットから手帳を取り出してみせた。紛れもない、本物の警察手帳だった。
「あんた刑事かよ……クソ、ほんとツイてねぇ。」
「あなたを現行犯で署に引き渡します。さぁ、ついてきなさい。」
「……でもよぉ。」
 石橋は、得意げな笑みを浮かべた。
「俺、未成年なんだよね。きっと捕まったって色々ジョウホしてもらえる。違う?」
「……」
「なぁー、だから見逃してくれよ。頼むよ……刑事さんに無駄な努力させたくないんだって。」
「……そうですね。あなたを捕まえたって、きっと無駄ですね。」
「お、分かってくれた? じゃあ」
「ええ、もう行っていただいて結構ですよ。」
「へへっ、ありがとうございまーす。」
 内心ホッとしながら、その場を後にしようと刑事の横を通り過ぎる。その時であった。石橋の首を、巨大なハサミがちぎり取ったのは。
「?」
 切り離された首が床を転がっても、少しの間だけ意識が残っていた。とはいえ、石橋は自分の身に何が起きたのか最期まで理解できなかった。
 こうして浅はかに保身に走ったその青年は、瞬く間に制裁を受けることになった。仮面ライダーである、須藤雅史の手によって。
【十七】
「……」
 須藤は、ボルキャンサーが青年の血肉を喰らいきる様をじっと見つめていた。
「直接目にすると、やはり堪えますね。」
 そこに、真司がやってきた。彼は今の状況を見てとても驚いた様子であった。
「須藤さん……あんた、何を?」
「真司さん。すみません、お見苦しいところを」
「そうじゃなくて……あんた、何してんだよ?」
 真司の声はわなわなと震えていた。恐らく怒りで震えているのだろうと、須藤は察した。
「何を……そうですね。救いのない犯罪者を、今この手で裁いたところです。」
「何言って……もしかして、最近行方不明になってた人たちって……」
「そうです。私が、モンスターに喰わせました。」
「なんで……そんなことを!」
 きっと、加賀も同じことを言っただろうと須藤は思った。
「あなたは、罪を犯したものが更生すると思いますか? 私は思いません。彼らのような人間に希望を持ってしまってはいけない。そういう甘さを持った人間は、その甘さに足を救われる。命をかける境遇にある人間は、特にね。」
「あんたは、間違ってる。」
「なら戦いますか。それで自分を突き通せるなら、私は喜んでデッキをとりますよ。」
 コートの内ポケットから、ゆっくりとデッキを取り出す。それを見てもなお、真司は躊躇っている様子だった。
「どうしたんです?」
「俺は……誰かを守るために、そのためだけに戦うって決めたんだ。だから、あんたとは戦いたくない。」
「それは素晴らしい。」
「でも……今のあんたを見てたら、やらなきゃって思った。俺が、あんたを止める。」
「……」
 真司も、覚悟を決めた様子でデッキを手に取った。
〜ミラーワールド・路地裏〜
「私は、こんなところで止まるわけにはいかない。」
<STRIKE VENT>
 シザースが、専用武器のシザースピンチを装備した。その鈍く光る巨大な鋏が、龍騎には血に塗れて見えた。
「俺も……止まりたくない!!」
<SWORD VENT>
 龍騎もドラグセイバーを装備する。
「……」
「……」
 先に駆け出したのは龍騎であった。半歩遅れて、シザースも駆け出す。そうして互いに距離を詰めた二人は、互いの武器を交えた。両者の力のこもった一撃が鍔迫り合い、その両腕を振るわせる。
「ぐっ……」
「私は、屑とはいえ多くの人間を喰わせ続けてきた。栄養を蓄えた私のボルキャンサーは強い。そしてその主である私も、強い。あなたに私が倒せますか?」
 力負けした龍騎が、大きく弾き飛ばされた。そして無防備に曝け出された身体に、シザースピンチの強烈な一振りが入る。
「ぐあぁっ!!」
「終わりです。」
<FINAL VENT>
 召喚されたボルキャンサーが、大きくジャンプしたシザースをレシーブのように空高くトスした。空高くあがった彼は空中で膝を抱えて丸まり、そのまま高速で回転を始める。
「……うおぉぉぉ!!」
 咄嗟の判断で、龍騎はドラグバイザーにカードをセットした。
<GUARD VENT>
 装備したドラグシールドを前に構えて、龍騎は衝撃に備えた。そこに、回転を続けるシザースが飛び込む。両腕がビリビリと震え、確実に身体が押し上げられる。それでも、決して守りの姿勢を解くことはしなかった。そうすれば、自分の戦いはここで終わる。龍騎はそう確信していた。



「……まさか今のを耐えきるとは。」
 真司は、須藤の猛攻を耐え切った。しばらく両腕は動かないのではと思うほど痺れていたが、それでも真司は耐え抜いたのだ。
「俺は……しぶといんだよ。」
「あなたのそのしぶとさに免じて、今回はここまでにしておきましょう。」
 そう言いながら、須藤はその場を立ち去るべく歩き出した。
「あんたは……これからも続けるのか?」
「えぇ。ですからあなたも、邪魔はしないでいただきたい。」
「……」
 須藤は、こちらに振り返ることなく言った。
「……あなたと共に戦えてよかった。その真っ直ぐな心は、あなたの強さなのでしょうね。」
 そうしてその日、真司は負けた。須藤の信念に。いや、執念に。
【十八】
〜翌日・昼"喫茶花鶏・店内"〜
「新参のライダーに負けるとは……お前もまだまだだな。」
 洗い場で話を聞いていた蓮が、客席で項垂れる真司に茶々を入れた。
「お前そんな言い方……俺は真剣に落ち込んでんだよ。」
「真剣に落ち込む必要がないからこういう言い方をしているんだ。お前はまだ生きている。それだけで充分マシだということを、お前は分かっていない。」
「それは……分かってるつもりだよ。」
 あの時もし須藤がとどめを刺すために攻撃を仕掛けていれば、それを防ぐ余力は真司には残っていなかった。まず間違いなく、死んでいた。
「俺が負けたのは……覚悟が足りないから。蓮とか他の奴らみたいに、叶えたい願いが無いから……何も背負ってないからなのか。」
 その言葉に蓮は何も返さなかった。いや、きっと返せなかったのだろう。きっと自分しか、今の言葉に答えを出せる存在はいない。かつて大久保にかけられた言葉を、真司は思い出していた。
「……おい、城戸。気づいているか。」
「え? ……あ、これって。」
「浅倉とあのゾルダってやつのモンスターの気配だ。奴らめ、また戦いを始めたらしい。」
〜〜浅倉威を、一緒に捕まえてください。〜〜
 ふと、真司の脳裏に須藤の言葉が蘇った。犯罪者を憎み力を振るう須藤にとって、浅倉は最も倒さなければならない相手のはず。真司はそう思った。
「行こう蓮。俺たちで浅倉も……須藤さんも止めるんだ。」
「……行くぞ。」
 二人は戦いに向かった。
〜同日・"北岡秀一邸内"〜
「ゴローちゃん、美味しいよこれ! やっぱゴローちゃんに料理作らせたら右に出るやつはいないね〜。」
「ありがとうございます。」
 北岡は、ボディーガード兼秘書の由良吾郎が作ったパスタを食べることで昼時を謳歌していた。吾郎は愛想こそ悪いものの、忠誠心には厚い信頼できる男だ。
「しかし、気づいたら割と減ってるよね……ライダー。」
「……そうですね。」
 浅倉威がライダーになるまでは、戦いは停滞の一途を辿っていた。
「浅倉……あいつのおかげかね。」
 十三人のライダー達は皆、自分の願いのために"理性"で戦いに身を投じている。もちろん北岡もその一人だ。しかし、浅倉威だけは違っていた。やつは"本能"で殺すことを楽しんでいる。故に殺しを一切躊躇わない。いや、躊躇う必要が無いのだ。浅倉が参戦してから、十三人いたライダーは一気に七人にまで減った。そのことを語る神崎士郎は、どこか安堵した様子であった。
「……噂をすれば、か。」
 ベノスネーカーの気配。それと同時に、玄関のドアが蹴破られた。
「よぉ、殺しに来たぜ。」
 浅倉が、血塗れの顔に笑みを浮かべながら立っていた。彼が今まで何をしていたのか、北岡は知りたくないと思った。
「お前さぁ……よく品のないやつって言われない?」
「知るか。さぁ、デッキを取れ。」
「……はぁ。変なのに因縁つけられちゃったなぁ。」
 面倒を嘆きながら、北岡はデッキを手に姿見の前に立った。そして隣に立つ浅倉。二人は互いに目を合わせると、デッキを前にかざした。
「「変身!!」」
〜ミラーワールド・北岡秀一邸内〜
「いくら鏡の世界とは言っても、自分の家を荒らされるのは気分悪いね。」
 軽口を叩きながら、ゾルダはマグナバイザーの連射を王蛇に浴びせかけた。そばにあった家具を盾にして、それを防ぐ王蛇。
「ふん、すぐに小綺麗な元の家に送り返してやるよ。殺してからな。」
「はぁ……ほんと、なんでお前みたいなのがライダーなのかね。」
<SHOOT VENT>
 ゾルダの両肩に、大砲が装備された。それを全身で支えながら、王蛇目掛けて二連砲弾を放つ。
「ふははっ、まるで歩く火薬庫だな。」
 王蛇は片方をベノサーベルで叩き切ると、もう一方をすれすれで躱した。あの砲弾を叩き切る筋力はもちろん、攻撃を躱しきる反射神経と判断力。やはり王蛇はただものではないと、ゾルダは思った。
「お前、遠距離武器持ってないだろ? 自分の不利認めて、さっさと死んでくれよ。」
「バカが。ようやく面白くなってきたところだろうが。」
<ADVENT>
 邸内の壁が崩れ去り、奥から王蛇の契約モンスターが首をもたげて現れた。まるで新しい獲物を前に心震わせるように、ベノスネーカーは舌を鳴らした。
「……なるほどね。」
「やれ。」
 主人である王蛇の号令を合図に、その口から酸液が吐き出された。全力で横に跳ぶことでゾルダはそれを避けたが、酸液がかかったところはどろどろと歪な跡を残しながら溶けていた。
「お前、ほんと面倒くさいよ。」
「フハハッ……さぁ、もっと戦いを楽しもう。」
<ADVENT>
 それは、戦いに集中する二人の不意をついた一撃だった。突如姿を現したボルキャンサーが王蛇の胴を挟み込み、そのまま壁を突き破って彼を外の地面に叩きつけたのだ。
「ぐおぉっ……」
 思わぬ一撃をくらい、地を這い悶絶する王蛇。
「あれって……」
 唖然とするゾルダの後ろから、こつこつと足音が聞こえた。振り返ると、そこには新たなライダーが立っていた。
「誰だ?」
「私はシザース。安心してください、今のところあなたの敵ではない。私が殺したいのはあの男……王蛇です。」
 ゾルダは、その声色から深い恨みを感じ取った。それは静かに、しかし激しく燃えていた。



 須藤雅史の悲願は、間もなく達せられようとしていた。目の前には、自分の部下を殺した仇……浅倉威がいる。彼を殺すべく、シザースはバイザーにカードをセットした。
<STRIKE VENT>
 シザースピンチを右腕に装着し、ゆっくりと歩を進める。一歩地面を踏みしめるたびに、鼓動が少しずつ早くなっていくのをシザースは感じた。
「終わりです、浅倉威。」
 王蛇の首筋目掛けて刃を振り下ろす。最後は自らの手で加賀と同じように殺してみせると、シザースは心に誓っていた。
「……やはり、あなたは阻みますか。」
「悪いな須藤さん。俺やっぱり、アンタを止めることを諦められない。」
 シザースの一撃を、龍騎のシールドが防いでいた。
「今度こそ、止めてみせる!!」
 シザースの身体をシールドで弾き飛ばした龍騎が、一枚のカードを装填した。
<SURVIVE>
 赤き龍の戦士を、今一度炎が包んだ。そうして現れた彼の身体には金の装飾が施され、ドラグバイザーもその姿を変えた。
 彼の名は『仮面ライダー龍騎サバイブ』。胸の内の決意を今一度滾らせた、紅蓮の戦士。
【十九】
〜十分前・北岡邸前〜
 真司と蓮がベノスネーカーの気配を追って辿り着いたのは、弁護士・北岡秀一邸の前だった。
「なるほど……王蛇がゾルダの根城を直接襲撃したということか。ふん、浅倉がやりそうなことだ。」
「クールぶってないで、さっさと行こうぜ。」
「……待て。」
 はやる真司を制して、蓮が周囲を警戒し始めた。初めはどういうことかと思ったが、真司もすぐにその行動の意味を理解した。
「蓮、あいつが……神崎士郎がいる。」
「ああ。すぐに姿を見せないところが、相変わらず不気味なやつだ。」
「俺ならここにいるぞ。」
 不意に、二人の背後から声がした。
「ふん……どうやらバトルマスター様は、他人を驚かせるのが好きらしい。」
「……何の用だよ、神崎。」
 後ろを振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべた神崎士郎が立っていた。
「お前たちに、新しい力をやろう。その力をどう使うか……それはお前たち次第だ。」
「力って」
 真司の問いを聞くことなく、神崎は二人にカードを投げ渡した。それは、大きな片翼が描かれた赤と青のカードだった。
「おい、これってなんだよ。」
 訝しげに真司が今一度問いかけると、神崎は珍しく険しい面持ちで答えた。
「結衣に危険が迫っている。あいつが信頼しているお前たちに、そのカードを預けよう。それを使えば、龍騎とナイトは更に強いライダーとなるだろう。」
「危険、とは?」
 ずっと静観していた蓮が、ついに口を開いた。
「……戦え。そうすればいずれ分かる。」
 その言葉が放たれた瞬間、辺りを強い光が包んだ。そしてその光が止んだとき、やはり神崎士郎はその姿を消していた。
「言いたいことだけ言いやがって……なぁ、蓮?」
 真司が蓮の方を向くと、彼は神崎から手渡されたカードをじっと見つめていた。
「おい、どうしたんだよ?」
「やつは更に強くなれると……そう言ったな。」
「え? あぁ。」
「お前は、このカードを使うのか?」
「俺? いや、俺は……」
〜〜なら戦いますか。それで自分を突き通せるなら、私は喜んでデッキをとりますよ。〜〜
 脳裏に、ふと須藤の言葉が蘇った。
「……使う、と思う。」
 真司は懐からデッキを取り出した。
「須藤さんは、覚悟を決めてた。俺がそれに向き合うには、ちゃんと戦わなきゃ……戦って止められるだけの力が、きっと俺には必要なんだ。」
「……そうか。」
 真司と蓮は、北岡邸の玄関口へその身体を向けた。
「ミラーワールドでは、もう北岡と浅倉は戦っている。きっと須藤も……」
「あぁ蓮、わかってる。」
 二人はデッキを握りしめると、走り出しながら叫んだ。
「「変身!!」」
〜現在"北岡邸内・ミラーワールド"〜
「なぜ……その男を庇うんです。」
 龍騎サバイブの背後でうずくまる王蛇を恨みがましく見ながら、シザースが問いた。
「あんたの手をこれ以上汚したくないから……ってのもあるけど。」
「けど?」
「やっぱり人が他人を殺していい理由なんて……どこにも無いと思うから。」
「あなたは……やはり甘い。」
 シザースが、バイザーにカードをセットした。
<FINAL VENT>
「今度は殺します。」
 空中で勢いよく回転したシザースの体当たりが、龍騎サバイブを襲った。
「もう、あの時の俺じゃない!」
<SWORD VENT>
 龍騎サバイブのバイザー『ドラグバイザーツヴァイ』から、炎を纏った剣が出現した。それはシザースの身体を難なく受け止めると、そのまま後方に弾き飛ばした。
「なっ……!?」
 驚きながら受け身を取るシザースを、龍騎サバイブの追撃が襲う。
<ADVENT>
 ドラグレッダーが姿を変えた新たな龍のモンスター『ドラグランザー』が、シザースに向けて火球を吐き出した。それは彼の足元を囲うように地面に着弾すると、大きな火柱でその動きを封じてみせた。
「……あくまで、殺すつもりはないということですか。」
「俺は、殺すためにライダーの力を使うんじゃない。救うためにこの力を使う。」
「ホントは、あんたもそうしたいんだろ?」
「……!!」
 二人の戦士が向き合ったその時、シザースの脳裏にまるで走馬灯のように過去の情景が浮かびあがった。炎が収束していく。
【二十】
〜某日・昼"警視庁・捜査一課オフィス内"〜
 刑事にとって最も幸せなときとは何か。それは、仕事が何もない暇な昼時である。須藤はそんな暇を噛みしめながら、自分のデスクでコーヒーを啜っていた。
「暇そうっすね、須藤さん。」
「おぉ、加賀か。」
 部下の加賀がコーヒーを片手に、須藤の隣に立った。
「あーあ、ホント退屈っすねぇ。なんか派手な事件とか起きねぇかなぁ。」
「暇ってことは平和ってことだ。もっと喜んでおけ。」
「クールっすねぇ、須藤さんは。」
 日差しが眩しい。須藤は窓のブラインドを閉じるために立ちながら、加賀に声をかけた。
「そんなこと言って……お前、なんのために刑事になったんだ?」
「そりゃあ、悪いやつとっ捕まえてみんなの平和を守りたいから。アレっす、正義のためっすよ。」
 笑いながらそう答える加賀を見ながら、須藤は迷子になった自分にずっとついてくれていた交番の刑事のことを思い出していた。
「須藤さんは何のために刑事に? その歳で警部とか、憧れちゃいますよ。よっぽど才能があったんすねぇ。」
「ただ無駄に器用だっただけさ。俺は……」
 そこから先の言葉をずっと忘れたまま過ごしていたことに、須藤はようやく気づいた。



〜現在・ミラーワールド〜
「……あなたのおかげで、大切なことを思い出せました。」
「須藤さん?」
 シザースは武器を下ろすと、疲れた身体を引きずりながら歩き出した。辺りを覆っていた炎は、すっかり鎮火していた。
「浅倉のことは諦めます……どのみち、もう逃げたようですしね。」
「え? ……あ。」
 龍騎が慌てて振り返ってみると、そこにいたはずの王蛇の姿はなかった。どうやら隙をみて逃げおおせたらしい。
「えっと……ごめん。でも、これからも続けるってんなら……」
「もうやめますよ。大人しく自首します、ケジメとしてね。」
「……あぁ。」
 そう言って、シザースはミラーワールドを後にした。何かから解放されたようなその後ろ姿を、龍騎はしっかりと目に焼き付けた。
「なぁ、龍騎……だっけ? なんであんなお人好しがライダーやってんの?」
 二人の様子を側から見ていたゾルダが、隣にいたナイトに問いかけた。
「さぁな……しかしあぁいうお人好しが一人くらい居た方が、俺たちにはいいのかもしれない。」
「……そんなもんかね。」
 そうしてゾルダとナイトもその場を去った。一人立ち尽くしていた龍騎も、少し後にミラーワールドを出たのだった。
〜翌日・昼"警視庁本部前"〜
『あ、出てきました! 連続行方不明事件の犯人として出頭してきた須藤刑事です!! 今、世間を賑わしてきた事件の犯人が我々の前にその姿を見せました!!』
 リポーターの忙しない中継と群衆のざわめきが、須藤の耳をさした。両手は手錠で拘束され、今彼は拘置所に送られるためパトカーに乗ろうとしていた。
「……これも報いですね。」
 両脇の刑事に先導されながら、前へと進んでいく。苦しい自責の日々が終わり、須藤は今贖罪の日々へと向かおうとしていた。
(真司くん……加賀。私は再びあの頃の自分を取り戻してみせる。あなた達の想いに、応えるために。)
 ドスッ
「え」
 腹に走る鈍い痛み。それが突き立てられたナイフによる痛みであることを、須藤はすぐに理解した。
「息子の……仇だ。」
 そう言って須藤を刺したその男の顔は、憎しみで強く歪んでいた。
「……あぁ、そうか。」
 それが須藤が手にかけたうちの誰の仇なのかは分からない。しかし須藤は、妙に清々しい気持ちで地面に倒れ込んだ。

〜〜須藤さんは何のために刑事に? その歳で警部とか、憧れちゃいますよ。よっぽど才能があったんすねぇ。〜〜

〜〜ただ無駄に器用だっただけさ。俺は……本当は不安を抱える人や弱い人に寄り添える、そんな優しくて強い、素朴な正義の味方になりたかった。〜〜

 涙を流し、滲んだ空を見上げながら、須藤はゆっくりとその一生を終えた。
【二十一】
 結衣は、誰もいない街道を息を切らしながら必死に走っていた。そして彼女を追う、二つの黒い影。
「どうして……私を狙うの!?」
「神崎結衣……お前は生きていてはいけない。」
 影の片割れがそう言った。それに続いて、もう片方も口を開く。
「私たちはお前を殺し、この歪なライダーバトルを終わらせる。そして英雄になるのだ。」
 その言葉に気を取られ、思わず躓いてその場に倒れ込む結衣。
(助けて……)
 影たちが、大剣を片手に結衣へと近づいてくる。
「助けて、お兄ちゃん!!」



〜某日・夜中"喫茶花鶏・二階"〜
 結衣が目を覚ましたのは、自室のベッドの上であった。その首筋に冷や汗がつたう。
「夢……か。」
 生々しく残る恐怖感を振り払いながら、気分転換のため一階に降りる。
「あれ、真司くん?」
「おぉ結衣ちゃん……おはよう。って、もう夜中か。」
 真司が店のテーブルを拭いており、床にはモップ掛けの跡がまだ残っていた。
「まだ帰ってなかったんだ。」
「今日はお客さんがめちゃくちゃ来ちゃって、締め作業が終わらなくてさ。蓮のやつは"一人でいいだろ"なんて言って先帰っちゃうし……なんて奴だ! って感じじゃない?」
 そう語る真司の姿はいつも通り明るく、気づけば彼を見ているうちにさっきまでの恐怖感は消えていた。
「……ふふっ」
「結衣ちゃん?」
「あぁ、ごめんごめん。私も手伝うよ。」
「いやでも……もう大丈夫なの?」
「大丈夫だよ!」
 エプロンを身につけ、布巾で残りのテーブルを拭いていく結衣。
「おぉ……ありがとう。助かるよ。」
「ねぇ真司くん。私ね、さっき夢を見たんだ。」
「夢って、どんな?」
「……命を狙われる夢。」
「え?」
 結衣は、さっきの夢の内容を真司に話した。
「真司くん、私……生きてちゃいけないのかな。みんなを傷つけあわせてる人の妹だから……」
「そんなことないよ。」
「え?」
 そう言った真司の声色は、どこか憤っているように聞こえた。自分の願望がそう聞こえさせただけなのか、本当に真司がそう思ってくれているのか、結衣には分からなかった。
「結衣ちゃんは何も悪くない。それにお兄さんだって、なんか事情があるからこんなことしてるんだと思う。大丈夫、もう誰も死なせない。俺が止めてみせるから、安心して結衣ちゃん。」
 そう語る真司の表情はとても真剣であった。そして自分のことを本当に心配してくれているのだと、結衣は理解した。
「やっぱり優しいね、真司くんは。」
「あぁ、いや……てか結衣ちゃんもうすぐ誕生日だよね。蓮も呼んで三人でお祝いしようよ。そうすれば嫌なことも」
「ねぇ真司くん。今、家ないんだよね?」
「え。い、いいよその話は……恥ずかしいから」
「ここに住まない?」
「え?」
 兄がやっていることを知ってから、結衣の心にはずっと孤独という名の不安が付き纏っていた。自分など存在してはいけないと、そういう嫌悪感が彼女を追い詰めた。
「いや、でも……いいの?」
「ここ空き部屋あるから……いいよ、住んで。」
「あ、ありがとう……!!」
 こうして、真司が花鶏に居候することが決まった。
〜翌日・昼"喫茶花鶏・店内"〜
「よかったじゃないか。いつまでも家無しじゃ、お前もカッコつかないしな。」
「蓮てめぇ……もう少し言い方ってもんがあんだろ?」
 真司は、昨日の顛末を蓮に話した。結衣はちょうど買い出しに行っており、その場には蓮と真司の二人しかいなかった。
「まぁちょうどいいタイミングだ。お前、神崎士郎の言葉を覚えてるか?」
「え? あぁ、結衣ちゃんに危険が迫ってるって……アイツそう言ってたな。全く、自分が一番危険にさせてるだろっての。」
 蓮はそんな真司を見て少しだけ考え込むと、ふぅと息を吐き出して話を続けた。
「前に手塚も言っていた……"神崎結衣を頼む"と。近いうち、結衣は必ず危険な目にあう。だから城戸、お前が結衣を守ってやれ。」
「そんなこと言われても……あ。」
「どうした?」
 蓮の言葉を聞いた真司は、かつて手塚に言われていた言葉を思い出した。
〜〜榊原耕一には……気をつけろ。〜〜
「なぁ蓮……榊原耕一って名前に、心当たりあるか?」
 真司のその問いに、蓮の眉がピクリと動いた。
「なぜ、今その名前が出てくる?」
「いや、俺も手塚に言われたんだよ。榊原耕一に気をつけろって。そもそも俺がデッキを拾ったのもその人の家だし……蓮?」
 蓮はとても驚いた様子であった。手塚にも蓮にも、榊原耕一という名前には心当たりがあるらしい。
「おい、なんなんだよ。」
 真司の問いに、ついに蓮が答えた。
「榊原は……」

「榊原耕一は、神崎と恵里がいた研究室の教授だ。」

【二十二】
〜某日・昼"城南大学・蔵書室"〜
 榊原耕一とライダーバトルの関係を探るべく、真司と蓮は城南大学の蔵書室で歴代研究室がまとめられた資料を調べていた。
「おい蓮……これ見ろよ。神崎だ。」
 真司が指差したのは、榊原研究室の集合写真だった。皆やりがいに満ちた表情をしていてとてもその後の惨劇を予感させる要素は無く、そこに神崎士郎の姿もあった。
「あぁ。そして奴の隣にいるのが……榊原耕一だ。」
「へぇ、どれどれ……」
 その榊原耕一という男は、陰気を体で表したようなそんな外見をしていた。猫背な立ち姿に細々とした身体。髪はぼさぼさで長く伸び、妙にやつれた顔にかけられた眼鏡の奥からのぞく眼の下には、濃い隈が目立っていた。
「なんか……凄い人だな。」
「これでも学生には真摯に向き合う人格者で、研究室内での評判はとても良かったらしい。だが……事件の直前、恵里は言っていた。"最近の教授は怖い"とな。」
「俺からするとこの写真の時点で充分怖いけど……蓮はどう思う?」
「見た目はどうでもいい。元より、俺は恵里が死んだあの夜こいつも一緒に死んだと思っていた。まさか生きていたとはな。」
「そうか……」
 榊原について話をしていたその時だった。一人の男性が、真司と蓮に声をかけた。
「榊原くんについてお話しで?」
「え? あぁ、はい……あなたは?」
 真司が応答したのに合わせて、蓮は警戒して一歩下がった。その様子を一瞥した男が名乗る。
「失礼、驚かせてしまいましたね。私は香川英行。この大学で教授をやらせてもらっています。そして、榊原くんとは友人でもある。」
「それで俺たちに声を?」
「えぇ、実は私から二人にお話が……」
 香川の言葉を遮るように、あの耳障りな音が響き渡った。聞いた途端に顔を顰めてしまう、あのけたたましい耳鳴りが。
「城戸、いるぞ。すぐ近くだ。」
「あぁ。すみません香川さん、俺たちちょっと急用が……」
「丁度いい。お見せしよう、私の実力をね。」
「え?」
 そう言うと、香川は人目がないことを確認して近くの鏡に立った。
「城戸真司くんに、秋山蓮くん。そこで待っていてください。すぐに終わりますから。」
 懐からデッキを取り出し、眼前に掲げる香川。それは真司や蓮のものとは少し違う、どこか歪さを感じさせるデザインのカードデッキだった。
「変身!」
 香川の身体を、黒い鎧が包んだ。彼の名は『オルタナティブ・ゼロ』。正義の使者。
〜城南大学・中庭"ミラーワールド"〜
 オルタナティブ・ゼロが相対したのは、巨大な十字手裏剣を背負った赤色の人型モンスター『ゲルニュート』であった。得体の知れない黒い戦士に恐怖しながら、手裏剣を投げつけるゲルニュート。
「無駄な足掻きですね。」
 デッキからカードを取り出し、右腕に備わった『スラッシュバイザー』にスライドさせる。
<SWORD VENT>
 そうして召喚した黒色でトゲに覆われた大剣『スラッシュダガー』を装備し、飛んできた手裏剣をそれでいなす。自身の攻撃が軽くかわされたことに腹を立てたゲルニュートが、地団駄を踏んだ。
「正義のために、散れ。」
<ACCEL VENT>
 そのカードがバイザーにスライドされた瞬間、オルタナティブ・ゼロが高速で移動を開始した。肉眼では捉えられないほどの恐ろしい高速移動を見せた彼は、一気にゲルニュートに肉薄してその身体にスラッシュダガーの一太刀を振り下ろした。
「キィァァア……!」
 自身の身体を削った強烈な一撃に、たまらず苦悶の声をあげるゲルニュート。隙を見たオルタナティブ・ゼロは、トドメを刺そうと最後の一撃を仕掛けた。
<FINAL VENT>
 彼の契約モンスター『サイコローグ』が、バイクに変形しながら現れた。そしてそれに飛び乗るオルタナティブ・ゼロ。彼らはまるで独楽のように高速で回転を始めると、そのままゲルニュートに突撃してその全身を粉砕したのだった。
「……いずれ私たちがライダーバトルを終わらせる。待っていろ、神崎士郎。」
 その場にあがった炎を見ながら、彼はそう呟いた。
〜城南大学・香川研究室〜
「それで、俺たちに話とは?」
 まだ警戒している様子の蓮が、香川にそう尋ねた。真司もそれに続く。
「そうですよ。それにさっきの……あなたもライダーなんですか?」
「ライダーですか……違います。あれはオルタナティブ。私たちが神崎のライダーシステムを基に創り出した、擬似ライダーシステムです。」
 香川がそう言いながら、持っていたデッキを真司に渡した。
オルタナティブ……しかしそんな大事そうなものを、そう易々とこんな馬鹿に渡していいのか?」
「蓮、てめぇ……! あ、気にしないでください俺は」
「いいんですよ。それはプロトタイプで、予備もたくさんありますから。」
 そんなやりとりを三人がしていると、研究室の奥から一人の青年が出てきた。歳は真司達より少し下といったところだろうか。
「先生、この人たちが?」
 そう香川に尋ねた彼の表情は不信感に満ちており、真司と蓮のことをまるで信用していないことが一目で分かった。
「えぇ、そうです。真司くんに蓮くん……紹介しますよ。彼は仲村創くん。私たちと志を同じくする若人です。」
「……仲村創です。よろしく。」
 そう言って、仲村は真司に手を差し出した。それに応え、握手をかわす真司。
「ちょっと待て。勝手に話を進めるな。お前達はなんなんだ? 何を企んでいる?」
「おい蓮、そんな言い方……」
「いいでしょう。私も、回りくどいのは苦手なのでね。」
 仲村を自分の脇に下がらせた香川が、二人に告げた。
「単刀直入に言います。神崎結衣をこちらに渡してください。」
「え? なんで結衣ちゃんを?」
 流石の真司も、その言葉を聞いて少し警戒した。神崎士郎の言葉が、そして神崎結衣が吐露していた苦悩が頭をよぎった。
「私たちの目的は、ミラーワールドを閉じてライダーバトルを終わらせること。そしてその方法を、私たちは知っている。」
「何?」
「マジか!! それって一体どんな方法なの??」
 蓮と真司の顔を少し見た香川が、真剣な面持ちで答えた。

「殺すんですよ。神崎結衣をね。」

【二十三】
〜某日・昼"喫茶花鶏・店内"〜
 神崎結衣は、カウンターの写真立てに飾ってある兄とのツーショットを眺めていた。二人とも幸せそうに笑っている。
「お兄ちゃん……ライダーバトルなんかやめて、戻ってきてよ。」
 いつも思い出すのは、幼い頃の優しかった兄。昔からミラーワールドが見えた結衣は、同級生に気味悪がられ虐められていた。そんなとき庇ってくれたのが、士郎だ。
〜〜お兄ちゃん、やっぱり私おかしいのかな。変なのが見えちゃう私はバケモノなの?〜〜
〜〜そんなことはない。お前はバケモノじゃなくて、俺の大事な妹だ。安心しろ結衣。お前は俺が守る。〜〜
 しかしかつて守ると言ってくれた兄は、もうそばにいない。結衣にはそれが寂しく、不安で仕方なかった。
「……はぁ。」
 店の扉を開け、外に出る結衣。そんな彼女に、突如としてあの耳鳴りが聞こえてきた。
(モンスター!)
 花鶏の窓ガラスから飛び出してきたソイツは、まるで鉄仮面のようなマスクと無機質なパイプで黒い体表を覆っていた。
「狙いは……私ってこと。」
 結衣に危険が迫っていた。
〜城南大学・香川研究室〜
「殺すって……どういう意味だよ。」
 香川から告げられた思わぬ一言に困惑しながら、真司は必死で言葉を絞り出した。
「そのままの意味ですよ。神崎結衣を殺して、ライダーバトルを終わらせる。それが私たちの目的なんです。」
 そう淡々と語る香川に、迷いの様子は全く見えない。嘘をついているわけでもないと判断したのだろう。蓮が眉間に皺を寄せながら問いかけた。
「なぜ結衣を殺す必要がある? それがライダーバトルを終わらせることと、どう関係してくるんだ?」
「それは……あなた達が協力してくれることが決まってから話しますよ。」
「ならお前達から聞けることは何も無いな。結衣は渡さない。行くぞ、城戸。」
「お、おぅ。」
 そう言うと、蓮はすぐに身を翻してその場を後にしようと歩き出した。戸惑いつつ真司もそれに続く。しかしそんな二人を阻むが如く、あの音が響き渡る。
「モンスター……お前がさっき呼び出してたやつか。」
 すぐに状況を察した蓮が、デッキを手に取った。どうやら香川達も二人を大人しく帰すつもりはないらしい。
「困るんですよ、今あなた方に行かれては。邪魔をされるかもしれない。」
「邪魔って、どういうことだよ。」
 そう尋ねた真司の方を見ながら、香川は得意げに笑った。まるで自分たちの勝ちを確信しているような、そんな顔だった。
「その様子……さてはお前達。」
「流石秋山くん。そちらの城戸くんと違って、君は察しが良いようだ。」
「お、おい蓮。どういうことだよ?」
「香川のあの様子からするに、既に結衣に刺客が放たれている。恐らくはあの仲村という男の契約モンスターだ。」
「そ、それってめちゃくちゃヤバいじゃねぇか! どうする……?」
「俺がこいつらを引きつける。だから城戸、お前は結衣の元へ行け。」
「で、でも……」
「大丈夫だ。お前より俺の方が戦い慣れている。」
「……分かった。」
 蓮の言葉に従い、真司はその場を飛び出した。結衣を守る。ただそれだけを考えて。
「もう遅い……間に合いませんよ、彼は。」
 香川のその言葉に呼応するように、研究室の窓から彼の契約モンスターであるサイコローグが飛び出した。それは飢えた獣のように息を荒げると、香川の隣に立った。
「随分と躾けられているようだな、お前のモンスターは。」
「英雄たる者、駒の管理はしっかりとしないとね。」
「英雄? そうか、それがお前の願いか。」
「あなた達ライダーの私欲に塗れた願いと一緒にされては困る。私の理想はこの世界のためにあるんですよ。」
「……ふん。」
「仲村くん、準備はいいですか。」
「はい。」
 三人がデッキを構え、鏡と対面した。真司にはああ言ったものの、ライダー二人を同時に相手取ったことは蓮には無かった。
(だが……俺は負けない。)
「変身!」
「変身!」
 香川がオルタナティブ・ゼロに、そして仲村がその完成形となる『オルタナティブ』に変わった。蓮を一瞥し、各々ミラーワールドへと入っていく。
「結衣は、殺させない。」
 一層力強く握りしめたカードデッキを、目の前の鏡にかざす蓮。そこに映る自分の姿からは、かつての迷いは消えていた。
「変身!!」
【二十四】
 真司は、必死にバイクを走らせた。こうしている間にも結衣は奴らのモンスターに捕食されているかもしれない。そう考えるたびに全身に悪寒が走った。
「あ……結衣ちゃん!!」
 結衣は、頭を抱えて花鶏の門前でうずくまっていた。その様子は恐怖と同時に、どこか混乱している風であった。
「結衣ちゃん、大丈夫?」
「……真司くん!!」
「うおぁっ!?」
 恐る恐る近づいた真司の身体を、結衣は抱きしめた。その身体は弱々しく震えており、彼女を襲った恐ろしい出来事を物語っていた。
「あの……えっと……」
「……」
「……いや。」
 不思議な感覚だった。まるでその世界には二人しかいないような、そんな感じだった。
「……結衣ちゃん。」
「……あ! ごめん、真司くん……。」
 慌てて身体を離し、俯く結衣。真司も言葉を詰まらせたが、なんとか余裕を見せようと少し大きくなった声で尋ねた。
「あのさ、結衣ちゃん。大丈夫だった? なんか、モンスターに襲われたとか……」
「う、うん。襲われたよ、モンスターに……」
「え、大丈夫だったの!?」
 その言葉を聞いた結衣の表情が、少しだけ和らいだ。そして、彼女は足元に落ちていた金色の羽を拾い上げた。
「大丈夫だった。多分……お兄ちゃんが助けてくれた、から。」
「え?」
〜〜安心しろ結衣。お前は俺が守る。〜〜
 結衣は、兄の言葉を思い出していた。



 恐怖のあまり足が動かない結衣に迫ったモンスターが、奇声をあげて彼女に襲いかかった。
(助けて……お兄ちゃん!!)
 結衣が死の間際に助けを求めたのは、神崎士郎だった。そしてその想いは、確かに届いた。
〜〜安心しろ、結衣。〜〜
 辺りに金色の羽が降り注ぎ、その場にいたモンスターを切り刻み絶命させた。
「……お兄ちゃん?」
 彼女の前に立っていたのは、全身を黄金の鎧で包んだライダー。鈍く眩く輝いたそのライダーは、何も言わずに背を向けて歩き出した。
「待って……お兄ちゃんだよね!? 私には分かる……助けてくれてありがとう。でももうやめて。これ以上みんなを困らせないで。」
「私をひとりにしないで。」
 その叫びに、金色のライダーは応えなかった。辺りを白い光が包み、そのライダーは消えた。
「どうして私を置いていくの……?」
 分からない。兄が何を目的に動いているのか。何を思っているのか。結衣にはわからない。たった一人の家族で、最も大切に想いあっていたはずの兄に置いていかれた結衣の孤独は、日に日に広がり続けていた。
「結衣ちゃん、大丈夫?」
 真司の声が聞こえた。



〜城南大学・中庭"ミラーワールド"〜
「ハアァッ!!」
 ナイトのウイングランサーによる一振りが、Aゼロの半身をかすめた。しかし、それは掠めるだけで彼の肉体を傷つけるには至らない。
「……避けるのが上手いのか、お前は。」
「あなたの戦いは既に見ていました。そして私には瞬間記憶能力がある。だから覚えてしまうんですよ、あなたの太刀筋……いや、"クセ"をね。」
「厄介なやつめ。」
「俺もいるぞぉっ!!」
 オルタナティブが、自身の武器をがむしゃらにナイトに振り回した。その様子から彼が戦いには慣れていないことを悟ったナイトは、即座に二人から距離をとってカードをセットした。
<NASTY VENT>
 飛来したダークウイングが、辺りに耳障りな高周波を放った。それはナイトには効かず、他の二人にのみ効力を発揮した。
「ぐああっ……!!」
「うおぉ……!!」
 耳を抑え、苦しむ二人。そして先に体制を整えたのはAゼロの方だった。
「こんな厄介な隠し玉を持っていたとは。しかし、私は負けられない。いきますよ仲村くん……ん?」
 その言葉に、仲村は反応しなかった。いや、もう既にできなかったのだ。彼は動かなくなり、そのまま地面に倒れ伏した。
「……今の技は、ここまで強力なのですか。」
 教え子が息絶えたことを確認しながら、Aゼロがナイトに尋ねた。
「いや……今の技にここまでの力はない。」
「ならば、きっと神崎結衣に向けて放っていた彼の契約モンスターが倒されたんでしょうね。」
「だが契約モンスターが倒されても、ライダー自身が死ぬことはないはずだ。」
「通常ならば、ね。ですが私たちは違う。模造品の欠陥……というところでしょうか。」
「そんなリスクまで背負ってまで、お前は結衣を殺すというのか。」
 仲村の遺体を抱えたAゼロが、天を仰ぎながら言った。
「当然です。それが英雄的行為なら、私は迷わずやる。」
 こうして、一旦戦いは終幕した。しかし香川に諦めた様子はなく、彼がまた結衣に刃を向けることを蓮は悟った。
(俺も……覚悟を決めるべきだな。)
 覚悟を持たなければ戦いには臨めない。そしてそこに、例外はない。
【二十五】
〜同日・夜"喫茶花鶏・二階"〜
 安心しきったのか、穏やかな寝息をたてている結衣を前に、真司と蓮は額に皺を寄せた。
「しかし、なぜ香川は結衣を殺そうとする? 奴は、ライダーバトルを終わらせるためと言っていたが……。」
「なぁ、蓮。」
「どうした、城戸?」
 真司は、先の結衣の不安げな様を思い出していた。彼女はきっと怖くてたまらないのだと、そう思った。
「俺、もう一度香川さんに会って話を聞きたい。ライダーバトルを終わらせる方法を知るために。」
「しかし城戸。奴は……」
「分かってる。あの人は結衣ちゃんを殺そうとした。それは絶対に許せない。でも俺、嫌なんだよ。これ以上誰かが死ぬのは。」
 芝浦、手塚、須藤。それ以外にも既にいるかもしれないライダーバトルの犠牲者たちと、モンスターによって命を奪われた数多の人々。その人たちのことを思うと、やはり真司にはライダーバトルを肯定することなどできなかった。
「きっとあの人たちと協力すれば、他にミラーワールドを閉じる方法が見つかるかも。そうすれば結衣ちゃんを殺そうとするのだって思いとどまってもらえる。」
「だが、そもそもなぜ結衣を殺そうとするのかだって分かっていないんだ。その状況で協力、ましてや別の方法など……」
「明日、香川さんに会いにあの研究室に行く。」
「馬鹿な。」
「あぁ、馬鹿な俺なりに考えて動くんだ……一緒に来てくれなんて言わない。お前は、結衣ちゃんについててやってくれ。」
 それだけ言うと、真司は向かいの自分の部屋に戻っていった。こういう決意をした時の城戸真司は折れない。そのことを、蓮はよく分かっていた。
「……お前もちょっとはライダーらしくなってきたか、城戸。」
 ふぅとため息をつき、蓮もその場を後にした。静けさに包まれた真っ暗な部屋で、残された結衣は涙を流したのだった。
〜翌日・午後"城南大学・香川研究室"〜
「まさかあなたの方からもう一度出向いていただけるとは思っていませんでしたよ、城戸くん。」
 嬉しそうに笑いながら、香川は眼鏡を掛け直して真司の方を向いた。とても、十九歳の女の子の命を奪おうとしている危険な人物には見えなかった。
「どうしてもあんたから話を聞きたいんだ。結衣ちゃんを殺すって……それ以外にミラーワールドを閉じる方法は無いのかよ。」
「ありませんね。彼女が生きている限り、ライダーバトルはずっと"繰り返される"でしょう。」
「え?」
「そこから先は、私がお話ししよう。」
 そうして二人の会話に割って入ったその男は、香川の背後にあった姿見の"中から"その姿を表した。神崎士郎を思い起こさせるその現れ方に、真司は只者ではないと思った。
「……アンタは?」
 鏡から現れたその男は黒のジャケット、シャツとパンツで身を包んだがっしりとした屈強な男で、ギラギラとした目つきからは並々ならぬ意志を感じ取ることができた。
「私は榊原耕一。ミラーワールドを終わらせ、この世界を滅びの円環から救う救世主となる男だ。」
「榊原耕一って……え?」
 その名前には確かに聞き覚えがあった。真司がライダーになるきっかけとなった人物。そして蓮の恋人や神崎が所属していた研究室の教授だった男。
「でも、アンタ……」
「写真で見たのとは随分印象が違う、だろう?」
「あ、あぁ……。」
 真司が写真で見たその男は、言い方は悪いがもっと非力で卑屈そうな男であった。目の前に立っているその男は、そんな彼の容姿やイメージとはかけ離れていた。
「その疑問に対する答えは簡単だ。私は榊原耕一であって、榊原耕一"ではない"。」
「どういう、意味ですか?」
「城戸くん、私はね。別の世界から来た存在なんだよ。」
 榊原耕一。彼が語るのは、ライダーバトルの始まりと真実。そしてとても残酷な、真司には受け入れ難い事実。
【二十六】
〜数年前・榊原研究室〜
 榊原の研究室にやってきたその青年は、まるで全てを棄てたような冷徹さと、何かを成し遂げんとする強い意志を同時に垣間見せる不思議な学生であった。
「神崎くん。君は本当に並行世界の存在を信じているのか?」
「信じる信じないの話ではありません教授。並行世界はあるんですよ。あらゆる分岐点から無限に枝分かれた時間、空間、生命その他はそれぞれの世界を形成し、衝突しないよう均衡を保ちながら存在している。この並行世界を活用すれば、永遠の生命だって手に入れられるんです。」
「そんな馬鹿な話が……」
「私は既にそれを経験しています。そして並行世界と繋がる方法を、私は見つけた。」
 そうして彼が語ったのは、到底信じられない荒唐無稽な話であった。しかし榊原はそこに、確かな経験に裏打ちされた生々しさを感じたのだった。そうして、彼らはライダーシステムを完成させた。並行世界の一つであるミラーワールドとの行き来を可能とする、ライダーシステムを。
〜現在・"城南大学・香川研究室"〜
「並行世界……まさかそんなものが……」
 驚きを隠せない真司に、榊原が続ける。
「神崎士郎。奴は異形の怪物たちによってその他全ての生命が食い荒らされた、我々の世界とはまるっきり"対称"になっている世界とこの世界を鏡を通じて繋げてしまった。私は彼の思想の危険さに気づいて研究を止めようとしたが……遅かった。モンスターに命を狙われてしまったんだ。」
「でも、あなたは生き延びた。どうやって?」
「これを使ったんだよ。」
 そう言って榊原が懐から取り出して見せたのは、真っ黒いカードデッキだった。そこに刻まれた龍の紋章は真司の、龍騎のものとほぼ同じ型をしていたが、より禍々しさを増した造形になっているようだった。
「榊原さん、これは?」
「これは"リュウガ"のデッキ。私が神崎くんの目を盗んで完成させたオリジナルのライダーシステムだ。これを使って、私はミラーワールドのなかにずっと身を隠してきた。今日この日までね。」
「……あなたと神崎との関係はわかりました。でも、結衣ちゃんは? 今の話だと、結衣ちゃんが死ななければならない理由はどこにもないはずです。」
 その話に、榊原は顔を顰めた。どうやらまだ話には続きがあるらしい。
「違うんだよ真司くん。寧ろこの話の根幹には神崎結衣の存在があって欠かせないんだ。……いいかい、心して聞いてくれ。」
「は、はい。」
「神崎結衣は、既に死んでいる。彼女に新しい生命……いや、生きる時間を与えるための戦いがこのライダーバトルなんだ。」
「……は?」
 神崎士郎はなぜ並行世界の存在を知ったのか。そしてなぜライダーバトルを始めるに至ったのか。全ては、十年前に遡る。
〜十年前・都内某所"神崎邸"〜
 暗く、薄汚い倉庫。そこは二人にとってはかけがえのない場所だった。妹——結衣の顔や身体にできた痛々しい痣を見ながら、士郎は弱々しく震える彼女に声をかけた。
「大丈夫、この痣もすぐ消えるよ。そしたらここから二人で逃げよう。きっと僕たち、二人とも幸せに笑える未来が来るよ。」
「お兄ちゃん……私、もういいかもしれない。」
「え?」
 声が震えていた。涙を堪えていた。きっと結衣はもう限界なのだと、分かってしまった。もう時間はない。ずっと準備してきたことをその日、士郎は決行した。



〜同日・深夜"神崎邸・倉庫内"〜
「起きろ! 起きろ結衣!!」
「え、お兄ちゃん?」
 寝ぼけ眼の妹の手を引き、士郎は倉庫から出た。リビングでは睡眠薬入りのワインを飲んでのうのうと眠っている父親と母親がおり、屋敷中に火がまわっている。どんどんと火の手があがり、屋敷が焼け落ちるのも時間の問題であった。
「お兄ちゃん待ってよ……早いよ……!!」
「大丈夫だ結衣。俺がついてるから。」
 結衣を事前に逃がさなかったのは、火事の直前に不自然に家の外に出ていたら怪しまれると思ったからだった。なにより、士郎には自分なら妹を守れるという強い自信があった。
「大丈夫だ結衣。大丈夫だ……あれ、結衣?」
 気づくと、先ほどまで手を引いていたはずの結衣の姿が無かった。屋敷が完全に焼けるまで、もう時間がない。
「そんな……結衣、結衣……!!」
 どれだけ叫んでも、彼女からの返事はなかった。必死で駆け回り、暑さで朦朧とした意識の中でも探し続けた。やがて士郎がたどり着いたのは、屋敷の階段踊り場に飾られた、大きな鏡の前だった。そしてそこには、倒れて動かなくなった妹の姿があった。
「結衣……!!」
 結衣は息をしていなかった。大人からの暴行を受けて弱りきった身体に、この状況は耐え難かったのだ。そんな小さな彼女の弱さにも、自分は気づいてやれなかった。そこで、士郎は膝をついて叫びながら涙を流した。どれだけそうしても妹は帰ってこないと分かっていても、涙を止めることはできなかった。
「結衣……ごめん、俺もすぐそっちに行くから。」
「待って、お兄ちゃん。」
「え?」
 それは、目の前に横たわった彼女から発せられた声ではなかった。その向こう側、鏡越しに立ち尽くした神崎結衣の鏡像から発せられていた。彼女はしっかりと立って、こちらを見ていた。
「なに、これ……?」
「私は神崎結衣。あなたの妹。でも生きている世界が違う。私がそこに横たわっている肉体に入れば、"あなたの妹"は生き延びる。でも元々住む世界が違うから、成長しない。生命の時間は、止まったまま。あなたがどうにかして。あなたの努力で、私たちを生かして。」
 そう言うと、彼女は消えていった。そして、士郎の目の前で横たわっていた神崎結衣は目を覚ました。火は、二人の周りを囲うようにしてそれ以上侵食しようとしなかった。



〜某日・夜"城南大学・榊原研究室"〜
「やった……ついにやったんだ! 俺はやったぞ、結衣……!!」
 無数に折り重なった死体の中心で、士郎は歓喜の声をあげた。どれほど繰り返しただろうか。ついに神崎は、仮初だった結衣に"成長する生命"を与えることができたのだ。人が持つ願いの力。それを養分として、士郎は新たな生命を生み出したのだった。
「神崎くん……まだだよ。まだ終わりじゃない。」
「……榊原教授。怖くなって逃げ出した腰抜けのあなたが、今更何を言うんです。」
「君はきっと、まだ繰り返さなきゃいけない。だが私が、もうすぐ君を止めて見せる。その時まで、待っていてくれ。」
「……消えろ。」
 榊原は、鏡のなかへと消えていった。今の士郎にとって彼はどうでもいい存在だった。それよりも、目の前で今新たな生命を授かった妹のことがずっと重要だった。
「結衣……結衣……!!」
 死体の上で横たわっていた結衣が、覚醒を告げるように眼を開いた。しかしそんな彼女の様子は、まだどこかおかしい。
「……結衣?」
「消えちゃうよ。」
「え?」
 生気のない不気味な顔つきのまま、結衣は言葉を紡いでみせた。
「二十歳の誕生日になったら、消えちゃうよ。まだ完全じゃないから。二十歳の誕生日になったら、消えちゃうよ。だから私を、完全な生命にして。それまで私は隠れるから。お願いお兄ちゃん。私を助けて。」
「……あぁ、そうかまだか。分かったよ。二十歳になる前にお前を完璧な存在にする。大丈夫、失敗してもすぐにやり直すさ。成功するまで、何度だって繰り返すよ。」
〜現在"城南大学・香川研究室"〜
「そんな……そんな、ことって……」
「奴は、死んだ妹のためだけにこの戦いを起こしている。そして奴には、『TIME VENT』の力がある。この、時を操る力で世界を何度もやり直しているんだ。だからこのライダーバトルでより強い願いの力を集めきり、それを無事に彼女に譲渡できるまで……そうやって彼女を救えるまで、奴は何度だってこの世界を繰り返すだろう。私は、そんな地獄の繰り返しからこの世界を解放するために今まで準備してきた。それが、もうすぐ叶う。」
「どうする気ですか……?」
 榊原は先ほどの黒いカードデッキを眼前にかざしてみせると、腰に巻かれたベルトに装填した。みるみるうちに彼の身体を黒い鎧が覆っていき、その姿は"黒い龍騎"そのものとなった。
「繰り返される世界にイレギュラーを引き起こすため、私は龍騎のカードデッキが神崎の意図しない人間に渡るよう仕組んだ。誰でもよかったが、君が龍騎になった。私たちで……『龍騎』と『リュウガ』であの女を殺そう真司くん。大丈夫、既に死んだ人間だ。それに死んだ人間を元の形に戻して、世界を救える。こんなに素晴らしいことはないだろう?」
「……結衣ちゃんは、殺させない。」
「何?」
 真司のなかの"何か"が、目の前の男を止めろと叫んでいた。リュウガに対抗すべく、デッキを取る。
「確かに俺はライダーバトルを止めたい。戦いなんてさっさと止めたい。でもそのために何かを犠牲にするなんて……ましてや結衣ちゃんを殺すなんて……認められるわけがないだろ。」
「ならまず君を殺して、私と香川くんで神崎結衣を殺すことにする。香川くん。」
「えぇ。」
 ずっと静観していた香川が、デッキをとってAゼロに変身した。
「……香川さん、アンタ。」
「私には何が間違っていて、何が正しい行いなのかが分かる。これは正義の行い、英雄的行為なんですよ。」
「相変わらず反吐が出るな、貴様の物言いには。」
「この声……蓮!?」
 真司が振り返ると、怒りを滲ませた蓮がそこにいた。どうやら彼も今の話を聞いていたらしい。
「蓮……来てくれたのか。」
「勘違いするな。俺にはライダーバトルで叶えなければならない願いがある……その邪魔になるものを、この手で潰しに来ただけだ。」
「そうかよ。」
 ベルトにデッキを装填し、真司と蓮は龍騎とナイトに変身した。
「榊原くん、私は秋山蓮を。あなたは城戸真司をお願いします。」
「あぁ、彼とは手を取り合えると思ったんだが……残念だ。」
「行くぜ、蓮。俺たちで結衣ちゃんを守るんだ。」
「……あぁ!!」
〜"城南大学・香川研究室"ミラーワールド〜
<<<<SWORD VENT>>>>
「おおぉっ!!」
「はぁ!!」
 ナイトのウィングランサーと、Aゼロのスラッシュダガーが火花を散らした。
「香川……お前、家族は?」
「いますよ。愛する妻と、息子がね。」
「なら何故結衣を殺そうとできる? 愛するものがいるお前なら、結衣の苦しみがわかるはずだ。」
 鍔迫り合いでは決着がつかないと判断したAゼロが、後方に飛んで距離をとった。次で彼が仕掛けてくると、ナイトは身構えた。
「分かりますよ。だからこそ私がやらなければならない。同情などと言う陳腐な感情に左右されず、愛する家族のために正しく英雄的行いを成す者として。私はライダーバトルを止めて、この世界を救う。」
「香川、お前……」
「秋山くん、世界が繰り返されるということは並大抵の事象ではない。それは近く他の並行世界にも影響を与える……君が愛する恵里さんが平穏に暮らす、並行世界にもね。」
「な……!!」
<ACCEL VENT>
 動揺したナイトの隙をついて、Aゼロが仕掛けた。高速で近づき、その腹部に深い一薙ぎを与える。
「ぐ……貴様!!」
「秋山くん、私はあなたを買っている。力を借りたい。君の強い意志と経験はきっと神崎と戦う助けになる。並行世界の恵里さんを救うため、力を貸していただけませんか?」
「今更なにを……俺が救いたいのは、俺の愛した恵里だけだ!!」
 苦し紛れにウィングランサーを振り回し、ナイトは痛む腹を抑えながら後ずさった。その様を見て、Aゼロは勝利を確信した。
「無理はしないほうがいい。君の太刀筋は完全に見切りました。その腹部の傷では、まともに立つことすらままならないでしょう。大人しく、私たちに協力してください。そうすれば命は取りません。」
「……侮られたものだな。」
「何?」
 ナイトは、真司に殴り飛ばされたあの日のことを思い出した。手塚と共にライダーになった日も。そして、恵里と二人でバイクを走らせたあの日も。
「俺は、もう自分を曲げたりしない。信じてくれた友のために、愛してくれた女のために戦う。だから俺は、お前に勝つ!」
<SURVIVE>
 ナイトの周りを、鋭い風が舞った。その突風により、たまらず押し返されるAゼロ。やがて風は鎧となり、ナイトを『ナイトサバイブ』へと変えた。
「まだ、そんな力を……!」
「香川、俺は絶対に勝ち残るぞ。神崎のことも結衣のことも関係ない。俺は俺の信じるもののために、戦い抜く。」
<FINAL VENT>
 激しい旋風が、Aゼロを貫いた。



「残念だ。本当に残念だよ……城戸真司。君とならライダーバトルを終わらせられると思ったんだが。」
「その必要はないよ。俺にはもう……仲間がいるからな。」
「……フン。」
<<ADVENT>>
 龍騎のドラグレッダーと、黒いドラグレッダーのようなリュウガの契約モンスター『ドラグブラッカー』が相対した。お互い自分と似たような容姿のモンスターと対峙して、激しく気が立っているようだ。
「城戸真司、申し訳ないが……一気に決めさせてもらう。私には時間がない。」
 <STRIKE VENT>
 リュウガの手に、黒色のドラグクローが装備された。それを、かつて龍騎が手塚とそうしたように前に突き出す。
「死ね。」
「おおぉぉ!?」
 超高熱の黒炎が、辺りを焼いた。その灼熱は容赦なく龍騎を襲ったが、彼ももはや不慣れな新参者ではない。
<GUARD VENT>
「……防いだか。」
「防がなきゃ……死ぬだけだからな。」
 前に構えたドラグシールドを降ろし、龍騎は攻勢に転じるためカードをセットした。
<SWORD VENT>
「結衣ちゃんは、俺が守る!!」
 手に持ったドラグセイバーを、リュウガの鎧めがけて振り下ろす。
「甘い。」
 同じくドラグセイバーで、それを防ぐリュウガ。その刀身もまた黒く染まっており、彼のそれは龍騎を遥かに凌ぐ力であった。
「くそっ……押されて……!!」
「当たり前だ。私はこの世界とミラーワールド、二人分の榊原耕一なのだからな。パワーの母数が違う。」
「なら……これだ!!」
<SURVIVE>
 サバイブのカードを使い、龍騎龍騎サバイブへと進化した。そしてドラグランザーの口から吐かれた火球が、リュウガを跪かせる。
「まだだ! 私は、必ずこの世界を救う!!」
<FINAL VENT>
 渦巻いた黒炎が、リュウガを上空に押し上げた。そのまま蹴りの体制を形造り、黒煙に押し出される形で飛び蹴りを放つリュウガ。それは、まさしく龍騎のFINAL VENTと同じような技であった。
「なるほど。とことん龍騎のコピーってわけか……でも、俺だってちょっとは成長してるんだよ。」
 手元のドラグバイザーツヴァイに、カードをセットする龍騎サバイブ。そしてドラグランザーから、無数の火球がリュウガに向かって放たれたのだった。



〜城南大学・香川研究室〜
「まさか、私たちが負けるとは。」
 痛む身体を押さえながら、榊原と香川は真司たちの前に立った。
「城戸真司。その力は、神崎士郎から?」
「どうだっていいだろ。……榊原さん、本当に結衣ちゃんを殺す以外に方法は無いのか? きっと何か方法が……」
「無い。ライダーシステムを神崎くんと作った私が言うのだ。他に方法は、無い。」
「そんな……」
 なかなか次の言葉が見つからない龍騎の様子に呆れながら、香川が言った。
「しかし安心してください、城戸くん。私たちはもう、神崎結衣の命を狙うことは出来ないでしょう。」
「それは、何故?」
 蓮が、香川の言葉に反応した。その様子を見た、榊原が続ける。
「私と香川くんにとって、君たちの前に姿を現すのは賭けだった。手をこまねいている間に次々とライダーの死者が増えていって……このままではライダーバトルが終わってしまうと、私たちは焦った。だからライダー参加者の中から協力者を見つけることにした。」
「それが俺と城戸だった……と。しかし城戸は分かるが、何故俺にも? 俺はこいつとは違う。」
「それはあなたが、恵里さんの恋人だったからですよ。」
「……」
 その時であった。突如として、辺りを白い光が包んだ。
「これはまさか……城戸!!」
「あぁ! 神崎だ!!」
 デッキを手に取り、身構える二人。しかし神崎からの接触は無い。閉ざされた視界のなかで、真司は声を聞いた気がした。それは結衣の声だった。
〜〜ごめん、真司くん。……ごめんね。〜〜
「……結衣ちゃん!!」
 気づけば、光は止み二人は何事も無くその場に立っていた。しかし目の前にいたはずの香川と榊原の姿は無く、そこにはただ赤黒い血溜まりが残されていた。
「……蓮。」
「あぁ。奴らは……きっと神崎に消されたんだ。奴らもそれを分かっていた。言葉通り最後の賭けだったわけだ。」
「……俺、やっぱ認めないよ。誰かを犠牲にして願いを叶える、そんな戦いは。」
「そうか。ならいつか、俺とお前はまた戦わなければならないだろうな。」
「……蓮。」
「帰るぞ。結衣が待ってる。」
「……あぁ。」
 少しのもどかしさを残したまま、二人は帰路についた。



 蓮と真司が去ったのを見届けて、結衣は残された血溜まりの上に立った。
〜〜奴は、死んだ妹のためだけにこの戦いを起こしている。〜〜
「そっか。そういうことだったんだ。」
 その場で跪き、結衣は両手で掬い上げた血を顔につけた。全ては自分のために兄が仕掛けたこと。自分のために皆がこの血を流している。血の生温かさに心を痛めながらも、兄が変わっていなかったことを知り、結衣は少しだけホッとしていた。しかし同時に、とても悲しかった。兄は変わらぬまま非道に堕ちたのだ。
「……終わらせなきゃ、私が。」
 結衣はゆっくりと立ち上がった。
【二十七】
〜某日・夜"城南大学・榊原研究室"〜
 静けさに包まれた室内で、蓮と手塚はただ立ち尽くしていた。お互い、自分が置かれた現状を整理するので精一杯だったのだ。
「……蓮。」
「手塚。俺は……」
 その時であった。真横に倒れたデスクの後ろから、幼くか細い泣き声が聞こえてきた。死体と血の匂いに塗れた部屋に響くその声はとても異質で、二人ともその主に興味を示さざるを得なかった。
「……お前、どうしてこんなところにいる?」
 蓮が声の先で見つけたのは、ちょうど小学生ほどの年頃の幼い女の子であった。彼女は両頬につたった涙を拭うと、蓮に聞いた。
「……私、神崎結衣。ねぇ、私のお兄ちゃん知らない?」
「お兄ちゃん? あの気味の悪い男のことか。やつなら……」
「お兄ちゃん。私を……置いていかないで。」
 それだけ言うと、その少女は突然意識を失ってしまった。そして、二人の目の前で信じられない出来事が起こった。その少女が白い光に包まれ、瞬く間に成長したのだ。先ほどまで八歳ほどだった彼女は、もう十八ほどの姿になっていた。
「な……これは、どういう」
「気をつけろ、蓮。」
 二人が動揺していると、成長した女性が意識を取り戻した。
「ここは……どこ? あなた達は?」
 その瞬間、蓮と手塚は彼女が何も分かっていないことを悟り、今目の前で見たことは伏せたまま彼女に兄が引き起こした事象を説明することにした。こうして彼らと彼女の運命は、その時を境に大きくうねり出したのだった。
【二十八】
〜某日・夜"喫茶花鶏・店内"〜
「どうしたんだよ蓮。ボーッとして。」
「あぁ……すまない、少し思い出していてな。」
「それって……恵里さんのこと?」
 榊原・香川と対峙してから数日。二人はどうにも落ち着かない日々を過ごしていた。
「まぁ……そうだ。それよりお前、どうするんだ? 結局奴らからは他の方法を聞き出せなかったわけだが。」
 真司は、蓮が今の一言の中で"結衣を殺す"という文言を避けていることに気づいた。
「あぁ……わかんねぇよ。ライダーバトルは止めたい。でもそのために結衣ちゃんを犠牲にするなんて、俺には」
「できない……と言うんだろ。お前はいつもそうやって悩み続けて、そのままだ。俺はこの戦いに勝ち残って願いを叶えると決めた。お前もいい加減、ハッキリしたらどうなんだ。」
「……」
 蓮は少し居心地の悪そうな表情を浮かべると、使っていたカップを洗ってから店を出ていった。そうして静かになった空間は、真司の思考を加速させた。
(俺は……どうしたら……)
〜翌日・朝"北岡邸内"〜
「というわけで、今日は一日よろしくお願いします!」
「どういうわけだよ。全く令子さんの頼みじゃなかったら引き受けてないんだけどな……君みたいな"馬鹿ライダー"を一日秘書として雇うなんて。」
 真司は悩んだ末、他のライダーのことももっと知ることにした。といっても今いる蓮以外のライダーは知っている限りで北岡と浅倉しかおらず、消去法で北岡に張り付くことにしたのだった。
「しかし驚きましたよ。まさか北岡さんが令子さんと知り合いだったなんて。」
 北岡に命じられた窓拭きを進めながら、真司は北岡に話を振った。優雅にバイオリンを弾きながら、それに応える北岡。
「前に工場の排水汚染問題で訴えられた企業を弁護したことがあってさ。そこで令子さんにすんごい厳しく詰め寄られちゃって……あの時の令子さん、凄く綺麗だったなぁ。」
「もしかして好きなんですか?」
「君、普通聞きづらいことサラッと聞くね。しかも陳腐な言い回しだし……ほんと、なんで君みたいなのがライダーなんだか。」
 ふと、ライダーの話題が出た。真司が聞きたかったのは、これだ。
「えっと……そういう北岡さんは、どうしてライダーに?」
「ん、あぁ俺は……もっと人生を楽しみたいから、かな。」
「え?」
「真司くん、仕事終わったよね。そしたら飯行こうよ。俺がいい店、連れてってあげちゃうよ。」
「マジすか! お願いします!!」
 真司は、美味い飯に弱い。
〜都内"某高級レストラン・店内"〜
 真司と北岡がやってきたのは、とても豪華な内装の高層ビルの最上階に位置するレストランだった。そしてそのなかでも、VIP席に座る二人。
「真司くん、そんなソワソワしないで。恥ずかしいでしょ、俺が。」
「す……すいません。でも俺、こんな場所初めてで。」
「だろうね。」
 こうして、真司は人生最高の食事を楽しんだ。今まで食べてきたどんなラーメンや餃子よりも、そこで食べた料理は美味しかった。
「マジで美味かったっす。北岡さんって、いっつもこんなの食ってるんですか?」
「食ってるよ。じゃあ次はエステ行くか。」
「えすて……? 行きます!」
 真司は、高そうなサービスに弱い。
〜都内"某高級エステ・店内" 〜
 真司と北岡がやってきたのは、先ほどのレストランの隣に位置するこれまた豪華な内装のエステサロンであった。そのなかで最も高いコースを選択した二人は、寝そべりながらマッサージを受けていた。
「うはぁ〜気持ちいい……北岡さん、俺こんな気持ちいいマッサージ初めて受けました。」
「だろうね。」
 マッサージを終えて店を出た時、真司は身体中がとても軽くなっていると感じた。今なら通常の三倍は早く動けると思った。
「マジで気持ちよかったっす。北岡さんって、いっつもこんなマッサージ受けてるんですか?」
「受けてるよ。それじゃあせっかく身体も軽くなったし、プールでも行くか。」
「よっしゃあ!」
 真司は、楽しいことに弱い。
〜都内・某ビル"室内プール"〜
 二人がやってきたのは、最上階から一つ降りたところにある室内プールだった。そこには多くの客がいたが、北岡の鶴の一声で瞬く間に貸切となった。
「さぁ、思いっきり楽しもう。」
「でも……貸切にする必要はなかったんじゃないすかね。他の人たち、可哀想じゃ」
「相変わらずお人好しというかなんというか……だって他のやつがいたら邪魔で楽しめないだろ? 人生楽しむなら、自分のことを一番に考えなきゃ。」
「……はぁ。」
 そうして揚々と泳ぎ始めた北岡を見ながら、真司はプールサイドに用意されたチェアに座った。しばらく泳いでいた北岡もそんな真司の様子に気付き、隣のチェアに座る。
「あれ、真司くんは泳がないの?」
「なんかそういう気分になれなくて……」
「もしかして、貸し切りにしたのまだ気にしてる? ごめんごめん、なんなら今からお客さん普通に入れてあげるようにするからさ。」
「北岡さんは……どんな願いを?」
「……」
 先ほどまで飄々としていた北岡が、急に態度を変えた。その様子が、何やら真司には虚しそうに見えた。
「俺が叶えたいのは……"永遠の命"。ずっと生きて、ずっと自分のためだけに、楽しく生きていたい。」
「自分のためだけに戦うってことですか。でもそれって……すごく寂しくて、虚しいことなんじゃ」
「お前に何がわかる。」
 急に北岡の語気が強まった。きっとそこに、彼にとって触れてほしくない何かがあるのだろう。
「俺の願いを否定するなら……お前は? お前はなんのために戦ってるのさ。」
「それが分からないから……北岡さんの話を聞きたいと思ったんだ。」
「じゃあ戦おうよ。俺、面倒くさいの嫌いだからさ。」
「……」
 こうしてプールを後にした二人は、戦いの地へと赴いた。
〜都内・某広場"ミラーワールド"〜
 先ほどまでの時間が嘘だったかのように、ゾルダは殺意を込めた銃弾を龍騎に浴びせかけた。怒涛の攻めに、龍騎もなんとかドラグシールドを構えて喰らいつく。
「前にミラーワールドで見た時も思ったんだよね。なんでお前みたいなのがライダーなのかってさ。」
「俺は……みんなを守りたくて……!!」
「それ。まぁ確かに立派な考えだとは思うけどさ……ライダーが掲げるお題目としては、結構矛盾してない?」
「それは……!」
 動揺する龍騎を他所に、ゾルダはバイザーにカードをセットした。
<SHOOT VENT>
 ギガランチャーを構え、容赦なく龍騎に砲弾を繰り出すゾルダ。それを、龍騎は間一髪で横によけて回避した。弾が抉った地面の跡を見ながら身震いする龍騎を見て、ゾルダが鼻で笑った。
「結局さ。自分が一番大事なやつが、こういう戦いでは一番強いんだよ。俺は自分のためにしか戦わない。だから俺は強い。」
「でもそれじゃ……!」
「あーぁ。お前、浅倉とは違う意味で面倒くさいよ。それじゃ……さっさとケリをつけよう。」
<FINAL VENT>
 地面を割って、マグナギガが姿を現した。その背中にバイザーを差し込み、ゾルダがエネルギーを貯め始める。それはかつてガイが葬られる遠因を作った、あの一撃の予兆であった。
「あれは……ヤバい……!」
 ドラグシールドを再び前に構え、全力で踏ん張る龍騎。しかし、あの恐るべき一撃はどれほど身構えていても飛んでくることはなかった。
「あれ……?」
 恐る恐る前方を確認する。すると、マグナギガの後方で力無く倒れるゾルダの姿がそこにはあった。
「えっ……? き、北岡さん!!」
 龍騎ゾルダの戦いは、思わぬ形で幕を閉じた。
〜同日・夕方"晴明病院・五〇五号室〜
 病室のベッドで静かに寝息を立てる北岡を見ながら、真司は彼の秘書である由良吾郎から話を聞いていた。
「先生は、もう余命一年も無いんです。現代の医療では治療法のない病気で……もう少し早く見つけられてれば、まだ手の施しようがあったって。でもその時先生は、俺の傷害事件の弁護をしてくれてて……それで、病気の発見が遅れて……」
 そう語る吾郎の眼には、涙が溜まっていた。
「そんな……」
「……全く辛気臭いなぁ、吾郎ちゃんは。」
「先生!?」
「北岡さん!!」
 北岡は気怠そうに目覚めると、身体を伸ばしながら起き上がった。
「そういう考え嫌いだからやめてっていつも言ってるじゃん。……それで吾郎ちゃん、俺こちらの城戸くんとちょっと話があるから。先事務所戻っててくれる?」
「……はい。」
 足早に病室を出ていく吾郎。その直前、彼は涙を拭っていた。
「それにしても、城戸くんには嫌なところ見られちゃったなぁ。」
 そう言いながら、北岡は自分の荷物からカードデッキを取り出してそれを眺めた。その顔は、どこか虚しそうで同時に満足げでもあった。
「北岡さんは……自分が生きるために、戦ってたんすね。」
「そ。初めて病気のことがわかった時は、なんで俺がって思ったよ。俺はもっと生きたい。もっと生きれば、もっと楽しいことが出来るのにってさ。」
「……」
「他人のために頑張ったって、結局自分が苦労するだけだ。だから俺は、自分のためだけに戦う。そうやって、願いを叶えるつもりだった。」
 北岡は名残惜しそうに自分のデッキを弄ると、それを真司に差し出した。その動きに、迷いは無い。
「北岡さん?」
「これ、受け取ってよ。もう要らないからさ。」
「でも……」
「最近、変なライダーにばっか会っちゃってさ……浅倉みたいなどうしようもない奴とか、お前みたいな馬鹿ライダーとか。」
「ぉ、俺は馬鹿じゃ」
「そうやって色んな奴らとやり合ってたら、なんか面倒くさくなってきちゃって。俺面倒ごとは嫌いだからさ。この戦いを降りることにしたんだ。これはその証。」
「……分かりました。」
 真司は、差し出されたデッキを受け取った。そこには彼が戦いに注いできた想いが詰まっていると、そう思えてならなかった。
「じゃあもうそろそろ面会も終わりの時間だし、用も済んだからお前も出て行きなよ。俺もそろそろゆっくり休みたいからね。」
「わ、わかりました。あ、えーっとその……」
 去り際の一言が見つからない様子の真司を見て、北岡はクスリと笑った。
「ありがとう城戸くん。最後に君と遊べて、俺は楽しかったよ。」
「……俺も、楽しかったっす。ありがとうございました!!」
 こうして、真司は病室を後にした。一人のライダーの生き様を前にして、彼の悩みはまた大きくなった。
【二十九】
〜同日・夜"花鶏二階・真司自室"〜
 真司は、北岡から受け取ったゾルダのカードデッキを眺めていた。彼の脳裏に、北岡の言葉がよぎる。
〜〜俺はもっと生きたい。もっと生きれば、もっと楽しいことが出来るのにってさ。〜〜
(北岡さんは、自分が生きるために最後の望みをかけて戦ってたんだ。ライダーは皆、相応の願いを持って戦ってる。当たり前だ。そんななかで戦いを止めたいと叫ぶ資格が、俺にはあるのか……?)
 真司が思い悩んでいると、不意に部屋の扉が開いた。そうしてやってきたのは、結衣であった。
「真司くん。」
「結衣ちゃん。どうしたの、こんな遅くに。」
「ちょっと眠れなくて……隣、座っていい?」
「え、うん。」
 結衣は、ゆっくりと真司の隣に腰掛けた。二人分の重みを受けた木製のベッドが、キシキシと小さく音を立てる。
「あー、えっと……」
「ねぇ真司くん。今日、一緒に寝ない?」
「え」
 突然の申し出に、真司は激しく戸惑った。生まれてこの方、真司は母親以外の女性と並んで寝た事がなかったからだ。必死に動揺を隠しながら、真司は声を絞り出した。
「……ぅん、ぃいよ。」
 静かな部屋の狭いベッドで、真司と結衣は横になった。彼女になるべく広いスペースを確保しようと、身を縮こまらせる真司。ふと隣を見ると彼女の身体は小さく、結衣がまだ十九の少女であることを改めて実感した。
「ねぇ、真司くん。」
「……なに?」
「私ね、小学校に通ってた頃、流れ星を見つけると必ずしてた願い事があったんだ。」
「願い事……って?」
 彼女の言葉からは、何やら強い決意が滲んでいた。静かに、しかししっかりと結衣が言葉を紡いでいく。
「いつか大人になったら、好きな人と笑い合って、手を繋いで幸せな一日を送るの。そうして幸せな一日が終わったら、その人と同じベッドで一緒に眠るんだ。それで朝起きたら、また手を繋いで笑い合う。それが私の願い事。私の、大切な願いだった。」
 きっと叶う。真司はそう言ってあげたかったが、喉元まで出かかったその言葉を飲み込んだ。それが無責任な一言であることを、今の真司は分かっていた。
「……ありがとう、真司くん。」
「……」
「おやすみ。」
 真司は眠りについた。だんだんと落ちていく意識の中で、真司は結衣がだんだんと遠ざかっていくような気がしていた。
〜翌日・朝"喫茶花鶏二階・真司自室"〜
 朝起きると、隣で寝ていたはずの結衣の姿がなかった。そして部屋の机には書き置きがあり、そこには丸く女性らしい字でこう書かれていた。

『もう真司くんに迷惑はかけたくないから。私が終わらせてくるね。  結衣』

「……結衣ちゃん!!」
 真司は、急いで花鶏を飛び出した。
〜同日・旧神崎邸跡〜
 白いホールケーキが乗った丸テーブルを挟んで、結衣と士郎は向かい合って座っていた。
「誕生日おめでとう、結衣。こうやって二人で祝うのは、あいつらの目を盗んでやったあの時以来か。」
「お兄ちゃん。もう……みんなを争わせるのはやめて。」
 結衣は、強い眼差しで士郎に迫った。それは憎しみではない、愛ゆえの強さだった。
「安心しろ、結衣。もうすぐお前に最高の誕生日プレゼントを渡してやれる。そしたらお前は、これからも素晴らしい人生を送ることができる。」
「違う、違うよお兄ちゃん。」
 結衣は立ち上がると、ケーキにろうそくを立てていった。その数は八本。結衣が炎の中で倒れた歳と、同じ数であった。
「私は、あの時死んだの。あの火事の中で死んだんだよ。」
「……違う! お前はまだこうして生きている。俺がお前を守るんだ。結衣!」
 声を荒げる兄を前にして、結衣は涙しながら笑顔を作った。
「いいんだよ、お兄ちゃん。私はもう充分守ってもらったから。もういいの。」
「よくない……俺はまだ、お前を守れていない!!」
 士郎は頭を掻きむしった。どれほど時が経とうと、あの炎に包まれた日のことが頭から離れない。あの日の清算をするために、士郎は今日までやってきたのだ。
「ありがとう、お兄ちゃん。」
 結衣が、ケーキを切るために用意していたナイフを手に取った。銀色の刃が、二人を明るく照らし出す。
「でもね」
 自らの首筋に、ナイフの刃を押し当てる結衣。

「私は新しい生命なんていらない。」

 彼女は、勢いよく自らの喉笛を掻き切った。吹き出した鮮血が、純白だったケーキを赤黒く染めていく。兄の慟哭を聞きながら、結衣はその場に崩れ落ちた。



 瞳孔を開いたままその場に倒れ込んだ妹の傍らで、士郎は力無く立ち尽くしていた。やがて立つ気力すら失うと、士郎はその場で両膝をついた。
「お前は、きっと拒む。どれだけ繰り返しても何度与えても……お前は拒む。拒み続ける。」
 項垂れる士郎を映した鏡から、神崎結衣が姿を現した。結衣はゆっくりと近づいていくと、優しく彼を抱きしめた。
「かわいそうなおにいちゃん。だいじょうぶだよ。わたしがそばにいてあげる。だから、あなたがどうにかして。あなたのどりょくで私たちを生かして。私を完全な生命にして。私を助けて。」
「あぁ、結衣……」

 最後の日が、始まる。

【三十】
〜最後の日・神崎邸跡〜
「結衣……ちゃん……」
 血溜まりのなかで横たわる彼女を抱えて、真司は涙した。
「ごめん結衣ちゃん……俺が、もっとちゃんとしてれば……!!」
「そうだ。結衣はお前が殺した。」
「……神崎!!」
 神崎が、見たことのないカードデッキを持ってそこに立っていた。彼のそばには目を閉じ立ち尽くした神崎結衣がおり、真司が抱えていた骸は光の粒子となって彼女に吸い込まれていった。
「神崎。……結衣ちゃんは、もう」
「いや、まだだ。結衣はまだ助かる。」
「そう、まだだ。まだ終わりじゃない。」
「……蓮!!」
 蓮が、怒りとも悲しみともない強い感情を伴った様子でこちらへとやってきた。その手にはナイトのカードデッキが握られている。
「よぉ。随分と集まってるなぁ。ここは楽しめそうだ。」
「浅倉……!」
 浅倉が、相変わらず蛇のようにギラギラとした目つきでやってきた。その手には王蛇のカードデッキがある。
「おい神崎……どういうことだよ!!」
「お前たちは最後の三人だ。ライダーバトルは今日をもって終わりにする。そのために集まってもらった。」
 ライダーバトルの終わり。その言葉を聞いた浅倉が、首の骨を鳴らした。
「終わり……? ふざけるな。まだまだこれからだろうが。それに三人なはずはない。北岡はどうした。奴は俺が殺すんだからな。」
 士郎はそんな浅倉を一瞥すると、持っていたカードデッキを眼前に掲げた。
「変身。」
 士郎の身体を、不死鳥を象った黄金の鎧が包んだ。その姿はとても絢爛で、同時にどこか禍々しくもあった。
「私は十三人目。最後のライダー……オーディン。間も無く私がTIME VENTを発動し、この世界を"リセット"する。その前に最後の一人となって、私のもとに来い。願いを叶えるラストチャンスだ。」
 オーディンはそう言い残すと、左手を高く掲げ黄金の羽を残して消えた。そして残された三人が向かい合う。
「おい、俺はどっちからでもいいぜ。メインディッシュが来るまでの暇つぶしだ。」
「浅倉……お前の言うメインディッシュって、北岡さんのことか?」
「あぁ? そうに決まってるだろ。」
「北岡さんなら……来ないよ。」
 真司は北岡から受け取ったゾルダのデッキを取り出すと、それを浅倉に見せた。
「あの人は戦いから降りた。もう……ここには来ない。」
「……冗談じゃねぇ。」
 浅倉は踵を返すと、何かに取り憑かれたように駆け出していった。これで残されたのは、真司と蓮の二人だけとなった。
「それで城戸……お前、覚悟は決まったのか?」
「……まだだよ。まだ、俺は自分がどうすればいいのかわかんねぇ。」
「なら」
 蓮が、ナイトへと変身した。その手にはウイングランサーが握られている。
「俺の願いを背負って、戦え!」
「……くっそぉぉぉ!!」
 龍騎へと変身し、再びナイトと火花を散らす。しかしあの時とは違い、その刃は濁っていた。それを見逃さないナイトはドラグセイバーを難なく弾き飛ばし、龍騎はたまらず尻もちをついた。
「何をしている……戦え。戦え、龍騎!!」
「嫌だ! 俺はもう、戦いたくねぇ……!!」
「何?」
 変身を解除し、その場に蹲る真司。彼の悩みは頂点に達そうとしていた。
「もうわかんないんだよ! 結衣ちゃんを助けたい。でも戦いは止めたくて……結局どっちも上手くいかない。俺以外の奴らはみんな迷いを振り切って戦ってる。なのに俺は……!!」
「城戸……」
 そんな二人を、蛹のような甲殻で身体を覆ったモンスター『シアゴースト』の群体が取り囲んだ。気味の悪い鳴き声を上げながら、こちらににじりよるシアゴーストたち。
「城戸、ここはまずい。退くぞ。」
「……」
「城戸!!」
 力の抜けた真司に檄を飛ばしながら、ナイトはウイングランサーを構え直した。



〜最後の日・"晴明病院・五〇五号室"〜
 ベッドに横たわり白布を被せられた男を見下ろしながら、浅倉はどうしようもない苛立ちを募らせた。
「ふざけんな……お前は、俺が殺すはずだったんだ……!!」
 嬲り殺すことで自分をスッキリさせてくれるはずだったその男は、身勝手にも自分を置いたまま安らかに逝った。その事実は、浅倉をどうしようもなくイラつかせた。
「くそが……」
 そこへ、数体のシアゴーストが病室へと入ってきた。人間の肉片であろうものを口に纏わせたそのモンスターたちは、浅倉をさらにイライラさせていく。
「お前たちとの戦いは……楽しいんだろうなぁ。」
 浅倉は王蛇へと変身すると、怒号をあげながらモンスターたちに突撃していった。



〜最後の日・渋谷〜
 モンスターに襲われ、断末魔の叫びをあげるもの。奇声をあげながら逃げるもの。ただひたすらに泣き叫ぶもの。路の端々には人間の血肉が散乱し、そこはまさに、"地獄"そのものであった。
「おい蓮。これって……」
「あぁ。モンスターがミラーワールドから解き放たれたんだ。神崎め、本気でこの世界をやり直す気だな。」
「……」
 ナイトはダークウイングを呼び出すと、辺りの気配を探った。
「おい、城戸。」
「……なんだよ。」
「俺は神崎のところへ行く。お前も叶えたい願いがあるなら……最後まで戦え。」
「……俺の願い?」
 ナイトは、オーディンを追ってその場を立ち去った。真司は一人、"地獄"に取り残された。



 ナイトは、シアゴーストの大群を薙ぎ倒してついにオーディンのもとに辿り着いた。
「見つけたぞ神崎……俺と戦え!」
「お前は、秋山蓮……そうか、記念すべき第一号か。いいだろう、特別に相手をしてやる。」
 オーディンは黄金の翼を広げると、仰々しく左手を上に掲げて見せた。そして次の瞬間、ナイトの身体は瞬く間に無数の金色の羽によって切り刻まれていたのだった。
「な……」
「諦めろ、秋山蓮。お前の願いは叶えられない。」
「お……俺は……!!」
 ナイトは、傷だらけの身体をおして立ち上がった。



「俺の、願い……」
 真司は、ナイトが残した"願い"という言葉をずっと頭で繰り返していた。
「でも俺には、他のライダーみたいな願いは……」
「うわぁ! 近づくな!! どうなってんだこれはよぉ!!」
「!?」
 その声に真司は聞き覚えがあった。声の方を見ると、そこには長らく言葉を交わしていなかった大久保大介の姿があった。どうやら、シアゴーストに襲われているようであった。
「先輩……今助けます!!」
「真司! お前、その姿は……!!」
 ドラグセイバーで次々とモンスターを薙ぎ倒していく龍騎。そうして全てのシアゴーストを片付けたのち、真司は大久保の目の前で変身を解除したのだった。
〜最後の日・"OREジャーナル・オフィス"〜
「なるほどな。しばらく仕事サボってやがると思ってたら、まさかそんな厄介ごとに首突っ込んでたとはな。」
 真司は、デッキを拾ってから自分の身に起きたことを包み隠さず大久保に話した。
「黙っててすみません。でもどう伝えたらいいのか分かんなくて、そんな余裕も無くて……」
「いいよいいよそんなのは気にしなくて。それでお前……相変わらず悩んでんのか?」
 デスクの上に散らばった砂埃や瓦礫をはらい終え、大久保がこちらに向き直った。
「はい。俺、もうわかんないんですよ。どうすればいいのか……何が正しいのか……」
 自分の想いを吐露しながら、真司はあの時と同じだと思った。大学の頃の苦く、大切なあの時と。
「まぁ、そう簡単に答え出せるほど単純な問題じゃねぇわな。」
「……はい。」
「なぁ真司。自分がどうすればいいか考える時に一番大切なもの……なんだか分かるか?」
「……え?」
 大久保はゆっくりと真司に近づくと、右の拳で真司の胸を叩いてみせた。
「お前の信じるものだよ。確かに他人のこと考えてやるのも大事だけどよ……自分がどうしたいか。どう思うか。そういう"土台"がしっかりしてねぇと、決まるもんも決まんねぇだろ。」
「俺の、信じるもの……」

〜〜俺は、自分ができることをする。今はこのライダー
の力で、モンスターから誰かを護りたい〜〜

〜〜俺、嫌なんだ。すぐそばで悲しんでる人がいて。俺にはできることがあって。でも何もしないなんて、俺にはできない。〜〜

〜〜ママ……どこいったの? 怖いよ……置いていかないで。〜〜

「……ありがとうございます編集長。俺、やっと見つけました。俺が信じるもの。」
「おう。」
「それじゃ……行ってきます。」
 真司は、編集長に頭を下げるとすぐにオフィスを飛び出した。もう、彼の中には一切の迷いもない。
「先輩って言えよ……バカ。」
 大久保は、自分のPCの電源を入れた。
【三十一】
〜最後の日・渋谷〜
 龍騎は、神崎の気配を追ってひたすらに渋谷を駆けていた。しかしそんな龍騎の前に現れたのは、彼ではなかった。
「……浅倉。」
 無数のシアゴーストの死骸の中心で、王蛇は尚も武器を振るい続けていた。
「……よぉ龍騎。丁度いい、どんだけぶっ殺してもこいつらじゃ全然満足できねぇんだよ。」
 死骸を足で退けながら、王蛇はこちらへとやってきた。そこで、彼はまたも何かを嗅ぐように鼻を動かした。
「ん? そうかお前……背負っちまったのか。」
「浅倉……お前は手塚を殺した。その報いを、今この場で受けさせる。」
「くだらん。だがくだらんついでに……殺してやるよ。」
 互いに向き合う両者。
「……」
「……」
「浅倉——!!」
龍騎——!!」
 龍と蛇がいま、互いの拳をぶつけ合った。ドラグレッダーとベノスネーカーが後ろで組み合うのも気にせず、龍騎は王蛇の、王蛇は龍騎の鎧を殴り続けた。肉体を穿つ音、骨が砕ける音がその場を支配していく。
ーグオォォォ!!ー
ーシャアァァァ!!ー
 ドラグレッダーが、ベノスネーカーの喉笛に噛みついた。負けじとベノスネーカーもドラグレッダーの体表に酸を吐きかける。お互い一歩も譲らないまま、二匹はまるで螺旋のように絡み合った。そしてドラグレッダーが最大出力の獄炎を、ベノスネーカーが最大濃度の鬼酸を吐き出した。燃え尽きるベノスネーカーと、溶け落ちるドラグレッダー。両雄の死骸が辺りを炎で包み、一帯の地面を酸で溶かし出した。
「楽しいなぁ龍騎!! やっぱりお前はいい! もっとやろうぜ!!」
「いや! ここで終わりにする……こんな虚しい戦いは!」
「「うらぁぁぁあ!!」」
 王蛇が龍騎のこめかみを、龍騎が王蛇の脇腹を殴り抜いた。そうして——王蛇はその場に崩れ落ちた。



「フッ……ハハハ……いいな、やはり戦いは良い。もっとやろう、龍騎。」
「いや……もう終わりだ。終わったんだよ、浅倉。」
「違う! 俺はまだ……まだだ……!!」
 王蛇は未だ立ちあがろうとしていた。それは彼の執念、紛れもなく彼の生きる意志がなせるものであった。
「浅倉……お前の願いは」
「俺に願いはない。何も背負わない……俺はいまこの瞬間に満足してる。それだけだ。」
「……違う。」
「なに?」
 拳を交えた今なら、分かる気がした。浅倉威というものの、願い。抱えるものがなんなのか。
「お前はきっと、ずっと何もない自分を抱えてきたんだ。常に自由であるために、お前は背負うことを拒絶した。何にも縛られない自由……それが、きっとあんたの願いなんだ。」
「違う……俺は何も、背負っていない……ただ今に満足しているんだ!!」
 叫ぶ王蛇に背を向け、真司は歩き出した。もう二度と、彼と戦うことはないだろう。
「何も背負っていない人間が……満足なんてできるわけがない。」
 それからずっと、王蛇はただ叫び続けていた。
【三十二】
〜最後の日・決戦の場〜
 骨は砕け、身体を動かすので精一杯。契約モンスターは死に絶え、龍騎は何の力も持たないブランク体と成り果てていた。それでも、彼は進む。
「……おい! 蓮!!」
 目の前に、仰向けに倒れた秋山蓮がいた。全身を切り刻まれた彼が、血を流しながら口を開く。
「城戸……か。神崎は強い……気をつけろ。」
「おい蓮、しっかりしろ……! 勝ち残るんだろ! 勝って、恵里さんを助けるんだろ!!」
「……あぁ。」
 薄れゆく意識の中で、蓮はかつて恵里が遺した言葉を思い出していた。
〜〜自分を大切にして〜〜
(すまない恵里……俺は結局、自分を傷つけた……)
〜〜俺は生き残るぞ〜〜
(手塚……俺は……)
 最後に、蓮は自分の名を必死で叫び続ける戦友の顔を見た。馬鹿で真っ直ぐで強い意志を持ったその男は、最後まで蓮の友であり続けた。
(城戸……お前なら、きっと。)
 蓮は、ゆっくりと眠りについた。



 息をしなくなった蓮の身体をその場にそっと倒し、真司は立ち上がった。そんな彼の前に、オーディンが姿を現す。
「城戸真司。お前が、最後の一人だ。」
「あぁ……そうかよ……」
「お前の願いを言え。お前はきっと、結衣の復活を望むはずだ。」
 オーディンが告げたその言葉を聞いて、真司はあの夜結衣が言っていたことを思い出した。
〜〜いつか大人になったら、好きな人と笑い合って、手を繋いで幸せな一日を送るの。〜〜
「俺は……結衣ちゃんに願いを、叶えてほしいと思う。」
「さぁ、願え。城戸真司……!!」

〜〜お前の信じるものだよ〜〜

「ごめん、結衣ちゃん。俺は……」
「この戦いを、終わらせたい。」

 真司の願いによって、世界が崩壊を始めた。ずっと螺旋の中に閉じ込められていた世界が今、解放に向かい始めたのだ。
「ダメだ……許さん! その願いは、受け付けない!!」
 黄金の翼を広げたオーディンが、激昂して叫んだ。
ーお兄ちゃん、私を助けて。私を完全な生命にしてー
「結衣……結衣いぃぃぃ!!!」
 オーディンが、召喚機にカードをセットした。
<FINAL VENT>
 オーディンの身体の中心に大きな穴が開き、それはやがてブラックホールとなって世界を吸い込み始めた。開放と吸収が反発し、大きく歪む世界。
「俺は……まだ……」
ー真司くんー
「……え?」
 真司の隣に、結衣が立っていた。彼女はとても優しい笑顔を浮かべていた。
ーありがとう真司くん。やっぱり私、真司くんに会えてよかった。ー
「ごめん、結衣ちゃん。俺やっぱりこの戦いを……」
ー大丈夫。それが私の願いだから。ねぇ真司くんー
ー私の願い、もうちょっとだけ叶えてよ。ー
「……うん。」
 結衣が差し出した手を、しっかりと握る。真司と結衣が繋いだその手から、眩い光が溢れ出した。
<ALIVE>
 そして、世界は白い輝きに包まれたのだった。
【エピローグ】
 間も無く最後のリセットが成される世界の中で、一台のPCがその画面を瞬かせていた。そこには、ある男が残した一文が綴られている。

『生きるとは願う事。その戦いに、正義は無かった。』

 

〜完〜

 

ドラえもん 〜僕たちの未来〜

【プロローグ】
〜一九六四年八月七日・ススキヶ原〜
 胸を高鳴らせながら、スーツがぐしゃぐしゃになるのも構わず道を駆ける男が一人。彼の名は野比のび助。その日は、彼にとって生涯忘れられない特別な日になった。
(もうすぐ生まれる……僕たちの、息子が!!)
 病院からの一報を受けて急いで会社を飛び出したのび助は、はやる気持ちを抑えながらタクシーへと乗り込んだのだった。
〜同日・ススキヶ原病院内〜
 閉ざされた分娩室の扉の前で、のび助は側のソファにも座らずぐるぐるとその場を歩き回っていた。じっとしていればすぐにでも興奮と不安で心がどうにかなってしまいそうだったからである。それからどれほど経っただろうか。分娩室の奥から赤子の声が聞こえ、少ししてその扉が開いた。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ。」
 のび助の、心が躍った。



「ありがとう玉子……よく頑張ってくれたね。」
「頑張ったのは私じゃなくて赤ちゃんのほうよ。……本当に、よく産まれてきてくれたわ。」
「……そうだね。」
 病室のベッドで横になる彼の妻の野比玉子と、彼女の手を取り安堵するのび助。そしてその傍らには、穏やかな寝息を立てる一人の赤子がいた。
「ねぇ……あなた。この子の名前、もう決めてあるのよね?」
「……あぁ。」
 のび助は、産まれたばかりの愛する息子を優しく抱きかかえた。

のび太。僕たちの子の名は、野比のび太だ!!」

【一】
〜十年後・ススキヶ原〜
 午前八時、寝坊。母に怒られる。午前八時十五分、食べたパンが熱くて口の中を火傷。午前八時三十分、慌てて登校したせいで足を教室入口の段差にひっかけ、盛大に床へとダイブ。結局ホームルームにも間に合わず、先生のお叱りを受けて、痛む身体を抱えながら廊下に立たされる。午後十二時、給食を落としてしまい溢れたスープで服を汚す。午後一時、体育のドッジボールの授業でボールを思い切り顔面にくらい、鼻血を出す。そして現在、帰宅途中——。
「トホホ……やっぱ僕って、ついてないや……。」
 のび太は止血用のガーゼを鼻に詰め直しながら、己の不幸を呪った。
 野比のび太、十歳。定期テストは常に〇点。かけっこは万年ビリ。勉強ダメ、運動ダメ。周りからは馬鹿だノロマだと馬鹿にされ、親や先生からはしょっちょう叱られる。さらに遅刻魔で昼寝が大好きという、まさにダメダメを地でいく少年。そんな彼には更に一つ、厄介な悩みの種があった。
「ようのび太。今日のテスト散々でむしゃくしゃしてるからよぉ……一発殴らせろ。」
「そうだぞ! 大人しく殴られろ!!」
「げっ」
 ジャイアン。本名は剛田武。クラスのガキ大将で、気に食わないことがあるとすぐのび太を殴る嫌なやつ。彼の隣にいるのは骨川スネ夫ジャイアンの腰巾着で、いつも家の金持ち自慢をしたり集団での遊びからのび太をハブるこちらも嫌なやつ。
「あはは……僕を殴らなくたって、きっとすぐにむしゃくしゃはおさまると思うよ……なんて。」
「うるせぇ!!」
 ジャイアンの、痛烈な右ストレートがその顔面にめり込んだ。たまらず吹っ飛ばされるのび太。満足げに去っていく彼らを見ながら、のび太は大粒の涙を流したのだった。
【二】
 翌日。休日だったおかげで珍しく何もなく、のび太は自室でごろ寝しながらどら焼きを頬張っていた。
「のどかな休日……きっと今日はいい日になるなぁ。」
「いや、碌なことにならないね。」
 自分しかいないはずの部屋で響く謎の声に、のび太は慌てて飛び起きた。
「えっ!? ちょっと待ってよ!! 君……誰? しかも碌なことにならないって……不吉なこと言うなよ!!」
「十分後、針地獄。三十分後には火炙り。ははぁ……話には聞いてたけど、本当についてないというか……困ったなこれは。」
 その言葉を最後に、謎の声は聞こえなくなった。その声の不吉な置き土産に身震いする。果たして、声の通り『針地獄』と『火炙り』に遭うのか。とても不安だったが——
「まぁ、そんなことあるわけないか。」
 すぐに気持ちを切り替え、またごろ寝を始めた。のび太はおおらかな少年であった。
「ねぇー! のび太さん!! ちょっといいかしら?」
 窓の外から聞こえる女の子の声。のび太はこの声にとても聞き覚えがあった。
「しずかちゃんだ! はーい! ちょっと待ってね!!」
 窓を開け、見下ろした先にいた少女たちのうちの一人。彼女は源しずか。クラスの人気者で、のび太が想いを寄せるひとだ。
「しずかちゃん! どうしたの?」
「屋根の上に羽が乗っちゃったの! のび太さん、とってくれない?」
 よく見てみると、目の前の屋根上に彼女達がやっていたであろうバドミントンの羽が乗っていた。
「分かった! ちょっと待ってて!!」
 窓から身を乗り出し、屋根伝いに羽をとりに向かう。ようやく目的の場所まで辿り着き、あとは足元の羽をとるだけとなったとき——それは起きた。
のび太さん! 気をつけてね!!」
「だいじょうぶだいじょうぶ任せてよっと……とっとっと!?」
 屋根の傾斜に足を滑らせ、お尻から勢いよく地面へと落下していく。そんなのび太のケツを待ち構えるかのようにソレは……サボテンはあった。
 ブスブスブスッ!!!
「痛ぇーーーーーー!!!!」
 無数のサボテンのトゲが、容赦なくのび太のケツに突き刺さった。それはまさしく
「針地獄……だ。」
のび太さん! 大丈夫!?」
 慌てた様子のしずかが駆け寄ってきた。彼女の隔てない優しさに、のび太はいつも癒されていた。
「しずかちゃん……はいこれ、羽だよ。」
「え?」
 手に取った羽を渡し、痛む尻をさすりながら立ち上がる。
のび太さん……?」
「ごめん、もう……部屋に戻るよ。それじゃあね。」
「……ありがとう、のび太さん。」
 スタスタとその場を去るしずか。そんな彼女の背中を見ながら、のび太は先ほどの予言を思い出していた。
(針地獄は当たった……次は火炙り。一体僕はどうなるんだ?)



 ケツにサボテンの針が突き刺さってから二十分後、のび太は身体を震わせながら自室でストーブに当たっていた。あのすぐ後、のび太は地面についた手を洗うため家の洗面所に向かった。そしてそこで落ちていた石鹸に足を滑らせ……そのまま勢い余って冷水が溜まった湯船に突っ込んだのだった。
そうして冷えた身体を、今このようにして暖めているというわけである。
「これも一種の……火炙りだ……」
 そんなのび太の呟きを待ってましたとばかりに、例の謎の声が再び響き渡った。
「どう、言った通りになったでしょ?」
「君は……誰だ! 誰が話してるの!?」
 不意に、勉強机の引き出しが勢いよく開いた。そしてそこから
「僕だけど気に障った?」
 丸い顔をして首に鈴をつけた青ダヌキのような生物が、顔を覗かせていた。
【三】
「あ、青ダヌキのば……バケモノ……!!」
「失礼な! 僕はタヌキじゃない! 立派な猫型ロボットだぞ!!」
 その青ダヌキ……ではなく猫型のロボットは、鼻息を荒げながら引き出しから出て、首につけた鈴を鳴らしながらのび太の目の前に立った。その鈴の音は、やけに心地良い響きだった。
「ロボット……って? 君は、一体なんなの?」
「よくぞ聞いてくれました! 僕はね、未来から君を助けるためにやってきたお助けロボット!! ドラえもんって言うんだ!! よろしくね!!」
 そう得意げに言いながら、ドラえもんは右手をのび太に差し出した。恐らく握手の挨拶なのだろうが……そのゴム毬のように白く丸い手を、のび太は握ることができなかった。
「えっと……未来から来たって? いくら僕がSFとかアニメ好きでも、そんな話信じられないよ。」
「そう言われてもなぁ……んっ!?」
 訝しむのび太を他所に、ドラえもんはそばに置いてあったどら焼きを物欲しげに見つめた。どうやらよほど美味そうだったらしい。
「ね、ねぇ! これ食べてもいい?」
「あぁ……いいよ、別に。」
「やった!!」
 その言葉を聞くや否や、ドラえもんはそのどら焼きをひとつ残らず平らげてしまった。落ち着いたら食べようと思っていたのび太は、『ひとつだけ』と釘を刺しておかなかったことをひどく後悔した。
「ね、ねぇ。ちゃんと説明してよ。未来から来たって、どういうこと? 冗談だよね?」
「あ、ごめんごめん。えーっと……なんて説明しようかなぁ」
 そう言って腕を組むドラえもんのび太がそんな彼をじっと見つめていると、不意に再び机の引き出しが開いた。そして今度は、なんとのび太と同い年くらいの少年が顔を出したのだ。これからしばらくどんなことが起きても驚かないだろうと、のび太はその時思った。
「あ……」
 ドラえもんが不意に声を上げた。どうやら、彼の知り合いらしい。その子は『よっこらせ』と言いながら引き出しから出ると、にっこりと笑顔を浮かべながらのび太に向き直った。
「僕はセワシ! おじいちゃんの未来を変えるために、このドラえもんを寄越したのは僕さ!!」
 えっへんと胸を張るセワシ。しかし、のび太には到底理解できるような内容の説明ではなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。おじいちゃんって? 僕まだ五年生だよ。そんな歳いってないよ。」
「あ、えーっとね。僕は未来からきた、君の玄孫……まぁつまり、孫の孫だね。」
「嘘だぁ。僕はまだ結婚もしてないんだよ? そんな僕に孫の孫までいるわけが無いじゃない。」
 のび太のその言葉に、セワシははぁと大きくため息をついてから話を続けた。
「……いいかい。君だって、いつかは大人になるだろう? それで将来、誰かと結婚する。で、子供を授かる。その子供が未来でまた子供を授かって、それが繰り返されて結果産まれてきたのが僕なんだ。だから僕にとって、君は紛れもなくおじいちゃんなんだよ。」
「そっか……君は未来から来た僕の子孫なんだね。」
「さっきからそう言ってるんだけど……頭悪いなぁ。」
 呆れたようにポリポリと頭を掻くセワシのび太はそんな彼の様子を見て、少し腹を立てた。
「悪かったな、頭悪くて。それで? 君がドラえもんを連れてきた理由は何なのさ? 未来を変えるって?」
「あ、えーっと……それはつまり……まぁ、ぶっちゃけて言うとこれからの君の未来は碌なものにならない。だから、このドラえもんに君のことを世話してもらって、そんな碌でもない未来を変えちゃおうってわけ。」
 碌なものにならないという言葉に少し引っかかったが、それでものび太は舞い上がった。未来からの助っ人がくれる最高の人生を想像して、胸躍らせたのだ。
「じゃあつまり……もしかして億万長者にしてくれるとか!? アイドルと結婚したり、豪邸に住んだり、そういう最高の未来にしてくれるってこと!?」
「いや、それは違う。」
 セワシは冷たくあしらった。のび太は容赦ないその言葉に落胆したが、それ以上に先ほどからセワシが少しだけ見せる仄暗い表情が気になってしょうがなかった。
「えーっと……ドラえもん、おじいちゃんに説明してあげて。」
「……うん。」
 ドラえもんが丁寧に語り出した。
「いいかい? 僕たちができるのは、君に訪れる悪い未来をほんの少し修正してあげることだけ。例えば宿題を忘れたり、テストで〇点をとったり……そういうマイナス要素を少しでも無くせるように、君をサポートする。その先の大きな未来は、君自身の手で切り拓かなきゃいけないんだ!!」
 ドラえもんのビシッと伸ばした短い手が、のび太をさした。
「え〜、めんどくさいよ。自分で未来を切り拓くとか……そんな大それたことできるとは思えないしなぁ。」
「意気地が無いなぁ……じゃあセワシくん、あとは僕に任せてよ。」
「うん。よろしくね、ドラえもん。おじいちゃんもそれじゃあ!!」
 そう言うと、セワシはさっさと引き出しに入ってその姿を消した。どうやら未来に帰った、とのことらしい。
「それじゃあのび太くん、これからよろしく!!」
「……よろしく。」
 猫型(?)ロボットとの、奇妙な共同生活が始まった。
【四】
〜一ヶ月後・放課後«ススキヶ原・野比家»〜
のび太! また〇点取って……いつも言ってるでしょ!! ちゃんと勉強しなさいって!!」
 ママの説教が始まって、もうすぐ一時間が経とうとしていた。最初は今朝の寝坊についての説教だったのだが、もうすぐ終わりかというときになってなんと成績についての説教が始まったのだ。
「あのぉ……どうしてお母さまが僕のテストの点数を知ってるんでしょうか? ちゃんと隠しておいたはずなのに……」
「かっ……! 隠っしっ……!?」
 一瞬の動揺の後、ママの表情が鬼から修羅に変わる。『あぁ、余計なことを言った』と、のび太は酷く後悔した。
のび太ァ〜〜〜!!!」
 まるで天を裂くようなママの怒りが、野比家に轟いた。



「どうしたののび太くん、打ち上げられた魚みたいになって。」
 自室で覇気無くうつ伏せになるのび太に、ドラえもんが声をかけた。
「あぁ……ドラえもんか。僕はもうダメだ。一巻の終わりだ。」
「大袈裟だなぁ。ただママに怒られただけでしょ。理由も聞いたけど、完全にのび太くんの自業自得じゃない。」
 ロボットのくせに尻をかきながら胡座をかき、持ってきたどら焼きを頬張るドラえもん。そんな彼の姿を見ながら、のび太は悪態をついた。
「薄情なやつだなぁ。ていうか君が来てもう一ヶ月経つけど、一向に未来が良くなる感じにならないじゃない。本当にアテになるの?」
「失礼なやつだなぁ。僕は未来から来た超高性能のお世話ロボットだぞ。もうちょっと信じてもらいたいね。」
「ほんとかね……全く。そもそもセワシくんが僕の子孫ってのも信じられないよ。大体なんで僕の世話なんて焼くのさ。今が楽しければそれでいいんじゃないの?」
「……」
ドラえもん?」
 ドラえもんは、何も言わなかった。この一ヶ月彼のいろんな表情を見てきたのび太だったが、そのときの表情は初めて見るものだった。
「……なんか変なこと言った?」
「え!? ……ううん、なんにも。」
「でもさ……」
「の〜び〜太ァ〜!! 出てきやがれ!!」
「げ、この声は。」
 のび太が恐る恐る窓を開けて外を覗いてみると、玄関先に彼の天敵とも言える二人がいた。ジャイアンスネ夫だ。
「何で野球来なかったんだよ! てめぇが来なかったせいで、人数足りなくて不戦敗になっちまったじゃねぇか!!」
「ねぇか!!」
「げ、忘れてた。」
 のび太はよく二人に誘われて、ジャイアンが率いるチーム『ジャイアンズ』の一員として野球に興じていた。ちなみに、今まで一度もボールを打ったことはないし、捕ったこともない。
「早く表に来やがれ!!」
「きやがれ!!」
 はぁと深いため息をつき、窓から離れるのび太
「あぁ、ジャイアンスネ夫?」
 最後の一個のどら焼きを頬張りながら、ドラえもんが聞いてきた。
「うん……全く、どうせ僕が出たってエラーとか三振とかで足引っ張るだけなのに。なんで僕なんか誘うんだろ?」
「まぁそんなこと言わずにさ。誘ってくれるのは嬉しいことじゃない。」
「ただ笑いものにしたいだけさ。……ねぇドラえもん、なんか未来の道具でケンカが強くなる道具、ない?」
「あるにはあるけど……どうして?」
「あの様子じゃ、どうせ空き地で殴られるのがオチさ。そうならないように、力貸してよ。」
「全くしょうがないなぁ。じゃあ……」
 ドラえもんが、お腹についたポケットをゴソゴソとまさぐる。彼のお腹についたポケットは四次元ポケットと言って、その名の通り四次元に繋がった未来の道具だ。仕組みは全く分からないが、のび太はこの一ヶ月彼がポケットから取り出す便利な道具に頼りきりな日々を送っていた。
「ん、あった。」
 ポケットから、未来の道具が取り出される。
「ハイパワーグローブ〜!!」
 ドラえもんには、道具を取り出すときに得意げに道具名を叫ぶ癖があった。
「……ただのグローブに見えるけど。一体どんな道具なの?」
「えーっとね……このグローブを手につけると、
通常の数百倍の威力で殴る事ができるんだよ。」
「数百倍!? すごいじゃない!! これさえあればジャイアンなんて怖くないや!!」
「やい! 早く来い!!」
 ジャイアンの大きな声が響いた。いつもならとても恐ろしく感じる声だったが、今日はとてもちっぽけに感じた。
「今行くよ!!」
 グローブを両手にはめ、意気揚々と階段を駆け降りていく。のび太は、自信に溢れていた。



〜ススキヶ原・空き地〜
「よぉのび太……ビビらずによく来たな。」
 拳をポキポキと鳴らしながら、ジャイアンが自信に溢れた笑顔を浮かべながら言った。だが、のび太も負けてはいない。
「そっちこそ後悔するなよ……今日の僕は、一味違うぞ。」
「へぇ……何が違うのか、見せてもらおうじゃねぇか!!」
 ジャイアンの剛腕から放たれた拳が、のび太の顔面めがけてとんだ。当然ながら当たればひとたまりもないので、当たらないように背中を向けて逃げるのび太
「やい! なにが一味違うだよ!! 結局逃げてんじゃねぇか!!」
 渾身の一発が空振りに終わって苛ついたジャイアンが叫んだ。その後方では、スネ夫がにやにやとこちらを見ている。
「くそ……見てろ。一発だ。一発で倒してやる!!」
「おもしれぇ!! やってみせろ!!」
 のび太の挑発に乗り、ジャイアンが両手を広げて無防備にその場に立った。彼の強者ゆえの慢心を、のび太は知っていた。普段殴られ続けてきた者だからこそ分かった、ほんの少しの隙。それを、のび太は逃さなかった。
「食らえぇぇぇぇ!!!」
 のび太の一発の拳が、ジャイアンを大きく吹き飛ばした。
【五】
〜数日後«ススキヶ原小学校・教室»ー
 道具の力を使ってジャイアンを殴り飛ばしてから、のび太の日々は変わった。
「おぅのび太。てめぇなんで野球来ねぇんだよ。」
「あんな疲れる遊びやりたくないのさ。ていうかいいの? 僕にそんな態度とって。ドラえもんの道具を使えば、君なんて一捻りだよ? この前みたいにね。」
「うぐっ……行こうぜ、スネ夫。」
「……うん。」
 不満げな表情を浮かべながら、ジャイアンスネ夫は教室を出て行った。のび太には、未来から来た凄いロボットがついている。そんな話が、クラス中に広がっていた。もう、誰も自分を馬鹿にしない。恐れ、敬う。そんな現状を、のび太はとても気持ちよく思っていた。
「ねぇ、のび太さん。」
「やぁ、しずかちゃん!!」
 のび太に声をかけたのは、しずかであった。以前はよく一緒に帰っていたが、最近はそれもめっきり無くなり会話すらしていなかった。いつからそうだったのか。のび太は覚えていなかったが、久しぶりの初恋の人との会話に胸を弾ませた。
「なんか話すの久しぶりだよね。ねぇ、今日一緒に帰ろうよ。」
「……」
 楽しげに話すのび太を他所に、彼女はなかなか口を開かずにいた。どうやら、なにか言いたいことがあるふうに思えた。
「どうかしたの、しずかちゃん?」
「……どうかしてるのはあなたよ、のび太さん。」
「えっ?」
 その表情は、なにやら暗かった。
「どうかしてるって……いきなり何を言い出すのさ?」
「最近ののび太さんは、なんだかずっと得意げで……まるで自分が世界の中心にいるみたい。周りの人のこと、全然労ってない。」
「あなたはそんな人じゃなかった。前ののび太さんに戻って。」
 その一言は、なぜかのび太の気を悪くした。それが何故なのかは分からなかったが、とにかくひどく不愉快になった。
「……あんまり、僕に酷いことを言うなよ。」
「……」
「いくらしずかちゃんだからって、容赦しない。今の僕は何だってできる。ドラえもんの力で、今すぐ君を自由に操ることだってできるんだ。……謝ってよ。」
「謝ってよ!!」
 虚しい怒号が、教室に響き渡った。気づいてみれば、教室にはもうのび太としずかしかいなかった。
「……そう。私の知っているのび太さんは、もういない。死んでしまったのね。残念だわ。」
「……さようなら。」
 その言葉だけを残し、彼女も教室を出て行ってしまった。そうして、そこにはのび太だけが残った。教室に差し込む夕日が、一人になった彼を照らしていた。
【六】
 のび太は虚しさを抱えながら、駅前の本屋で立ち読みをしていた。すぐに家へ帰る気はしなかった。
「おいこら! ウチは立ち読み禁止なの!! ほら帰った帰った!!」
「えっ、ちょっと待って少しだけ……」
「ほら出てって! 早く!!」
 本屋の店主に、乱暴に店外に叩き出された。周りには、楽しげに笑う家族や、同級生の集団。ついさっきまで上手くいっていたはずの日々は、急に音を立てて崩れ去ってしまった。
「……くそっ!!」
 のび太は、むしゃくしゃしながら帰路についた。



〜ススキヶ原・野比家〜
ドラえもん! いる!?」
 のび太は帰って早々、未来からの助っ人の名を叫びながら二階への階段を上がった。
「ちょっとのび太! 帰ってきたら、まずただいまでしょ!!」
 いつもならすぐに従うママの説教ですら、今ののび太には届かない。その苛立ちが焦りや後悔から来ていることを、彼は知っていた。
「ど、どうしたののび太くん血相変えて。僕はここにいるよ。」
「……ねぇドラえもん。未来の道具でさ、なんでも僕の思い通りになるような道具……ない? あるよね?」
「またそんなこと言って……ダメだよ、そんな都合のいいこと考えちゃ。何があったか知らないけど、もっと自分で努力してさ……」
「うるさいっ!!」
「……のび太くん?」
「君は……未来から僕を助けにきたんだろ? お助けロボットなんだろ? だったら余計な口挟まずに、都合よく助けてくれよ!! それが君の役目だろ!!」
 ドラえもんは、ただただ哀しそうな顔をしていた。いや、寂しそうと言った方が正しいかもしれない。
「……わかった。」
 四次元ポケットに腕を突っ込み、何やら探す様子を見せるドラえもん。そして——
悪魔のパスポート〜!!」
 彼が取り出したのは、トランプのジョーカーが表紙に描かれた真っ赤なパスポートだった。その表紙のジョーカーは、不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「これがあれば……なんでも僕の思い通りに?」
「うん。でもこれは凄く危険な……」
「ありがとう、ドラえもん。」
 ドラえもんの手から悪魔のパスポートをひったくると、のび太は彼の言葉を無視して家を飛び出した。
「僕は……もう落ちこぼれじゃない。僕には、未来の道具がついてるんだ。」
 悪魔のパスポート。それは使用者を悪の道へと堕とす、危険な道具。
【七】
 のび太がまずやってきたのは、先ほど追い出された本屋だった。悠々と店内を歩き、読みかけだった本を手に取って店を出る。案の定、あの店主が止めにやってきた。
「おい、コラ! 君その本買ってないだろう!! ダメじゃないかそんな……こと……しちゃ……」
 店主の眼前に、悪魔のパスポートがかざされていた。
「いや、いいんだ。持っていってくれ。」
「えへへ……どうも。」
 そのパスポートをかざされた人間はどんな悪事であっても許してしまう。それはそういう道具であった。
「こんな道具があるなら最初から出してくれればいいのに……ドラえもんのやつケチなんだから。」
 漫画を持って意気揚々とその場を去ったのび太は、それからも考えつく悪事のかぎりを尽くした。
「えいっ!」
 まず、公園のゴミ箱を蹴り飛ばした。
「きゃあ! ……どうぞ。」
 しずかちゃんのスカートをめくった。
「てめぇ! ……おう、好きなだけ持ってけ。」
 自分が今まで取られてきた分も含めて、ジャイアンの持っていた漫画を全部奪ってやった。ついでに、一発殴ってやった。
 他にどんなことをしたかというと……別に、なにもしなかった。のび太が考えつく悪事など所詮下手の横付き、大したバリエーションは無かったのだ。
「はぁ……この漫画、読もうかな。」
 またなんとなく帰るのが億劫だったのび太は、ジャイアンから取り上げた漫画を読むことにした。
〜同日«河川敷・高架下»〜
「アハハハハ! 凄く面白いや……全く、ずっとジャイアンに取られてたもんなぁコレ。」
 のび太は、誰の目にもつかないであろう薄暗い高架下で漫画を読み耽っていた。何度も笑い、怒り、感動した。そうやって読み続けていくと、ある一冊の漫画が目についた。
「これ……スネ夫のだ。」
 その漫画の裏表紙には、マッキーの字で『骨川スネ夫』と書かれていた。
〜〜ジャイアンにお気に入りの漫画取られたんだよ!! くっそ〜!!……うぅっ……〜〜
 脳裏に、スネ夫の悔しそうな顔が浮かんだ。あのときの彼は、確かに涙ぐんでいた。
「……知るもんか。アイツだって、僕を散々いじめてたじゃないか。」
 結局その漫画を読むことはなく、次の一冊に手を伸ばした。しかし長いこと外にいて手が悴んでいたのか、うまく取れずにその漫画を落としてしまうのび太
「いけないいけない……あっ」
 それは、さっきあの本屋から持ち出したまだ新しい一冊であった。そしてその裏表紙には、『三五〇円』の手書きの値札が貼ってあった。
「……」
 ゆっくりと、その本を拾う。
「……返しに行こう。」
 それからのび太は、まずその本を本屋さんへと返した。こっぴどく叱られたが、自分から返したということで今回は許してもらえた。
 それから、ジャイアンの家に行った。元々ジャイアンのものだった漫画は、全て彼に返却した。もちろん一発……いや、二発殴られた。
 次にしずかの家に行った。ひたすら頭を下げて、謝った。平手打ちを頬に一発もらった。しかし彼女は最後に言った。
「やっぱりのび太さんはのび太さんね。」
 そのときの彼女は、とても優しい笑顔を浮かべていた。



〜ススキヶ原・骨川家〜
 のび太は、スネ夫が住む豪邸のインターホンを鳴らした。
『はーい、どちら様?』
 インターホンに出たのは、スネ夫本人だった。以前に彼の両親は海外に出張中だという話を聞いたことを、のび太はこのとき思い出した。
「ようのび太……なんだよお前がうちに来るなんて。珍しいな。」
「……コレ。」
 のび太は、スネ夫に彼の漫画本を手渡した。
「え、お前この漫画……」
ジャイアンに取られてたんだろ? 取り返したんだ。僕のやつのついでにね。」
「……」
「じゃあ、もう行くよ。」
 スネ夫に背を向けて歩き出す。自分のことが、ひどく惨めに思えた。
「なぁ、のび太。」
「……なんだよ。」
「……」
 しばしの沈黙。そして、スネ夫は言った。
「お前、いいやつだよな。」
「ありがとう。」
「……っ!!」
 のび太は駆け出した。その言葉は、今の彼にはどうしようもなく重くのしかかった。そんな重荷を払おうと、のび太は最後に公園のゴミ拾いをした。
 終わりの方は、視界が滲んでよく見えなかった。
【八】
〜河川敷・高架下〜
 のび太は、ずっと泣いていた。自分の弱さを、愚かさを恥じていた。気づくと辺りは暗くなり、土砂降りの雨が地面を激しく打っていた。
「……やっぱり僕は、ダメなやつなんだ。」
 俯くのび太。いっそこのままずっと眠ってしまいたいと思った。
「ここにいたんだね、のび太くん。」
「えっ?」
 顔をあげると、傍らにドラえもんが立っていた。また、あの心地良い鈴の音が鳴った。
「……ドラえもん。君には申し訳ないけど、僕に望みはないよ。僕は勉強も運動もダメで……すぐ調子に乗るし、意気地だってない。そんな僕にどんな手を尽くしたって、無駄だよ。」
「……ちょっとだけ、僕の話を聞いてくれないか。」
「……君の話?」
 ドラえもんはゆっくりとのび太の隣に腰をおろすと、優しい口調で語り始めた。
「僕は元々猫型ロボットで……耳だってあった。他のみんなと同じように工場で生まれてさ。誰のものになって、どんな風に役に立てるのか……そんなことを考えてた。」
「……」
「でもある日、全部変わった。暴走したネズミ型ロボットに両耳齧られてさ。僕の頭……まん丸になっちゃったんだ。」
「そうか、君にそんな過去が……」
 ずっと不思議だった。何故猫型ロボットであるはずのドラえもんに、耳が無いのか。それを今、彼自身が語ってくれている。のび太は、この話はちゃんと聞かなければいけないと思った。
「それからはもう……散々。耳が無いってみんなに馬鹿にされて、何をやってもうまくいかなくなってさ。結局廃棄が決まってゴミ捨て場にポイ……あぁ、もう終わりだ。全部無駄だったって、思ったよ。」
「それって……」
「うん、今ののび太くんと似てるね。でも僕は……彼に。セワシくんに助けられた。彼が僕をゴミ捨て場から拾い上げてくれて、修理してくれた……耳はつけられなかったけど、彼は僕に名前をくれたんだ。型番じゃない、ドラえもんって名前をね。」
「じゃあ……君にとってセワシくんは、恩人なんだね。」
「うん……だから今度は、僕がそうなりたい。君にとっての、セワシくんになりたいんだ。」
「……ドラえもん。」
「さぁ帰ろうよ、のび太くん。僕たちの家にさ。」
 ドラえもんが、ゴム毬のように白く丸い手を差し出す。それを掴み、のび太は立ち上がった。
「ねぇ、ドラえもん。」
「ん?」
「僕と……友達になってよ。」
「……うん!!」

 雨が止んだ。

【九/プロローグ】
〜二〇七四年八月七日・«貧民街»〜
 視界が霞む。彼女の視界に映るのは、真っ暗な天井。そしてその傍らには、血まみれになりながら必死で産声を上げる赤子の姿があった。
「ごめんなさい……あなたには、もっと良い景色を見せてあげたかった。」
 壁に空いた大きな穴からは、自分達を照らす眩しすぎる光が差し込んでいた。そしてそこから見えるのは、遠く輝かしい賑やかな大都市。そして、目の前の川沿いに咲く一本の桜の木。
「あの木は……これからも葉をつけていくのね。そしていつか綺麗な花を咲かせる。私は見られないけど……あなたには、あの桜の木のように大きく立派に育ってほしい。そして、あの木が花を咲かせるその時を見届けて」
「生きて幸せになって。セワシ。」
 愛する息子の頭を撫でながら、母親はゆっくりと目を閉じた。
【十】
〜十年後・«ススキガハラ»〜
 セワシは、高層タワーの最上階から遠く映る貧民街を見下ろしていた。そこでの幸せな思い出は一切無かったが、ただただあの時の母親の温もりだけが彼の記憶には残っていた。
「御坊ちゃま。御時間でございます。」
「あぁ、今行く。」
 執事の言葉に力無く返事をしながら、セワシはその身を翻した。
「今日はまずピアノ、バイオリン、チェスのお稽古。それが終わったら帝王学。それから、語学の勉強を行なっていただきます。」
「あぁ。」
「その後は……御義父様から、なにやらお話があるようでございます。」
「……分かった。」
 十年前。泥と血に塗れながら貧民街の街道をはいずっていたセワシは、ススキガハラのとある大企業の社長に拾われた。彼は後継を切望しており、妻が亡くなったことをきっかけに養子を探していたらしい。
「僕は、こんなこと望んでない。」
「御坊ちゃま、何か仰いましたか?」
「いや、別に何も。」
 セワシは、ずっと諦めていた。
【十一】
〜同日・«ススキガハラ高層タワー»〜
 一日のスケジュールも全て終わり、セワシは苛烈な教育で疲弊した身体をほぐしながら養父のもとへやってきた。
「お義父さん、何か用ですか?」
「……相変わらず冷たい態度だ。命の恩人に向かって。」
「僕はあのまま死んだってよかった。それを拾ったのは、あなた自身のためでしょう。ただ自分の言うことを聞く都合のいい人形が欲しかった。だからあんな辺鄙なところまで後継を探しに来たんだ。」
「……この前の話、やはり考え直さないか。」
 男は葉巻を燻らせながら、こっちを見ることなくそう尋ねた。
「……はい。僕は、この家を出ていく。あなたの事業を継ぐ気はない。」
「行くところは?」
「……僕が産まれたあの街に戻ります。それ以外、行き場はありませんから。」
 ふぅとため息をつきながら、男はこちらに向き直った。その顔は、なにやら面倒そうな面持ちであった。
「お前に、言っておかなければならないことがある。」
「……なんですか、急に。」
「お前は……俺の息子だ。本当のな。」
「……え?」
 セワシに告げられたのは、自分が予想もしていなかった真実であった。
「昔、あの貧民街の土地を丸々買い取って工場を建てる計画があってな……結局その計画は頓挫したんだが、土地の視察に行った時……私は、お前の母親に会ったのだ。」
「彼女はのび太という祖先が作った大きすぎる借金に苦しみ……あの貧民街に身を寄せていた。彼女は私に言った。『助けてほしい』と。」
「私はその時ちょうど事業に疲れていて……憂さ晴らしできるならと彼女を言いくるめて一夜を共にしたのだ。私としては、ほんの一瞬の気晴らしのつもりだった。だが——」
「彼女はお前を孕った。」
 男が告げたその事実は、セワシにとって耐え難いものであった。そしてセワシは自然と、目の前にいるその男を嫌悪した。
「それでお前は……僕だけを拾ったのか。母さんのことは見捨てておいて、僕だけ……」
「当然だろう。あんな小汚い場所での生活が染みついた女に、価値はない。だがお前は違う。」
 彼は、ゆっくりとセワシに近づきその肩に手を置いた。
「お前は私の息子だ。諦めろセワシ。血には抗えない。お前は、父親である私の事業を継ぐのだ。」
 それは、本当に発作的な行動であった。セワシはその手を振り払うと、社長卓に置いてあった灰皿で目の前の男を殴り倒していた。
 男はほんの一瞬だけ痙攣したのち、動かなくなった。
「……はぁ。」
 セワシは眼前に転がる死体をそのままに、重い足取りで部屋を出たのだった。
【十二】
〜ススキガハラ«とあるゴミ捨て場»〜
 セワシは、無造作に打ち捨てられたゴミの山にもたれながらぼーっとしていた。
 そこは発展した二十二世紀の都市の一角とは思えない酷く薄汚れた場所であったが、彼はそんなこの場所がとても好きだった。
「やっぱりここは……落ち着くなぁ。」
 ふと、腰に何か丸いものが当たった。気になって見てみると、それは白いゴム毬であった。
「気を紛らわすには、丁度いいか。」
 セワシはそれを拾い上げようと手を伸ばした。が、すぐにそれがゴム毬ではない事に気がついた。
「子守ロボットの残骸か。」
 それは短く丸い手をこちらに伸ばしながら、悪臭を放つゴミの山に埋もれていた。
「……あーぁ。」
 ほんの出来心だろうか。そのロボットをゴミの山から引っ張り出すと、その身体についていた汚れをはらってやった。それは、セワシが知っていた子守ロボットの型とは少し違っていた。
「これ……猫型、だよな?」
 その猫型ロボットに耳はなく、体色も彼の記憶にあった黄色ではなく青色だった。その冷たい体色は、なぜだかセワシの心を癒した。なにか、今の冷え切った心に呼応するものがあったのかもしれない。
「……直してやるよ。」
 セワシは近場に放られていた工具を手に取ると、少しずつその残骸に手を加えていった。
 彼が育った家は自立型ロボットの開発を主な事業としていたため、機械系の知識もこれでもかと叩き込まれていた。初めて、あの厳しい教育を受けてよかったと思えた。



「よし。」
 幸いにも駆動系の根本部に大きな損傷は無かったため、修理はすぐに終わった。
「……あレ、コこは?」
「ゴミ捨て場……君、捨てられてたんだよ。」
 そのとても猫型とは言えない青く丸いロボットは、ぎこちなく首を動かしてこちらを見た。
「……キみハ、だレ?」
「僕は……セワシだ。君の命の恩人だぞ。感謝してくれ。」
「……ソッか。ぼく……スてられてたんだ。耳がないから。落ちこぼれだから……」
「……ねぇ君、名前は?」
「僕は……名前、ないよ。型番だけ。つけてもらう前に、捨てられちゃったから。」
 そのロボットは、俯いて涙を流した。悲しさを素直に表せる彼を、セワシはとても羨ましいと思った。
「ねぇ、君さ。」
「なに?」
「名前、つけてやるよ。」
「え?」
「君は今日から、ドラえもんだ。」
 セワシは生まれて初めて、生きていて良かったと思えた。
【十三】
〜ススキガハラ«高層タワー»〜
 ドラえもんを連れてタワーに戻ったセワシだったが、社長室の前を通ったときに部屋に置いてきた遺物のことを思い出した。
「あー……忘れてた。」
「どうしたの、セワシくん?」
「いや……ちょっと待っててね。」
 セワシは一人で再び社長室に入ると、相変わらず無造作に転がった死体を抱えて社長卓まで引きずっていった。
「たしか……ここに。」
 その卓の引き出しを開けると、そこには無限に続く時空のトンネルが広がっていた。
「……ここしか、ないよね。」
 タイムトンネル。発展した二十二世紀の技術は、ついに時間移動を可能とした。過去、現在、未来。あらゆる場所と時間に飛ぶことができるタイムマシン。そのタイムマシンの通り道がここであった。
「見つかりませんように……」
 セワシは祈りをこめながら男の死体をそこに放り込んだ。タイムトンネルにマシンを介さず入れば、時空の渦に巻き込まれて永遠に時の狭間を彷徨い続けることになる。その状態が長く続けば、やがて粒子となって時空の一部に溶け込んでしまう。それは、活動を止めた死体も同様だ。
「ふぅ……とりあえず捨てられた、けど。」
 これからのことを考えると、項垂れるしかなかった。やはりいずれは自分がやったこともバレる。それは別に構わなかったが、やはり自分に未来は無いのだと、そう思えて仕方ないのが辛かった。
「……そうだ。こうなったのも全部、僕の過去のせいだ。」
〜〜彼女はのび太という祖先が作った大きすぎる借金に苦しみ……あの貧民街に身を寄せていた。〜〜
 不意に、あの男の言葉が頭をよぎった。どうせ未来に希望がないのならと、セワシは思った。
「……」
セワシくん?」
 なかなか出てこなかったので心配したのだろう。ドラえもんが、不安そうな面持ちで部屋にやってきた。
「ねぇ、ドラえもん。」
「なに?」
「君に、頼みがあるんだ。」
 セワシの、未来を見つける旅が始まった。
【十四】
ドラえもんは返してもらうよ、おじいさん。」
「待って……どうしてさ、セワシくん!!」
 二人の別れの日。そして、始まりの日。



〜三十分前/同日・放課後«ススキヶ原»〜
 のび太は、その日も足取り重く帰路に着いていた。
「はぁ……やっぱり僕は、ダメなやつなんだ。」
 悪魔のパスポートの一件があってから、のび太はひどく自分のことを嫌悪するようになっていった。しずかちゃんは今まで通り接してくれたし、スネ夫は今までよりのび太をハブらなくなった。ジャイアンは……今まで通りだった。
 それでも、のび太は自分のことを許すことができなかった。そして今日、スネ夫のび太に言ったのだ。
〜〜のび太はやっぱりダメなやつだよ。ドラえもんがいないと何にもできないもんな!!〜〜
 ドラえもんがいないと、自分は何もできない。スネ夫のその軽い一言は、のび太に深く突き刺さった。
「そうだ、僕はドラえもん無しじゃ生きていけない。でもドラえもんさえいれば……僕は生きていける。」
 のび太は、自分を信じられなくなっていた。



〜ススキヶ原・のび太自室〜
「ただいま、ドラえもん……ってあれ、セワシくん?」
 のび太が帰宅して自室に入ると、そこには向かい合って立ち尽くすドラえもんセワシの姿があった。二人はとても深刻そうで、セワシは険しく、ドラえもんはとても悲しそうな表情をしていた。
「二人ともどうしたのさそんなピリピリして……なにかあったの?」
「あぁ、おじいさんか。ちょうどいい。あなたに話があるんだ。」



〜現在«ススキヶ原・のび太自室»〜
「訳を聞かせてよ……ドラえもん、どうして急に未来に帰らないといけなくなったの?」
「それは……」
 ドラえもんはもじもじとして、そこから先の言葉を言い出せない様子だった。それを横目で見ていたセワシはふぅとため息をつくと、代わりにと口を開いた。彼は、とても冷めた目をしていた。
「……おじいさん。もう話しちゃうけどね、僕がドラえもんを寄越したのは、別にあなたの未来をよくするためじゃない。」
「え……じゃあ、なんのために?」
「それは君を……」
「やめて、セワシくん」
「いいや言うよ、ドラえもん。おじいさん、彼はね……」
 その先の言葉を、のび太は信じることができなかった。いや、信じたくなかったのだ。
ドラえもんはね、あなたを殺すためにやってきたんだ。」
【十五】
〜二〇八四年・ススキガハラ«高層タワー»〜
ドラえもん、君に頼みがあるんだ。」
 セワシのそれは、まるで意味のない頼み事であった。しかし彼は、それでもそうしたいと思った。
「過去に行って、僕の先祖……野比のび太を、殺してくれ。」
「ちょっと待ってよ。いきなり人を殺してって……しかもご先祖様でしょ、駄目だよ。」
「僕はもう、一人殺したんだ。どうせすぐアイツらに捕まる。だからその前に……最低限の復讐がしたい。」
「……」
 ドラえもんは何も言わなかった。セワシも、そんな彼の顔を見ることができなかった。自分の顔がひどく薄汚れていることが、よくわかっていたからだ。
「まず、のび太に君に対しての信頼を抱かせる。そうして彼が依存したときに……後ろから殺すんだ。きっと絶望しながら死ぬだろ。僕は、"そういう復讐"がしたいんだ。」
「それは……復讐になるの?」
 そう。過去がどれだけ変わっても、セワシ達が生きる現在は変わらない。ただ、変わった過去に新しい未来ができるだけなのだ。
「あぁ。意味はない……けど、僕にとってそれは、意味のあることなんだよ。」
「……分かった。」
 ドラえもんが、そう言いながらタイムトンネルの前に立った。
「僕を助けてくれたのは、セワシくんだ。僕の人生に意味を持たせてくれて、名前もつけてくれた。僕はそんな君の……恩に応えるよ。」
「……ありがとう、ドラえもん。」
 ドラえもんは、決意に満ちた表情でタイムトンネルに飛び込んだ。彼がそうして過去に旅立つのを見送りながら、セワシは自分の過去に想いを馳せたのだった。
【十六】
〜再び現在・ススキヶ原«のび太自室»〜
「そんな……」
 のび太は、セワシからの告白を聞いて絶句した。自分の不甲斐なさのせいで、未来でセワシは苦しんでいた。その事実が、のび太の心を強く締め付けた。
「でもね、ドラえもんは言うんだ。あなたを殺したくないって。だから、やめることにした。僕だって、友達を傷つけることは本意じゃないんだ。」
 のび太の机の引き出しを開きそこに足をかけながら、セワシがそう言った。
「さぁ、行こうドラえもん。」
「……ごめん、のび太くん。」
 ドラえもんが、のび太に背を向ける。のび太の拠り所が今、離れていこうとしていた。
「……いやだ。」
 のび太のその言葉に、セワシの眉がぴくりと動いた。
「なんだって?」
ドラえもんを……連れて行くな!!」
 気づけば、のび太セワシにつかみ掛かっていた。それはまるで理性のない、子供が引き起こした癇癪のような行動だった。
「「うわ……あぁぁぁ!!」」
 不意をつかれたセワシはバランスを崩し、のび太セワシはトンネル内のタイムマシン上に落下した。その衝撃で誤作動を起こしたマシンが、行き先もないまま動き出す。
「くそ……離せ!!」
「離すもんか! 僕は……友達を失いたくない!!」
「うるさい! もう他に友達も家族もいるお前に……そんなことを言う資格はない!!」
「僕の不甲斐なさが君を苦しめたこと……それは謝るよ!! でもそれで、勝手に僕から友達を奪っていい理由にはならないだろ!!」
ドラえもんは友達じゃないんだよ! 僕があなたに与えてやった……便利なお助けロボットだろうが!!」
「違う! 彼は僕の友達だ! 友達を……友達を悪く言うな!!」
「「ちくしょう!!」」
 思いの丈をぶつけ合いながら、取っ組み合う二人。互いの激情が、時空の狭間を小さく揺らした。
「いい加減に……しろ!!」
 セワシが、のび太の身体を突き飛ばした。
「うわっ……」
「あっ……」
 無限に広がる時間の海に放り出され、少しずつ意識が溶け出していく。
(そうか……僕はここで死ぬのか。)
〜〜のび太はやっぱりダメなやつだよ〜〜
〜〜うるさい! もう他に友達も家族もいるお前に〜〜
(そうだ……僕はダメなやつだから、このまま生きてたって誰かに迷惑をかけるだけなんだ。だったらいっそ……)
〜〜ごめん、のび太くん〜〜
 のび太は、ゆっくりと眼を閉じた。
【十七】
「のびちゃん。のびちゃんや。しっかりしなさい。おばあちゃんに、その可愛いお顔を見せてくださいな。」
「う……ん……?」
 のび太が目を開けると、目の前には幼い頃に亡くなったはずの彼の祖母が敷布団に横になっていた。
 おねしょをしたり犬に吠えられて泣きじゃくったり、のび太は昔から弱虫だった。そんな彼を癒し、愛してくれたのが、彼女だ。どんなときでも、最後にはおばあちゃんが優しく抱きしめてくれたことを、のび太はよく覚えていた。
「おばあちゃん……?」
「ダメだねぇ、のびちゃんに心配かけちゃうなんて。老いには勝てないのかねぇ。」
(そうか……これは、死ぬ前に見るっていう夢かな。おばあちゃん。優しかった、おばあちゃん……)
「……? どうしたんだいのびちゃん。そんな浮かない顔をして。何かあったのかい?」
「……僕って、ほんとダメなやつだなぁって思ってさ。」
「……」
「意気地はないし、いっつもママとパパ……おばあちゃんにだって迷惑かけっぱなし。すぐ転んで泣きじゃくって……きっと僕なんかが大人になったって、誰かに迷惑かけるだけなんだって……そう思うよ。」
「……のびちゃん。」
 おばあちゃんはゆっくりと起き上がると、のび太の頭を撫でながら押し入れの方へと向かった。
「だ、だめだよおばあちゃん。横になってなくちゃ……」
「……おぉ、あったあった。」
 彼女が押し入れから取り出したのは、少し年季の入った小さいダルマであった。
「ねぇ、のびちゃん。」
「……なに、おばあちゃん?」
 再び布団に入りながら、おばあちゃんはダルマを転がしてみせた。ダルマはのび太の目の前でころころと転がると、少ししてゆっくりと起き上がった。
「ダルマさんって凄いよね。どれだけ転がっても、最後にはシャキッと背筋を伸ばして立ちあがっちゃうんだから。」
「……うん。」
「私はね、のびちゃん。あなたも、このダルマさんみたいになれるって思うのよ。何度倒れたってきっと立ち上がって前を向く。あなたにはそれができる。」
「……」
 のび太は、思い出していた。この少し後、おばあちゃんは安らかに息を引き取った。そんな彼女の言葉を、彼は今の今まで忘れていた。
「……おばあちゃん、僕は」
 ふっと、視界がぼやけ意識が遠くなる。
(あ、れ……?)
 やがて、視界が真っ暗になった。



「あ、れ……って寒っ!!」
 次にのび太が目を覚ましたのは、吹雪で視界が遮られた雪山の洞穴のなかであった。
「なんで僕、こんなとこに……?」
のび太さん、大丈夫?」
「えっ……し、しずかちゃん?!」
 隣にいたのは、想い人である源しずかだった。彼女は何故か大人の姿になっていたが、のび太にはそれが彼女であるとすぐに分かった。
「ほんと、バカよね。雪山に来て遭難しちゃうなんて……助けに来てくれてありがとう、のび太さん。」
 二人は洞穴のなかでじっとうずくまり、明るく燃える焚き火にあたっていた。自分たちが遭難したであろうことは、のび太にもある程度察することができた。
(でも、なんでこんな夢を……?)
のび太さん。」
「は、はいっ!?」
 しずかは少し気恥ずかしそうに火を見つめながら、ぽつりと言った。
「私、受けるわ。」
「え?」
「あなたのプロポーズ、私受けることにしたの。」
「あぁそうなの……って、えっ!?」
「何驚いてるのよ!! って、こんなとこで返事されたらそりゃ驚くか……。」
 訳がわからなかった。何故死ぬ直前に見る夢の内容が、こんなに幸せなのか。いや、もうすぐ死ぬからこそこんなに幸せなのかもしれない。のび太はそう思い直した。
「あ、ありがとう……でも、なんで? 僕なんて泣き虫だし勉強も運動もできないし……すぐ調子乗るし……」
「もう、やめてよそんなに自分を悪く言うの。私は、のび太さんに決めたの。」
「しずかちゃん……」
「……のび太さんは、優しいわ。それは、手に入れたくても手に入れられない……あなただから持つことのできた、特別な優しさ。」
「……」
「昔、屋根に乗ったバドミントンの羽を取ってくれたことがあったでしょう?」
「え、あぁ……」
「あのとき、のび太さんが屋根から落ちたときはすごく心配したわ。私のせいで大怪我しちゃったんじゃないかって。でもあなたは……一言も私に『痛い』と言わなかった。強がりも言わず、ただ羽を渡してくれたわ。」
「それはあのとき、他に気にしてることがあったからで……」
「それでもやっぱり、あれはあなたが優しかったからできたことよ。私は、そんなあなたが好きになった。」
「し、しずかちゃん……」
「あなたは、特別なひとよ。深い優しさと純粋な心を持った……素敵なひと。」
「だから、もっと自分を信じてあげて。お願い。」
 彼女の言葉を、のび太は飲み込みきることができなかった。それでも少しだけ、のび太は自分という人間が好きになれた気がした。
「しずかちゃん。ありが……」
 ふっと、再び視界が暗転した。のび太は再び意識を失った。



「ねぇ……あなた。この子の名前、もう決めてあるのよね?」
 気づくと、のび太は無機質な病院の天井を見つめていた。そこは記憶にない、しかしとても安らかで懐かしい場所であった。
(ここは……どこだ?)
のび太。僕たちの子の名は、野比のび太だ!!」
 そう言いながら、のび太の小さな身体を一人の男が抱き上げた。
「もしかして、パパ? パパだよね?」
 のび太のその問いは、彼には届かなかった。なぜならのび太は、言葉すら発することができなかったからである。
(そうかこれは……僕が生まれた時の……)
 よくよく周りを見渡してみると、パパだけではなくママの姿もあった。
「ねぇ、この子はどんな子になるかしら?」
「そりゃあママに似て、強くてしっかり者の子になるさ!!」
「あら。じゃああなたに似て、優しくておおらかな子にもなるわね。」
「将来はきっと、立派な商社マンさ!!」
「そうねぇ……それだけ立派な子に、なってほしいわね。」
 二人は、とても幸せそうであった。いつも怒ったり難しい顔をしていたパパとママからは、到底想像のつかない表情をしていた。
(ごめん。パパ、ママ……僕は二人の期待には応えられなかったよ。)
「でもやっぱり一番は」
「あなた?」
「この子には、自由に伸び伸びと育ってほしいなぁ。」
「……そうね。この子が自分で良いと思える未来に進んでくれたら、それが一番よね。」
(……!!)
「だから……のび太。」
「そう。どこまでも自由に、あそこに咲いてる桜の木みたいに大きく立派に育ってほしい。伸び伸びと生きていく……この子には、そういう強さを持ってほしい。」
 のび太は、泣いていた。まるで赤子のように純粋に、大きな愛に包まれて泣いていた。
〜〜のびちゃん〜〜
〜〜のび太さん〜〜
〜〜のび太〜〜
〜〜のび太!〜〜
〜〜のび太くん!!〜〜
 自分を呼ぶ声が聞こえる。過去から、未来から。自分に託された期待と、強さ。そして想いを知り、そして今——

 のび太は、現在に帰ってくる——。

【十八】
「……びたくん。のび太くん!!」
「ん……ドラえ、もん?」
 目を開けると、そこは自分がよく知る現代の自室だった。そして、その傍には心配そうにのび太を見るドラえもんの姿があった。
「……そうだ! セワシくん! セワシくんは!?」
 慌てて飛び起き、部屋を見回す。すると、部屋の隅で暗く不満げな顔をしたセワシが立っていた。
「……て、誰?」
 そしてそんなセワシの隣には、のび太の知らない顔が一人。彼は白と青で彩られたスーツをビシッと着こなし、それに負けないくらい真っ白な髭を蓄えたダンディな男であった。その姿はさながら警察のようだと、のび太は思った。
のび太くん、突然すまない。私はキーパー、タイムパトロールの隊長だ。」
「たいむ……ぱとろーる……?」
「そうか、すまない。君たちの時代では知らぬ名だな。タイムパトロールとは、あらゆる時間軸を監視し、過去から未来、また未来から過去への干渉などで時空に歪みが生じないようにする組織だ。」
「えーっと……もう少しわかりやすく……」
 混乱するのび太を見かねたのか、ドラえもんが口を開いた。
「まぁつまり……未来の人が過去に対して悪さしないように見張ってる、警察みたいな人たちってことだよ。」
「なるほど……で、その警察の人がなんで僕の部屋に?」
 キーパーはその立派な髭をいじりながら小さくため息をつくと、セワシを見ながら言った。
「彼が、タイムトンネルに男性の遺体を遺棄したことが分かってね。消息を追っていたら、今度は過去に色々と干渉してるじゃないか。だから隊長である私自ら、こうして彼を逮捕しにきたんだ。」
 逮捕。遺体。そして遺棄。あまりに重い言葉の連続で、のび太はすぐセワシがやったことの大きさを理解した。
セワシくん、君は……」
「僕は、諦めたんだ。幸せになることを。自分の未来を。だからせめて、僕を不幸にした血の繋がりに一矢報いたかった。」
「……」
「さぁ、行こうか。」
 キーパーに促されたセワシが、とぼとぼと力無い足取りでその場を後にしようとする。その背中は、とても小さく寂しそうに見えた。
「……セワシくん!!」
「……なんだい、のび太さん。」
「僕、嬉しかったんだ。未来の僕の子孫が、助けに来てくれたって知ったとき。新しい友達ができたとき。この嬉しさは君がくれたものだよ、セワシくん。」
「……それはよかったね。」
 こちらを見ることなく、セワシがタイムトンネルへと繋がる引き出しに足をかける。今を逃せば、一生言えなくなる。のび太は、そう直感した。
「僕、頑張るよ! 今はダメダメでも、意気地が無くても……自分の力で未来を切り拓いてみせる!! だから、セワシくんも……」
「……アハハッ! アハハハハッ!!」
 セワシが、不意に大声で笑いだした。その笑いは、まるで何かから解き放たれたかのような、そういう清々しさをはらんでいた。
「……おじいちゃん。たとえあなたがどれだけ頑張ったとしても、また違う未来ができるだけだ。僕たちの現在は変わらない。」
「……そんな。」
「でも」
 セワシが、不意にこちらに振り向いた。彼は涙を溜めながら、それでも精一杯の笑顔を浮かべていた。
「僕も、頑張ってみるよ。」
「……セワシくん。」
「ん?」
「僕の……未来をよろしく。」
「……おじいちゃんも、僕の過去をよろしく。」
 そうして、セワシはタイムパトロールに連れられて未来へと帰っていった。これからも彼にはたくさん辛いことが待っているだろう。それでもセワシには幸せな未来があると、のび太は信じて止まなかった。
【十九】
のび太くん……ちょっと散歩に行こうよ。」
「うん。」



〜十分前・夜«のび太自室»〜
のび太くん、君には言いづらいことだが……」
 セワシを送り終えたタイムパトロールのキーパーが、言葉を詰まらせながらのび太に言った。
ドラえもんくんも……未来に帰らなくちゃいけない。」
「えっ……そんな、どうして!!」
「それは……」
「隊長さん。そこから先は、僕がお話します。」
 キーパーの言葉を遮ったドラえもんが、のび太に語り出す。
「僕は元々、未来のロボットだ……。そんな僕がここにいる。君にも、随分とたくさん干渉してしまった……。これ以上僕がここにいれば、この現代にどんな影響が出るかわからない……危険なんだよ、僕は。」
ドラえもん……」
「だから僕は、帰らなきゃいけない。……帰らなきゃいけないんだ。」
 ドラえもんが、声を震わせて俯きながら言った。そんな姿を見て、のび太は自分が引き止めることが彼にとってどれだけ辛いことかを悟った。
ドラえもん
「ん?」
 ドラえもんの身体をグッと抱きしめる。辛いとき、逃げ出したいと思ったときにおばあちゃんがやってくれたのと、同じように。
「……ありがとう、友達になってくれて。」
「……のび太くん!」
 その姿を見ていたキーパーが、バツが悪そうにそっぽを向きながら言った。
「……のび太くん、ドラえもん。君たちの友情に免じて、今夜だけ時間をあげよう。明日の朝、迎えにくる。だから今晩だけは……二人だけで存分に語り合うといい。」
 そして、キーパーはその場を後にした。その場には、のび太ドラえもんだけが残った。



〜現在«ススキヶ原・空き地前»〜
「寒いね……」
「……うん。」
 その日は、雪が降っていた。気づけば十二月も後半に差し掛かり、のび太のもとにドラえもんが来てから一年が経とうとしていた。
「ねぇ、のび太くん。」
「ん?」
 ドラえもんが、足を止めた。
「……不安なんだ。僕がいなくなっても、ちゃんとやっていけるかって。ジャイアンにいじめられてもちゃんと嫌だって言える? やりかえせる? みんなの輪に入れる? あと……それから……」
ドラえもん。」
 その両肩に手を乗せて、のび太は真っ直ぐ彼の目を見て言った。
「僕は大丈夫さ。いろんな人からいろんな想いをもらって……セワシくんとの約束も守らなきゃ。だから僕は、もう大丈夫。」
のび太くん……ごめん、ちょっと風にあたってくる。」
 ドラえもんはそう言って足早にその場を去っていった。
ドラえもんのやつ……泣きたいなら、ここで泣けばいいのに。」
 ふと、のび太は目の前の空き地に人影があることに気づいた。それは、ジャイアンであった。どうやらとても機嫌が悪いであろうことを、のび太は彼の後ろ姿から悟った。
(退散、退散……と)
 そっとその場を後にしようとする。しかし運悪く踏みしめた雪が大きく音を立ててしまい、それに気づいたジャイアンのび太のほうを振り向いた。
「……やぁ、ジャイアン。」
「おぉ、のび太か……ちょうどいい。今むしゃくしゃしてんだ、一発殴らせろ。」
 足がすくみ動けないのび太の胸ぐらをつかみ、ジャイアンはその剛腕を振り上げた。
「歯ァ食いしばれ、のび太……!」
「うわぁ! 助けてドラ……」
〜〜僕は大丈夫さ。いろんな人からいろんな想いをもらって。セワシくんとの約束も守らなきゃ。だから僕は、もう大丈夫〜〜
「……ちょっと待って!!」
「お? なんだよ。」
 戸惑うジャイアンの背中を押して、のび太は彼とともに空き地の土管の裏に隠れた。のび太の声を聞きつけたドラえもんが、そこにやってくる。
「あれ……のび太くんの声が聞こえたような気がしたんだけど。おーい、のび太くーん!!」
 少し慌てた様子で、彼はその場を後にした。その様子を見届け、のび太ジャイアンに物陰から出るよう促した。
「……おい、のび太。なんなんだよこれは。」
「……ケンカなら、ドラえもん抜きでやろう。」
「へぇ……お前、意外と根性あるじゃねぇか。」
 大きく白い歯を見せて笑いながら、ジャイアンは拳をポキポキと鳴らしてみせた。のび太も負けじとファイティングポーズをとる……震えながら。
「いくぞ、ジャイ」
「くたばりやがれ!!」
 ジャイアンの痛烈な拳が、のび太の頬を捉えた。たまらず吹っ飛ばされるのび太。相変わらず、彼のパワーは凄まじかった。
「どうだ、恐れ入ったか!」
 拳を高らかと掲げ、勝ち誇るジャイアンのび太はそんな彼の足元で、冷たい雪に埋もれながら自分の弱さを恥じた。
(そうだ……どれだけ覚悟を決めたって、僕は弱いままだ……ダメダメなままなんだ……)
 のび太は諦めながら、ゆっくりと目を瞑った。
〜〜何度倒れたってきっと立ち上がって前を向く。あなたにはそれができる。〜〜
(……!!)
 のび太は、再び眼を開いた。その目は、まだ挫け切ってはいなかった。
「そうだ……そうだよね……おばあちゃん……!!」
 ズルズルと、重い身体をおして立ち上がる。
「お? まだやんのかよ、のび太。」
「あぁ、僕はまだやれる。勝負はこれからだ!」
「そうかよ!!」
 ジャイアンの握り拳が、今度は先ほどとは反対の頬を抉り抜いた。その強い衝撃に、またも地に伏されるのび太
「ぐ……うぅ……!」
「わかったか! どれだけ立ち上がったって、俺には勝てねぇんだよ!!」
〜〜だから、もっと自分を信じてあげて。お願い。〜〜
「僕は……諦めない……!」
 またしても、のび太は立ち上がる。
「しつけぇやつだな……いい加減、諦めろ!!」
 トドメとばかりに、ジャイアンのび太の腹を深々と殴り抜いた。
「がはぁ……!!」
 あまりの苦痛に大量の吐瀉物を吐きながら、三度地面に手をつくのび太。しかし、今度は倒れなかった。地面に立膝をつき、歯を食いしばって立ち上がる。
「なんだよお前……今日しつこいぞ!!」
「……れないんだ。」
「はぁ?」
〜〜不安なんだ。僕がいなくなっても、ちゃんとやっていけるかって。〜〜
 のび太は彼の不安げな顔を思い浮かべながら、叫んだ。
「僕が君に一人で勝てないと、ドラえもんが安心して未来に帰れないんだ!!」
「知ったことか!!」
 ジャイアンが、やぶれかぶれな一撃を振り下ろした。その拳を、顔面で受け止めるのび太。そしてそれにのび太は……思いっきり噛みついた。
「グアァァァ! 痛ぇぇえ!! 離せ! 離しやがれ!!」
 もはや、のび太を動かしていたのは気概だけであった。激しくその拳に喰らい付きながら、決して離すまいとジャイアンを強く睨みつける。
「わ、わかった! 俺の負けでいい! ……俺の、負けだ!!」
 彼のその言葉を聞いた瞬間、のび太のなかで張り詰めていた糸が切れた。ゆっくりと、その場に倒れこむ。ジャイアンがそそくさと去っていく足音が聞こえ、それと入れ違いで自分に近づいてくる足音が聞こえた。
「……のび太くん。」
ドラえもんか。」
「どうしてこんな無茶を……!」
 のび太を抱えながら、ドラえもんは震えた声でそう言った。
「僕、勝ったよ……あのジャイアンに一人で、勝ったんだ……だから安心して、未来に帰れるよ。なぁ、ドラえもん。」
「……あぁ! あぁ……!!」
 涙を流すドラえもんを見ながら、のび太の意識は少しずつ遠のいていった。
【二十】
〜ススキヶ原«のび太自室»〜
 ドラえもんは、目の前でぐっすりと眠るのび太の姿をじっと見つめていた。
(のび太くん……こんなに傷だらけになって。)
 思えば、ドラえもんのほうが彼に助けられていたのかもしれない。未来で彼の子孫であるセワシに拾われ、名前をもらい、ここにやってきた。そして今度は彼自身に、人の助けになる喜びをもらった。そして、生まれて初めての"友達"にもなってくれた。
「ありがとう、のび太くん。」
 昇りたての朝日が、窓から差し込んでいた。
【エピローグ】
 のび太が目を覚ますと、そこにドラえもんの姿はなかった。スズメが一日の始まりを告げるように鳴き、窓からは眩しい朝日が見えた。
「……君がいなくなったら、急に部屋ががらんとしちゃったよ。でも、いつかきっと慣れる。だから安心してくれよ、ドラえもん。」
 学校へ行こうと、部屋を後にするのび太。そのとき一瞬だけ、あの心地よい鈴の音が聞こえたような気がした。

〜完〜







アンパンマン 〜願い星の奇跡〜

【プロローグ】
【むかーしむかし、大きな宇宙のなかに隣り合って栄えた二つの星がありました。ひとつはコーボ星、ひとつはバイキン星とよばれたその星たちは、尊重しあってとても仲の良い関係を結んでいました。しかしその関係は、両方の星のたべもの不足によって崩れてしまったのです。お互いの残り少ないたべものを巡って争ったコーボ星とバイキン星は、やがて疲れ果てて粉々に砕け散ってしまいました。今もこの宇宙には、二つの星のカケラが手を取り合いながらふわふわと漂っています。ほら、あなたが見つめる空にも……。】
「はい、今日はここまで。」
 ジャムは開いていた絵本をそっと閉じると、つぶらな瞳でこちらを見つめる少女の頭を撫でた。
「ほら。読み聞かせも終わったんだから、そろそろ寝なさい。」
「ねぇ、ジャムおじさん。どうして二つの星はケンカしちゃったの? 仲が良かったんだよね?」
 ジャムの息子夫婦の忘れ形見——バタコは、幼いながらにとても賢い子であった。ジャムはふぅとため息をつくと、本をそばの机に置いた。
「バタコ。生き物はみんな、なにかを食べて生きているんだ。バタコだって今朝、私が作ったアンパンを食べただろう?」
「うん。」
「私たちにとって、食べるということは生きるためにかかせない手段だ。でもね、それだけじゃない。」
「どういうこと?」
「食べ物を食べるとね、みんな笑顔になれるんだ。美味しい。また食べたい。たいせつなひとと一緒に食べれて楽しい。そういういろんな感情が一気に私たちの心を満たしてくれる。でもこの絵本の二つの星たちには、それが分からなかった。だからケンカをしちゃったんだ。」
「そうなんだ……それってすごく、悲しいね。」
 バタコは両目を涙で潤ませながらそう言った。昔から、彼女は優しい子であった。
「だろう? だから、私はそれを伝えたい。飢餓で苦しむ人たちを、私が作るパンで笑顔にしたい。バタコも大きくなったら、私のこと手伝ってくれるね?」
「うん!」
 それからしばらくして、バタコはすやすやと穏やかな寝息を立て始めた。食糧不足による飢餓で息子夫婦が死んでから、もう一年が経とうとしている。ジャムは自分の土地を必死に耕し、なんとか一世帯分の穀物畑を墾いて守り抜いていた。なぜか畑は、ジャムの家の周りでしか育たなかった。彼はこれを、自分の運命と捉えた。食糧不足で苦しむこの小さな星のみんなに、自分が作ったパンを届ける。それが息子たちよりも長く生きてしまっている自分が、ただ一つできることなのだと。
 しかしジャムは、大きな使命感と同時に不安を抱えていた。今年で五十歳になる彼にとって、パンの入った荷車を引いて星中を回るのは相当の重労働だったのだ。これから先、自分が老いて限界を迎えた時どうすればよいのか。バタコだけにその重労働を背負わせていいものか。そもそも背負ってくれるのか。ジャムは未だに、その不安を拭い去れずにいた。
【一】
〜二十年後〜
 時は、一向に問題を解決してくれなかった。ジャムが住むこの惑星の食糧不足は益々酷くなり、先日の豪雨によって永年守ってきた畑も壊滅的な被害を受けた。それでも、ジャムは決して諦めてはいなかった。
ジャムおじさん、どうしよう? もうパン一個分の小麦粉しかないよ。」
 ジャムの孫、バタコ。彼女もしっかりと成長し、今年で二十五歳になろうとしていた。今は、ジャムの助手として共にパン作りに励んでくれている。
「……仕方ない。一個でも良い、パンを作ろう。」
「え?」
「私たちが諦めずに作ったたった一個のパンが、誰かを笑顔にできるかもしれない。それって、とても素晴らしいことじゃないか。だから私たちは、今できることを。一個のパンを作ることをやめちゃいけないんだ。」
 ジャムはそう言うと、パン作りのための準備を始めた。バタコも大きく頷くと、それに続いて準備を始めてくれた。
「なぁバタコ。作るパンは何にしよう?」
「うーん、そうだなぁ……。じゃあ、アンパンにしよう! 絵本を読んでくれたあの日、おじさんが焼いてくれたアンパンの味。今でも忘れられないなぁ。」
「絵本? 全く、昔のことまでよく覚えてるなぁ。」
 二人で笑い合いながら、パン生地をこねていく。それは至極シンプルな作業だったが、そのひとこねひとこねにジャムとバタコの想いがのせられていた。
「よし、できた!」
 甘いあんを内包したその丸いパン生地を前にして、ジャムはふと昔自分が抱いた夢を思い出した。
「なぁバタコ。私の夢、聞いてくれるか?」
「どうしたの突然? 別に良いけど。」
 バタコは少々驚いた様子を見せたが、すぐに近くの椅子に座ってこちらの話に耳を傾けてくれた。思えばこの二十年間、バタコに自分の話をしたことは一度もなかったと、ジャムはその時気づいた。
「私はなぁ。意思を持ったパンを作りたかったんだ。困っている人々に手を差し伸べて、空腹に苦しむ誰かのために無償の優しさで自分の一部を分けてあげられる。そういう、愛と勇気に溢れたパンを作りたかった。」
「なにそれ? おじさんにしては、随分と素っ頓狂な夢だね。」
「ははっ、素っ頓狂か……たしかにそうだな。」
 生地をオーブンに入れ、火をかける。
「だがどんなに素っ頓狂でも……私は叶えば良いなと思った。そんなパンがあれば、空腹で苦しむ多くの人たちに手が届く。助けてあげられるんだ。」
「まぁ……たしかに、そうだね。」
 少し、その場をしんみりとした空気が包んだ。その時一瞬だけ、東の空が眩く輝いて見えた気がした。
「ん……? バタコ、今なんか光らなかったか?」
「え? いや、別に何も……」
「いや、たしかに光った! 窓だ! 窓の外だ!!」
 急いで窓を開けて空を見る二人。ジャムとバタコの視線の先には、こちらに真っ直ぐ迫ってくる輝く群体があった。
「あれは……流れ星!?」
ジャムおじさん、あの星こっちに突っ込んでくるよ!」
「まずい、逃げろバタコ!!」
「ダメっ! もう、間に合わない!!」
「「うわぁぁぁぁぁぁあ!!!!」」
 流れ星がジャム達の家に衝突したその時、辺りを白い光が包んだ。何も見えない状態が少しだけ続いたあと、何事もなかったかのようにその場は元の平穏な状態へと戻っていた。
「なんともない……おじさん、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ……バタコは大丈夫か?」
「私もなんとも……あんなに勢いよく流れ星が衝突したのになにもないなんて、なんか不思議だね。」
 たしかに不思議であった。ジャムが辺りを見回しても、流れ星が衝突した形跡は一切見られなかった。あの流れ星はたしかにここに落ちてきた。しかし何も残ってはいない。一体、何がどうなっているのか。
「ねぇ、おじさん。なんかあのオーブン、揺れてない……?」
「ん?」
 バタコが指差したのは、先程アンパンの生地を入れたオーブンの扉であった。それはガタガタと大きく揺れ、今にもはちきれんばかりに大きく膨張していた。
「まずいな。生地が破裂しそうになっているのか? 製法は間違っていなかったはずだが……今すぐ火を止めよう。」
「え、えぇ。そうね。」
 恐る恐るオーブンに近づく二人。しかしそんな二人を、謎の声が静止した。
「止めないで!」
「「え?」」
 二人がその声に驚いて動きを止めた次の瞬間、オーブンの扉が勢いよく開け放たれた。そして——
「僕、アンパンマン!」
 巨大なアンパンの顔を持った新たな生命が、二人の前に立っていた。
【二】
「本当に……できちゃったね。意思を持った、パン。」
 バタコが、唖然としながらそう言った。
「あぁ……できたな。意思を持った、パン。」
 当然、ジャムも同じであった。驚きを通り越してもはや戸惑いまで感じさせる目の前の光景を、まだ一切頭のなかで整理できていなかった。
「はじめまして! ジャムおじさん、バタコさん!! 改めまして、僕アンパンマン! 僕を作ってくれてありがとう!!」
 アンパンマンと名乗るそれは快活に笑いながらそう言うと、丸く大きな手をジャムへと差し出してきた。それが握手を求める合図だと察したジャムは、恐る恐るその手をとってみた。それはとても柔らかく、しかし確かに生命の温もりを宿していた。
「えーっと……アンパンマン、だったか? とりあえず、何か食べるか? パンが食べるもの……って、なんじゃ?」
「私の方見ないでよ! 分かるわけないでしょ!! パン"が"食べる物なんて!!」
「そりゃ、そうか……。」
 アンパンマンは、無垢な笑顔を浮かべたままその場に立ち尽くしていた。
ジャムおじさん、バタコさん。僕に食べ物は必要ありません。それよりも、僕はまだ生まれたばかりで自分がどうやって生きていけばいいのか分かりません。どうすればいいか、教えてください!」
 どうやって生きていくか。その問いを聞いたとき、不思議とある答えがスッとジャムの頭に浮かんだ。
「……助けるんだ。」
「え?」
「この星のみんなを助けてくれ。みんな空腹で苦しんでいる。パンから生まれた君なら、きっとみんなを助けられる。私と一緒に、パンを運ぼう。」
「パンを運ぶ……みんなを、助ける……」
「嫌、か……?」
 少し考え込む様子を見せたアンパンマンだったが、表情を伺うジャムと目があったその時再び無垢で快活な笑顔を浮かべた。
「いえ! 嫌じゃないです! やりましょう!! みんなを助ける!!」
 アンパンマンはそのまま勢いよく外へ飛び出すと、背中のマントをはためかせながら大きく空へと飛んだ。
「お前、飛べるのか!?」
「すごい、凄いよアンパンマン!!」
 アンパンマンのマントから、キラキラとした光が降り注いだ。それはジャムの穀物畑を優しく包むと、瞬く間に元の元気な姿へと戻したのだった。
「おぉ……アンパンマン、ありがとう!」
「お構いなく! みんなを助ける!!」
 その日から、ジャムとアンパンマンは二人三脚でパンの配給を続けた。ジャムが作り、アンパンマンが届ける。空中飛行による配達は瞬く間にその範囲を広げ、"ジャムおじさんアンパンマン"の話は星中を駆け巡った。そしてそれを聞いたものの中に、黒い影がひとり——
アンパンマン……俺様が、倒すべき存在。」
【三】
〜流れ星が降った夜・辺境の森〜
 その卵が孵ったのは、暗く寂れた森の奥であった。それは瞬く間に成長し、二本の触角と黒いボディを持ったばいきんの戦士『ばいきんまん』へとその姿を変えた。
「暗い。ここは……俺様一人か。星のみんなは、どこに?」
 ばいきんまんが辺りを見回すと、近くに焼け焦げたシャトルがあった。記憶を辿る限り、それが母星からばいきんまんを運んできたシャトルであることは間違いなかった。
「なんで俺様がこんなとこにいるのか。あれを調べれば、何かわかるかもな。」
 シャトルの残骸を漁る。そうして漁り尽くした結果ばいきんまんが見つけたのは、立体投影装置とそれに録音されたボイスメッセージのみであった。そしてその装置が映し出したのは、ばいきんまんの父の姿だった。
ばいきんまんよ。わたしたちはもうダメだ。我々の未来は、我が星最高の発明家であったお前の頭脳に託す。いつか我々の星を再興するため、どうか力を尽くしてほしい。もう、おまえしかいない。頼んだぞ。』
 映像はそれで終わっていた。ばいきんまんは憤慨し、そして涙した。星を旅立つ前、父はたしかに言っていたのだ。『また会える』と。『しばしの別れだ』と。それがどうしたことだろうか。一族は皆消え、残されたのは自分と自分にのしかかった大きな責任のみ。湧き上がる怒りと悲しみを抑えるように、ギリギリと歯を噛み締めた。
「まぁ、いい。まずは拠点を作らないとな。」
 ばいきんまんはそう呟くと、シャトルの残骸を分解して瞬く間にドーム型の拠点を建造した。見た目は自分の頭部を模したオシャレなものにした。それが、ばいきんまん流の"こだわり"であった。
 そうして自身の拠点を建造し終えた彼の脳裏に、過ぎ去りしときのわずかな記憶が蘇った。
〜〜もはや私たちが生き延びる術はない。両星ともに今は滅び、後に託すしかないだろう。だが覚えておけ。私たちの意志を継ぐ流れ星の戦士が、お前達を完膚なきまでに滅ぼす。きっとな。〜〜
 流れ星の戦士。あのとき、向こうの指導者だった男はそう言った。その戦士の居所を掴み、排除する。それが自分に課せられた最初の使命だと、ばいきんまんは信じて止まなかった。
【四】
「みなさん、つい昨日このクラスの仲間だったトラ吉くんがお亡くなりになりました。栄養失調だそうです。みなさん、大切な友達のことを想って、手を合わせてください。黙祷。」
 担任のみみ先生が、声を震わせながら弱々しくそう言った。きっと、これが初めてではないのだろう。カバオは言われるがまま、しっかりと目を閉じて手を合わせた。別に珍しいことではない。今年でついに六年生になったカバオにとって、何度も経験してきた出来事であった。
 カバオが暮らすこの町は、辺境の中の辺境。この土地で生まれた者でもない限りは、決して足を踏み入れることのない場所であり、その存在を知るものもそう多くはない。そんな場所であった。
 カバオが産まれたときには、既に食糧不足は始まっていた。いつから始まったのか、そしていつこの苦しい日々は終わるのか。遠くのほうにはパンを作って食べ物に困る人々に分け与えてくれる優しい人もいるらしいが、到底ここまで手は届いてこないだろう。カバオはいつしかこの現実を受け入れ、そして諦めていた。



「カバオくん。どうしたの立ち止まって空なんか見上げて。ほら、そろそろ休み時間終わりだから教室に戻りなさい。」
 校庭で立ち尽くすカバオに、みみ先生が声をかけてくれた。いつもみみ先生は、生徒のことを一番に考えてくれる。そんな優しいみみ先生のことが、カバオは大好きだった。
「先生。僕たちカバ族は他のみんなよりも大きな口を持ってます。僕はそんな自分の顔がすごく嫌で、お母さんに聞いたことがあるんです。『どうして僕の口はこんなに大きいの?』って。そしたら、お母さん言ったんです。」
「なんて……言ったの?」
 カバオの母との記憶は、身体を弱らせて床に臥せっている母と会話をしている場面しかなかった。泣き虫だったカバオは、よく母に泣きついて困らせていた。そのことを、今でもカバオは後悔している。
〜〜カバオ、私たちの口が大きいのはね。美味しいものをたくさん食べるためなのよ。今はちょっと大変だけど、いつかきっとそんな日が来る。食べるってことはね、とても幸せなことなの。だからね、カバオ。いつかこの大きな口が美味しい食べ物をいっぱいに頬張れるときがきたら、あなたはきっと自分の顔が大好きになるわ。絶対よ。〜〜
「それから半年も経たずに、母は死にました。栄養失調だって。僕には分からない。満足に食べられないまま死んじゃうんだったら、僕はなんのためにこの大きな口を持って生まれてきたのか。そんなことを、たまに考えるんです。」
「カバオくん……。」
 カバオはよく、空を見上げた。空を見上げていればいつか、流れ星が降る。そのときに願うのだ。美味しいものをお腹いっぱい食べたいと。そんな瞬間を想い描いて、カバオは空を見上げ続けていた。
「……すみません、先生。教室に戻ります。」
 カバオが俯いて歩き出そうとしたその時、空から声がした。
「みなさん! 大丈夫ですか!?」
「え?」
 今一度空を見上げると、そこにはアンパンの顔を持った謎のヒトがふわふわと浮いていた。カバオはびっくりして、その場に釘付けになった。
 謎のヒトの来訪に興味を示した他のみんなも校庭へと飛び出し、校庭はたちまち生徒たちで溢れかえっていた。
「僕、アンパンマン! 皆さんの悲しみを感じて、ここまで来ました!! 皆さん、これを食べてください!!」
 アンパンマンがヒラリとマントを翻すと、そこから大量のアンパンが出現した。それはゆっくりと降下し、みんなの手に収まった。不思議と皆、無意識に両手を差し出していた。
「これ……パン?」
 みんなの手にあったのは、一個のアンパン。それは片手に収まる小さなものだったが、カバオにはとても大きく見えた。
「……ごくり。」
 パンを口に放り込む。それは一回噛んだだけで中に入った餡が口いっぱいに広がり、香ばしさと甘さで空腹を満たしてくれた。これほどまでに幸福な食事は、カバオは初めてであった。
「美味しい……美味しい!」
 みんなが口々にそう言った。誰かと喜びを共有するもの。一人でその美味しさを噛み締めるもの。久しぶりの食事に涙を浮かべるもの。反応はみんなそれぞれ違っていたが、ただ一つだけ同じところがあった。みんな、笑顔であった。みみ先生も、クラスメイトも、全く顔を知らなかったものも、そしてカバオ自身も、皆幸せに包まれて笑っていた。
アンパンマン……ありがとう!!!」
 そんなみんなの笑顔を見て何を想ったのか、アンパンマンもまた大きな笑顔を浮かべ、そして手を振ってくれた。
「みんな……喜んでくれてありがとう! また来ます! 僕は、みんなを助ける!!」
 そう言い残して、アンパンマンは去っていった。そしてそれ以降、カバオたちの日々は一変した。辛く苦しいものではなく、明るく幸せなものになったのだ。カバオはそのアンパンの味を、以降決して忘れなかった。
【五】
「ねぇ、ジャムおじさん。ありがとう、僕にこんな幸せなことを教えてくれて。」
「どうした? 急に。」
 星中にパンを届け終え戻ってきたアンパンマンは、明日届ける分のパン生地をこねるジャムの仕事姿を見ながらそう告げた。
「今日は、空腹で苦しむ学校のみんなにパンを届けたんだ。」
「ふむ……私には気づけなかった場所だ。流石だな、アンパンマン。」
「えへへ……ありがとう。それでね」
「ん?」
 アンパンマンは、今日のみんなの笑顔を思い返していた。みんな、自分に感謝してくれていた。そして何より、喜んでくれていたのだ。
「パンを届けたら、みんな喜んでくれる。ありがとうって、言ってくれる。その言葉を聞いて、そんなみんなの笑顔を見たら、なんだか凄く心があったかくなった。こんなに幸せなことはないよ。」
「そうか……それは、よかった。」
 その日は、とても穏やかな夜だった。コオロギの鳴き声が心地よく響き、アンパンマンもジャムもとても優しい気持ちになれる夜だった。そんな夜に、ヤツは現れた。
「出てこい! アンパンマン!!」
「なんだ!?」
 家の中からでも分かるほどの、大きな風圧。そしてなにより、今まで聞いたことのない敵意のこもった声。二階で眠っていたバタコも、慌てて一階へと降りてきた。
「なに、どうしたの!?」
「バタコ、よく分からんが危険だ! すぐ逃げられるように準備をしておけ!!」
「う、うん!」
ジャムおじさん、僕ちょっと出てみます!!」
「あ、待てアンパンマン!」
 ジャムの静止を振り切り、アンパンマンは外に出た。するとそこには、巨大な鋼鉄の巨人が立っていた。
「な、なんだコイツ!?」
「ガハハ! 驚いたか、アンパンマン!!」
 巨人の頭部がハッチのように開き、なかから黒い怪人がその姿を現した。
「君は誰だ! それにこれは!?」
「俺様は、ばいきんまん! 貴様を倒し、永きにわたる争いに決着をつけるもの!! そして、一族を救うものだ!!」
 そう言ったばいきんまんは再び巨人の頭部内へと戻っていくと、その鋼鉄の巨人もその巨躯を動かし始めた。
「グハハ! これこそ俺様の偉大なる発明、巨大ロボ『ダダンダン』!! さぁ、大人しく死ねぃ!!」
「そうはいかない! 僕にはまだ、やらなきゃいけないことがあるんだ!!」
 ダダンダンのペンチ型の腕による強烈なパンチが、狙い定めた標的を襲う。それを間一髪でかわすと、アンパンマンは拳にありったけの力を込めた。
「アーン……パアァァァァンチ!!!!!」
 その強烈な拳は、ダダンダンの腹部を抉った。凄まじい衝撃を浴びたそれは、たまらずバランスを崩してその場に尻もちをついた。
「うへぇ〜! こりゃ、まずい!!」
 ダダンダンの頭部から、ばいきんまんが再び姿を現す。
「ふぅ……今のは効いたぜ、アンパンマン。」
ばいきんまんって、言ったよね? 君は誰? どうして僕を襲うの? それに、争いって?」
 アンパンマンには、訳がわからなかった。あまりに突然の襲撃。そして、謎の怪人。全てが未知の領域であった。
「……まさか本当になにも知らないのか、貴様。」
「え……?」
 ばいきんまんはギリギリと歯を噛み締めると、鋭い視線をこちらに向けた。それはとても憎しみ深く、またひどく悲しみに満ちた瞳であった。
「……貴様が知らないのなら、それでいい。そのままでいろ、ずっとな。」
「ちょっと待ってよ! 一体、どういうこと? 僕は最近生まれたばかりだ! なのに、君はどうして僕のことを知っているの?」
「最近生まれた……そうか、そういうことか。」
 ばいきんまんはふーっと息を吐き出すと、アンパンマンに諭すようにこう告げた。
「貴様は、俺様たちを葬るために生まれた。貴様の望む望まざるに関わらず、そういう運命を背負わされてな。」
「どういう……こと?」
「おーい! アンパンマン、大丈夫か!?」
 家の中から、不安な様子のジャムとバタコが走ってくる。そんな二人の方を一瞬だけ見ると、ばいきんまんは何かリモコンのようなものを取り出してそれを押した。
「いいな……貴様は。生まれたばかりなのに、もう家族がいるのか。羨ましいぜ、全く。」
「え?」
 その言葉が終わるのとほぼ同時、上空にUFOのような巨大な飛行物体が滞空した。さっきのリモコン操作で、ばいきんまんが呼んでいたのだ。
「俺様は決めたぜ、アンパンマン。何も知らずのほほんと生きてる貴様を倒し、貴様を取り囲む奴らもみんな滅ぼしてやる。それが俺様流の、"復讐"だ。」
 飛行物体のハッチが開き、ばいきんまんはそれに乗り込んだ。飛行物体から伸びた複数のマジックハンドがダダンダンをがっしりと掴むと、そのまま高速で何処かへと飛び去っていったのだった。
「なんだったんだ、一体……」
〜〜貴様は、俺様たちを葬るために生まれた。貴様の望む望まざるに関わらず、そういう運命を背負わされてな〜〜
 ばいきんまんのその一言が、アンパンマンの頭の中で繰り返されていた。
〜辺境の森・ばいきんまんラボ〜
 ばいきんまんは、湧き上がる寂しさを抑えながらダダンダンの修理を続けていた。そしてもうすぐ終わるというときに、被っていた鉄面を外してぷはぁと息を吐いた。
「アイツ……一人じゃなかったんだな。」
 ずっと頭から離れないのは、アンパンマンの存在だけではなかった。彼を心配し、駆けつけてくれる家族……生まれたばかりの宿敵には、既にそういう存在がいたのだ。
「なんで……」
 とぼとぼとラボの開発スペースへと歩を進める。そこには、ばいきんまんとっておきの細菌兵器が置かれていた。名を『バイバイ菌』とつけたそれは、アンパンマン以外の全てに効力を持った恐ろしい兵器であった。それを吸ったものは激しい呼吸障害を引き起こし、二十四時間後に死亡する。ダダンダンと同時に完成させていたそれを、ばいきんまんは先ほどまで封印するつもりでいた。が、しかし——
「なんで俺様だけ、一人なんだよ……!」
 ばいきんまんの孤独が、彼自身を押し潰そうとしていた。
【六】
 その日から、アンパンマンの脳裏に何度も"声"がこだまするようになった。
ーやつらを葬れ……一人残らず……! それが……お前が生まれた……ただ一つの理由だ……!ー
「うわぁぁあ!!」
「おぉ!? どうした、急に大声を出して。」
 その日は、アンパンマンを休ませたいという強い要望でバタコがパンの配達に出ていた。彼女が戻るまでは、ジャムと二人で留守番をすることになっていた。
「……最近、気づいてきたんです。」
「気づく? 何に?」
「僕が、生まれた理由です。」
「……」
 ずっと考えていた。なぜ、自分が生まれたのか。自分はどうやって生きていけばいいのか。
「それで……この前ばいきんまんが襲ってきたときから、だんだんと自分の中で声が響くようになってて。それが僕に言うんです。やつらを葬れ……って。」
「そのやつらというのが……あのばいきんまんのことか。」
「えぇ。なんとなく、気づいちゃったんです。僕は争うために生まれた。ばいきんまんを倒すために生まれたんだって。」
 それは、彼の望むことではなかった。ずっとパンを、喜びをみんなに届け続けたいと、アンパンマンは切に想っていた。
「まぁ、お前がいきなりオーブンから飛び出してきた時は面食らったけどな。」
「え?」
 アンパンマンにそう語るジャムの横顔は、とても優しかった。
「たとえお前がどんな理由で生まれてきたとしても、お前を作ったのは私だ。そして私は、お前にやるべきことを与えてやれた。」
「……」
「今お前がやるべきことは、あいつと戦うことか? いや違う。お前がやるべきは、みんなを助けることだ。愛をもってみんなを笑顔にして、勇気を胸に自分と向き合う。お前にはそれができる。私は、そう信じている。」
ジャムおじさん……」
 あの時の学校のみんなの笑顔を、アンパンマンは思い出していた。あれこそ、自分が想い描く夢。護りたいものなのだと、その時気付けた気がした。
「ありがとうございます、ジャムおじさん。」
「うん。」
「僕は、アンパンマン! みんなを助ける!!」
「そうだ! それでこそ私が作った最高のパンじゃ!」
 二人で固い握手を交わす。それは初めて会った時のあのぎこちない握手とは違う、深い絆で結ばれた握手だった。
「……にしても、バタコさん遅いですね。」
「そうだな。そろそろ帰ってきてもいい頃だが……」
 二人で玄関扉を見る。するとその扉が、重くゆっくりと開いた。
「ジャム……おじさん……」
「バタコッ!?」
 中に入ると同時に、力無くその場に倒れ込むバタコ。ジャムは急いで彼女の元へ駆けつけると、その身体を抱きかかえた。
「なんて熱だ……呼吸も荒い。なんとか、なんとかせねば……!!」
「星中のみんなが……私と同じように……」
「なにっ!?」
 ジャムが外に出ると、星中が謎の"カビ"のようなもので覆われていた。
「こ、これは……一体……ウグッ?!」
 突然身体を襲う、息苦しさや眩暈。ジャムは耐えきれず、その場に膝をついた。
ジャムおじさん!!」
「くるなっっ!!!」
 精一杯の声を振り絞って、外に出ようとするアンパンマンを静止するジャム。そんな彼を嘲笑うかのように、その声は響き渡った。
「ハーッハッハッハ!! どうだアンパンマン、俺様のカビ菌の威力は! これを一度でも吸い込んだが最後、そいつは苦しみ抜いてそして……死ぬのだ!!」
「……ばいきんまん!!」
 たまらず外に出るアンパンマン。そんな彼を待ち構えていたのか、上空からあの飛行物体が降りてきた。そして着陸したそれから、"鉄面をつけた"ばいきんまんが三度その姿を現したのだった。



「ねぇ、みみ先生! 雪かな、これ!?」
 カバオがはしゃぐ姿を見て、みみは微笑んだ。皆元気で笑顔を見せてくれるようになった。全ては、あのとき。アンパンマンがきたときから変わった。
「ふふ……そうねぇ。とてもキレイね。でも、雪にしてはちょっと早いような……?」
 急に、視界がぐにゃりと歪んだ。見ると、カバオや他の外で遊んでいた生徒たちが次々と、力無く倒れていた。そして襲いくる、凄まじい息苦しさ。
「なに……これ……?」
 そして最後に残ったみみもまた、その場で倒れ込んだ。
【七】
「クックックッ……心配するなよアンパンマン、この菌は貴様には効かないからなぁ。」
 怒りで拳を振るわせるアンパンマンを挑発するように、ばいきんまんはにじりよってきた。
「なぜ……なぜこんなことを!? お前の狙いは僕だけのはずだろ!?」
「あぁ……確かにそうだ。いや、"そうだった"。」
「……どういうことだ!?」
 ばいきんまんはそこで立ち止まると、両手を広げて大空を仰いだ。
「もうどうでもいいのだ! 俺様を置いて消えた一族の再興など!! 俺様は俺様の生きたいように生きる!! だが! 一つだけ、どうしても前に進むことを邪魔する事実がある……」
「ま、まさか……」
 アンパンマンは仮面越しでも、ばいきんまんがたぎらせている憎悪、そして哀しみを感じて仕方なかった。そして今、彼は全てを振り切ろうとしているのだとも感じた。
「そう、貴様だ! 俺様と同じように使命を持ってこの地に降り立った貴様は一人じゃなくて! 俺様は一人だ! そんなの……不公平じゃないか!!」
ばいきんまん……」
 泣いていた。その鉄面の向こう側で、確かにばいきんまんは泣いていたのだ。
「だから俺様は、貴様もひとりにする。そして二人だけになったその時、俺様と貴様は雌雄を決するのだ!!」
「ふざけるな!!!」
 どれほどばいきんまんの悲しみが深くとも。アンパンマンには、すでに譲れないものがあった。それは自身の内に流れる使命でもなく、ましてやばいきんまんに対する報復心でもなかった。
 それは護りたいもの。居場所をくれた、ジャムとバタコ。そして笑顔と感謝をくれた、カバオたち小学校のみんな。そんなみんなの幸せと夢であった。
「僕は、お前を止める! そして護りたいものを護る!! 行くぞ! ばいきんまんっっ!!」
「こい! アンパンマンッッ!!」
「「うおぉぉぉぉぉぉお!!」」
「アンパンチィィィッッッッ!!!!」
「バイキィィィッッック!!!!」
 二人の想いが、拳と蹴りがぶつかり合い、そして——
 アンパンマンのアンパンチが、ばいきんまんの鉄面を吹き飛ばした。
【八】
 地面に倒れ伏したばいきんまんを、アンパンマンはそっと抱きかかえた。
ばいきんまん……君は……」
「何も言うな……アンパンマン。俺様は、負けたのだ……貴様にも、そして自分にもな。」
 呼吸が荒く、身体に帯びる高熱。ばいきんまんは死ぬつもりだったのだと、アンパンマンはそのとき気づいた。
「俺様は……一族の想いを背負って、この星で目覚めた。だが俺様には、耐えられなかったのだ……自分だけが孤独の中で生きていかねばならないという、現実に……。」
「だから……僕も一人にしようとしたのか?」
 ばいきんまんは、コクリと頷いた。その顔はとても満足そうで、同時にとても居心地が悪そうであった。
「これで俺様は死に……貴様も一人だ。俺様を一人にした一族にも、貴様たちにも……復讐ができる。こんなに嬉しいことはない。」
「嘘だ。そんなのは。」
「なんだと?」
「だって今君は……泣いているじゃないか。」
「クククッ……これは、嬉し涙ってヤツだろうよ……。」
 ばいきんまんがどうして泣いているのか。本当のところはアンパンマンには分からない。しかしそれでも、彼はこうするよりほかにないと思ったのだ。
「……」
 そっとばいきんまんの身体を地面に倒したアンパンマンは、おもむろに自分の顔の一部をむしり取ってみせた。
「お前、何を……?」
「僕は、みんなを助ける。」
 弱々しく息をするばいきんまんの口元に、むしり取った顔の一部を運ぶ。それはアンパンそのものであり、また彼の決意でもあった。
「……クソ。」
「不味い……?」
「……うめぇなぁ……!」
 ばいきんまんの頬を、大粒の涙がつたった。そしてその身体が、なんとみるみる内に回復を果たしたのだ。
「なっ……!? おい貴様、これは一体どういうことだ!?」
「わ、わかんないよそんなの! でもばいきんまん
「なに?」
「君は一人じゃない。僕は今日から君の、ともだちだ。」
「と、ともだち……? 貴様と、俺様が?」
「あぁそうさ。ちょっとカタチは特殊だけど、僕と君は一緒に食事をした。だから僕と君は、ともだちになれるんだ。」
「わ、訳のわからん理屈を言うな! ……だが」
 ばいきんまんは少し照れ臭そうにして、言った。
「ともだちか……それも悪くない。」
「……あぁ!」
 その時、アンパンマンばいきんまんの頭上で無数の流れ星が瞬いた。それはまるで、二人を歓迎しているようであった。
「行こうばいきんまん。僕たち二人なら、奇跡を起こせる!!」
「あぁ! 俺様と、貴様で!!」
 二人は、決して離れないように手を握り合った。そんな二人を待っていたのか、流れ星が二人を乗せて空へと駆け上がった。
 下には、食糧不足で苦しみ今この時死にかけている星のみんながいる。
 ばいきんまんは贖罪の、そしてアンパンマンは愛と勇気の願いを流れ星に込めた。
 その願い星は瞬く間に星中に降り注ぐと、まずばいきんまんのカビ菌を取り払った。そしてその日、願い星の光を浴びた大地は、次々に穀物の芽を生やしたのだ。
 その日、願い星が降った夜を最後にその星の食糧不足は解決した。
【九】
「おのれ〜! 今日も世界征服の邪魔をするのか、このおじゃま虫め!!」
ばいきんまん! 君と僕は友達のはずだろ!? どうして争わなきゃいけないんだよ!!」
「うるさ〜い! あの後冷静になって振り返ってみたら、だんだん悔しくなってきたのだ! だから俺様は、貴様をコテンパンにする!! 勝つまでは終われーん!」
「くそー! それでも、負けてあげるわけにはいかないんだ!! いくぞ、ばいきんまん!!」
「アーンパーンチ!!」
「ばいばいきーん!」
 あの日から、アンパンマンには新しいともだちができた。
 毎日のように悪事を働き、自分を困らせる。
 そんな、厄介なともだちが。
【十】
 午前の授業が全て終わり、給食の時間がやってきた。
 みんな急いで教材を仕舞い込むと、配膳される給食を今か今かと待った。そして、担任のみみ先生が号令をかける。
「それじゃーみんな行儀を守って! せーの!!」
「「「いただきまーす!!!」」」
 みんな美味しそうに給食を食べる。そしてそのなかでも、一際盛大に飯をかき込む生徒の姿が。
「カバオのやつまた一番乗りで食い終わってやがる……おかわりも全部あいつにとられちまうの。チェッ」
「ほらカバオくん、みんなのことも考えながら食べるのよー!!」
「はーい!」
 カバオは、今は亡き母親の言葉を思い出していた。
〜〜いつかこの大きな口が美味しい食べ物をいっぱいに頬張れるときがきたら、あなたはきっと自分の顔が大好きになるわ。〜〜
(母さん。僕今、ようやく母さんの言ってたことを理解できた気がするよ。僕の口は人より大きい。でも僕はそんな自分の顔が、大好きだ!!)
【エピローグ】
「ねぇおじさん! この前の絵本の続き、読み聞かせて!」
「んん〜? 全くしょうがないなぁバタコは……今日は最後まで読むから、早く寝るんだよ。」
「はーい!」
 ジャムは、そばに置いてあった絵本を手に取った。その本——『願い星の奇跡』を、そっと開く。
【手を取り合った二つの星のカケラは、近くにあった小さくてまだ名前もない星に降り注ぎました。そこでもたべもの不足は起こっていましたが、悲劇は起こりませんでした。二つの星の想いが結びつき、今度は協力して問題と向き合ったのです。こうして救われた名も無き星のみんなは、降り注いだ星のカケラに『願い星』という名前をつけて敬いましたとさ。めでたしめでたし。】


「おしまい。」


〜完〜